smile! | ナノ


 ソニックは医務室の前をそわそわしながら行ったり来たりしている。そんな彼の様子を、廊下に腰を下ろしたネス・トゥーンリンク・クッパJr.の三人が不安げに目で追っていた。重たい沈黙の中、視線を床に落としたネスが口を開く。

「大丈夫かな、スミレ」
「大丈夫だよ! だって笑ってたもん。絶対平気だって」

 ぽつりと漏れたネスの言葉を聞いたトゥーンが、小さな拳を作って元気付ける。力強いその声音は、相手よりもむしろ自分を鼓舞しているようだ。

「でも、スミレって変なとこで強がりじゃん」

 水を差すようなJr.の発言に、ネスとトゥーンががくりと頭を落とした。

「そうなんだよねぇ……」

 そんな子供たちの会話を、ソニックは医務室の開かない扉にちらちらと目を向けながら聞いていた。窓の外では相も変わらず、雨がしとしとと湿っぽい音を立てている。
 ――雨はこの三日間、絶え間なく降り続いていた。
 濡れた地面は滑りやすく、全力で走るなどとてもではないが無理だ。かと言って館の敷地内に敷設されている体育館は走り飽きたし、疲労感のない乱闘ステージ内は純粋に走りを楽しめない。思い通りに動くことのできない環境にソニックはここ数日ずっとくすぶっていた。
 子供たちから鬼ごっこに誘われたのはそんなときだった。場所は人通りの少ない二階の廊下限定。逃げ回るソニックに十分以内に触れるか攻撃を当てることができれば子供たちの勝ちで、追撃をかわして逃げ切れればソニックの勝ち。連日の雨でストレスの溜まっていた彼は、その提案に一も二もなく乗っかった。
 それがよもやこんな事態を引き起こすとは、その時のソニックには思いもよらぬことだった。
 ガチャ、とドアノブが動いた音を聞き付けたソニックは、反射的に医務室の入り口まですっ飛んだ。

「スミレの具合は!?」
「うわっ!」

 目の前に飛んできたソニックに、扉から出てきた白衣姿のマリオが驚いて飛び退く。一拍置いて、彼はふっと表情を和らげた。普段は自信と余裕に満ちているソニックの慌てぶりがおかしかったのだろう、くすくすと笑っている。

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。骨や関節に異常はない。君とぶつかったと聞いたときは、正直肝が冷えたけどね」

 ――そう、ソニックは鬼ごっこの最中、曲がり角でスミレと出会い頭に衝突してしまったのだ。

「ただ、かなり強く打ったんだろうね。患部の腫れがなかなか酷くて――おっと」

 説明を聞くのもそこそこに、ソニックはマリオの横をすり抜けて医務室内に足を踏み入れる。目に飛び込んできたのは、左上腕と腰の右側にそれぞれ保冷剤を当ててベッドに腰かけているスミレだった。腰はソニックとぶつかった箇所であり、腕はその反動で壁に強く打ち付けた部分である。トップスピードでこそなかったものの、衝突したときの衝撃と痛みの大きさは想像するに難くない。
 処置を施された痛々しい姿の彼女は、だが心配無用とでも言いたげににこりと笑った。

「痛く、ないか?」
「はい。動かさなきゃ、そんなでもないです」

 それを聞いたソニックはほっと安堵の息をつく。衝突した直後の彼女は自力で立ち上がることすらできなかったのだ。それがこうして真っ直ぐに座って、顔にはやわらかい笑みまで浮かべている。診察を待っている間は気が気ではなかったが、危惧していたほど酷い怪我ではなかったようだ。

