smile! | ナノ


 うららかな昼下がり、いつものようにスミレは談話室で本を開いていた。三人掛けのほどよくふかふかなソファに腰掛け、ぱらりぱらりとページをめくる。
 瞬きの途中でふっと落ちかけた頭をなんとか元の位置に戻して、彼女は目を擦る。どうにも眠気がひどい。文字を目で追っているはずなのに、全くと言っていいほど頭の中に入ってこない。それどころか、先程からもう何度も何度も同じ箇所ばかり繰り返し読んでいるような気さえする。
 窓から差し込む心地のよい午後の日差しも相まって、瞼がどんどん重たくなってきた。分厚い本が手から滑り落ちかけたのを咄嗟に持ち直したスミレは、諦めてそれに栞を挟む。
 ――ちょっとだけ、寝ちゃおうかしら。
 今日の公式乱闘はすでに終えており、この後の予定も何も入ってない。その上都合のいいことに談話室にもちょうど人っ子一人おらず、彼女が昼寝をしても見咎める者はない。少し前まで子供達がテレビを見たりファルコがブラスターの手入れをしたりしていたはずなのだが、いつの間にか誰もいなくなってしまった。こうして人の気配がなくなったことも、眠気が増した一因なのだろう。
 スミレは緩慢な動作で靴を脱ぎ、ソファの上に体を横たえる。ふかふかで暖かい。ゆっくりと息を吸うと、よく干した布団のようないい匂いがする。
 少しだけ。――ほんの少しの間だけ。誰かが来たら、その時に目を覚ませばいい。そんな言い訳をしながら、彼女は心地よい眠気に身を任せた。




 目元にわずかな疲れをにじませたファルコは、首の後ろの筋肉を片手でほぐしながら一階の廊下を歩いていた。

「ったく、思ったより大分時間食っちまったな」

 そうぼやきながら考えるのは、談話室にバラバラのまま置いてきたブラスターの安否である。あそこにはスミレがいるはずだから、誰かが悪戯で部品を隠したりすることはまずないだろう。だが、ふとした拍子に部品がテーブルから落ちることは十分にあり得る。それがもしクッパなどに踏まれでもしたら――想像するだに恐ろしい。主に経費削減をモットーとしているフォックスの怒りが。
 ――二時間ほど前まで、彼は談話室でブラスターの手入れをしていた。何故わざわざ自室ではなく談話室で作業しているのか、その理由は単純明快だ。雑誌やら工具やらで散らかったテーブルの上を片付けるより、道具を持って部屋を移動する方が格段に楽なのである。
 そうしてファルコは子供たちが夢中になって観ているアニメを軽く聞き流しながら作業をしていたのだが、そこにフォックスがやってきた。

「あ、いたいた。すまないファルコ、アーウィンの調整を手伝ってくれないか?」
「ああ? 見て分かるだろ、俺は今忙しいんだ」
「そこをなんとか。時間はそれほど取らせないからさ」

 ファルコは唸りつつテレビの方にちらりと目をやる。整備途中のブラスターを年端もいかない子供たちのいる場に置いていくのは気が引けたが、幸いにもソファではスミレが本を読んでいた。さすがの悪戯坊主たちも、彼女のいる前で悪さをすることはない。加えてストッパー役のネスもいる。この面子なら滅多なことは起きないだろう。
 それに、アーウィンの調整に複数人が必要となる作業は片手で数える程度である。フォックスの言う通り、それほど時間のかかるものでもない。仕方がないな、とファルコはほんの十分ほどのつもりで席を外した。――そのつもりだったのだが。
 ファルコは軽く舌打ちをする。

「フォックスのやつ、少し飛び回ったくらいで目くじら立てやがって」

 機体の調整自体は比較的スムーズに終わらせることができた。途中でスピードと安全性のどちらを重視するかで多少口論になったものの、そのくらいの口喧嘩はいつものことだ。
 問題はついでとばかりにファルコの機体の調整を始めた際、燃料の減り具合をフォックスに見咎められたことだった。
 フォックスはケチだ。どうしようもないどケチだ。アーウィン搭乗中に敵の攻撃を避ける時は必要最低限の動きに留めているし、ブラスターもエネルギーが無駄にならないよう全弾命中させるという徹底ぶり。おまけにスターフォックスの拠点でもある巨大空母グレートフォックスは、宇宙が無重力なのをいいことに八割ほど慣性の法則で動いているのだ。究極のエコドライブである。
 一応彼にも分別はあるのか仲間にまでそれを求めはしないものの、乱暴かつキレッキレで最高に燃費の悪いファルコの飛び方はさすがに目に余るらしい。しかも今回はリーダーの許可を得ず勝手に飛んだものだから、フォックスは相当おかんむりだった。
 そんなこんなで整備の最中さんざんお小言を食らい、ストレスを溜めまくったファルコが爆発して最終的に乱闘で決着をつける運びとなったのだ。
 ……結果はファルコの完敗。しかもファイトマネーは「ファルコが無駄にした燃料代に充てる」と彼の分までフォックスが持って行ってしまった。あのほくほくとした表情からして、最初からそのつもりだったに違いない。つくづく金のこととなると容赦のないリーダーである。

「……なんか無駄に疲れちまったな」

 やさぐれたような目付きをしながらファルコは大股で廊下を闊歩する。これで置いていったブラスターまで悲惨なことになっていたら、ただでさえ短いファルコの堪忍袋の緒が音を立てて弾け飛んでしまう。
 ――談話室に足を踏み入れたファルコは、まずその静けさに面食らった。庭から聞こえてくる小鳥のさえずり以外はなんの音もしない。ファルコが席を外す前には確かにいたはずの子供達は、どうやら陽気に誘われて外に遊びに行ったらしい。実に平和だ。
 ブラスターはどうなっただろうとテーブルに歩み寄りかけた彼は、ふと見えたものにぎょっと目を見開いた。
 窓の近くにある三人掛けのソファにスミレが突っ伏している。
 まさか具合でも悪いのだろうか。慌てて近寄ると、伏せた彼女の頭と枕代わりにした腕の間から微かに規則正しい息づかいが聞こえてきた。

「……寝てんのか?」

 反応はない。どうやら本当に眠っているだけのようだ。そうと分かったファルコは盛大なため息をつきながら肩の力を抜いた。

「ンだよ、ったく。ヒヤヒヤさせがって」

 安堵した彼は改めてスミレの寝ている姿を眺めた。横たわった彼女は顔を下にして膝を曲げ、ソファの肘掛けの間に窮屈そうに体を押し込めている。肘掛けに置かれた本にきちんと栞を挟んであるところや靴まで脱いで横になっているところを見るに、ただの居眠りなどではなくがっつり寝るつもりでいたようだ。
 常に穏やかに自分を律している彼女が、こんな風にだらけた姿をさらすのは珍しい。

「まあ、こいつも疲れてんだろうな」

 長時間に及ぶフォックスとの訓練に毎日の公式乱闘。さらには一日に一度だけ挑戦できるシンプルやオールスターにも毎日欠かさず挑んでいると聞く。
 恐らくそれだけではないだろう。フォックスとの付き合いが長いファルコは、真面目な人間の取りがちな行動についてよく理解していた。人前ではゆったりと読書しているところしか見せない彼女も、きっと誰にも見えないところでこっそりと努力しているはずだ。
 ファルコはジャケットを脱いでそっとスミレの背にかけると、ブラスターの手入れを再開することにした。幸いなことに、部品も道具も何一つ欠けていない。「スミレにじーっと見られてると、なんか悪さしにくいんだよなぁ」というトゥーンリンクの勇者らしからぬぼやきを思い出しながら、彼はテーブルの前にどかりと座った。




 ファルコは組み立て終わったブラスターを構え、違和感がないかチェックする。――問題はないようだ。グリップも引き金もしっかりと指に馴染む。試し撃ちはまた後でするとして、まずはソファで寝ているスミレをなんとかしなければ。
 それにしても、と彼はブラスターをホルダーにしまいつつ、相も変わらずぐっすりと眠っている彼女へと呆れたような目を向ける。
 いくらなんでも、これは少し無防備過ぎやしないだろうか。館の住人に寝ている女を襲うような者がいるとは考えられないが、こういう姿を見せられてやましい思いを抑えきれない輩がいないとも限らない。
 見つけたのが自分で幸運だった。ファルコは心のどこかで安堵を覚えながらスミレの肩を軽く叩く。

「おい、そろそろ起きろ。風邪引くぞ」
「ん、ん……」

 むずかるようにくぐもった呻き声が漏れる。まだ目が覚めないかと今度は強めに揺らそうとしたとき、その細い腕がのっそりと動いた。手を引っ込め損ねたファルコの視線の先で、彼女は両腕を使ってのろのろと体を持ち上げる。上半身が完全に起き上がると、彼女は膝を体の方に引き寄せてソファの上にぺたんと座った格好になった。ファルコのかけた上着がばさりと肩から落ちる。

「――ふぁる、こさん」

 普段よりトーンの落ちた掠れ声で、舌ったらずに名を呼ばれる。とろんとした焦点の合わない眼差しに、ファルコは不覚にもどきりと心臓が跳ねるのを感じた。

「お、お前、大丈夫か?」

 思わぬ衝撃をごまかすように目をそらしながら問いかけると、スミレは無言で頷く。かなり寝ぼけているようだ。彼女はそのままゆっくりと瞬きを――しようとしたらしいが、途中で瞼が下りたまま開かなくなった。

「ねむ……」
「待て待て、寝るなら自分の部屋で寝やがれ」
「んー。おきる、おきます、大丈夫……」

 そう呟きながら、彼女は下を向いて大きく深呼吸する。酸素を取り込んで幾分かすっきりしたのか、しばらくしてこちらに向けられた顔には照れ笑いが浮かんでいた。

「ちょっと、目ぇ覚めました。すいません、起こしてくださって。えっと――上着も、ありがとうございます」

 まだ声音や表情には幾分か眠気が残っているが、なんとか会話ができる程度には意識がはっきりしてきたらしい。彼女からジャケットを受け取りながら、ファルコはできるだけ自然に見えるよう意識してひらひらと手を振る。

「あー、気にすんな。ンなことより、次から気を付けろよ」
「はい。……え、何にですか?」
「そういうところに、だ」

 スミレはファルコの言葉に首をかしげたものの、さほどしないうちに何かに思い至ったのか納得したように笑った。

「ああ、ぼーっとしてますもんね」

 違う。いや、確かにそうなんだがそうじゃない。彼女はもう少し女としての自覚というか、危機感を持つべきだ。こういう誰に見られるか分からないような場所で寝るべきじゃないとか、無防備な顔で人の名前を呼ぶなだとか、言いたいことはそれこそ山ほどある。
 しかし、真っ正直にそう注意すれば、一瞬でも彼女を女として見てしまったことを暴露するも同じだ。口が裂けても言えるはずがない。ファルコは喉の奥で唸りながらちょうどいい表現を探したものの、結局ごまかせるようなうまい言葉が見つからずお茶を濁すことにした。

「……まあ、そういうこった。さてと、そんじゃ俺は部屋に戻るぜ。お前も、疲れたんなら今日は早めに休んどけ」
「んー、そうします」

 気の抜けたような彼女の返答に背を向けて、ファルコは談話室の出口に向かった。
 ――まさか二度寝なんてしないだろうな。少々心配になって出口付近でちらりと振り返ると、眠たげに目元を擦りながらソファの足下に揃えてあった靴を履くスミレの姿が目に入った。この分なら大丈夫だろう。安堵しかけたファルコの視界の端で、彼女が思いきり伸びをする。

「んぅっ、ふ――」

 漏れ聞こえた微かな声に、彼は反射的に足を動かしてその場を後にした。なんだ今のは。なんだ、あの鼻に抜けるような甘ったるくそれでいて艶っぽい声は。誘ってるのか。誘ってるんだな。
 ……そんなわけがあるか。先程まで彼女と会話していたファルコだから分かる。あれはただ単に寝ぼけているだけなのだ。
 ――だから気を付けろって言ってんだろ!
 踵を返して怒鳴りつけてやりたいのをぐっと堪えて、ファルコはできる限り談話室から遠ざかろうと足を速める。だが、どれだけ速く歩こうとスミレの無防備な姿が脳裏から離れない。あんなにボケボケしていたら、そう遠くないうちに悪い男に騙されてぱくりと食べられてしまいそうだ。……そう思うと、何故だか無性に腹立たしくなってきた。
 廊下を大股で歩きながら、ファルコはふと思いついた。そうだ、部屋に戻る前に乱闘ルームに寄ろう。整備の終わったブラスターの試し撃ちがてらに誰かを叩きのめしたくなってきた。そうだ、どうせならCPを三人全員Lv.9にして、考える暇もないくらいに激しい戦闘を繰り広げてやる。
 ファルコは自室方面の階段を素通りし、ファイティングエリアのある別館へと足を向けた。途中、すれ違ったルイージが彼の物騒な目付きに恐れおののいたのは言うまでもない。




 

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