「全く、ソニックは相変わらずせっかちだなぁ」

 ため息をつくマリオに続いて、心配そうな顔をした子供達がぞろぞろと中に入ってくる。

「スミレ、大丈夫?」

 真っ先に駆けつけたのはネスだ。彼の不安げな表情を打ち消すかのように、スミレがあっけらかんと笑う。

「平気よ平気。ちょっと休めばすぐ治るって。入院も半日で済むみたいだし」
「えーっ、なんか信用できないなぁ」
「マリオ、スミレの言ってること、本当?」

 疑いの眼差しを向けるJr.とトゥーンにマリオは苦笑を返す。

「まあ、そうだね。ただし、しばらくはこうして冷やさなきゃいけないし、腫れが引くまで……少なくとも今日明日の乱闘は禁止だな」
「ね、そんなに酷くないでしょ」

 スミレは相変わらずにこにこと笑っている。子供達もマリオのお墨付きを得てようやく安心したらしい。そんな彼らの様子を父親さながらの眼差しで見守っていたマリオだったが、次の瞬間「でもね」と言いながら眉毛をつり上げた。その声色に覚えのあるソニックと子供達は思わずぐっと息をつまらせる。説教タイムの始まりだ。

「だからと言って、君たちが彼女を怪我させたことに変わりはないよ。よりにもよって廊下で鬼ごっこだなんて……。今回はまだ軽傷だったからよかったものの、場合によっては大怪我を負わせていた可能性もあるんだ。もっとよく考えて行動しなさい」
「はぁい。ごめんなさい……」
「Sorry、スミレ……」
「そんな、いいの。気にしないでください。ぼーっと歩いてた私だって悪いんですし。ねえマリオさん?」

 彼らの落ち込んだ様子を見て、彼女は困ったようにマリオとソニック達を交互に見やった。穏やかな表情の中に垣間見える申し訳なさそうな眼差しに、一同は揃って口を閉ざす。この顔を見てしまったら、無神経なことなど言えるはずもない。
 しかし、ソニックの胸の内にはいまだもやもやとしたものが渦巻いていた。彼女がなんと言おうと、悪いのは全面的に廊下ではしゃいでいた自分達なのだ。そのあたりの筋をしっかりと通さなければ、今後しばらくは気分よく走ることもできない。

「そうだな……。なら、何かオレにできることはないか?」

 ソニックの申し出が予想外だったのだろう、スミレは目をぱちくりと瞬かせる。戸惑う彼女をよそに、子供達三人はソニックの意図を正確に察したようだ。

「ああ、そっか。確かに、半日入院で二日間の乱闘禁止だもんね」
「スミレ、なんか必要なのあったら俺、取ってくるよ!」
「あ、ボクもボクも! リンゴならクラウンで剥けるから遠慮なく頼めよ!」
「い、いいって。気ぃ遣わなくても大丈夫だよ」

 慌てたように手を振るスミレに、ソニックは心配無用と明るく笑う。

「遠慮すんなって。オレたちがしたくて言ってるんだからさ」
「そ、そう?」

 スミレはなおも困ったように首を傾けていたが、何事か思い立ったらしくふと遠慮がちに口を開いた。

「じゃあ、ひとつだけいいかしら――」




 数日経っても、ソニックはやっぱりもやもやしていた。決してスミレの頼み事が嫌だったわけではない。それが例え『彼女の代わりにフォックスと乱闘を行い、彼の小遣い稼ぎに付き合うこと』だったとしても。
 実質、思っていたほど苦痛はなかった。子供たちと協力しあって時間を区切ったこともあるが、それよりもフォックス自身がスミレを見舞うため早めに切り上げてくれたことが大きい。恐らく連日の彼女との戦いで、懐にも余裕があったのだろう。
 ソニックが煮えきらない思いでいる原因は、それとは別のところにあった。

「結局、あいつのために何かしたってわけじゃないんだよなぁ」

 彼女が強くなりたいがために毎日フォックスと長時間戦っていることは周知の事実だ。だが、強くなるのが目的ならば、戦うのは本人でなければ意味がない。にも関わらず彼女がソニックたちに代理を頼んだのは、ひとえに借金を背負ったフォックスを気遣ってのことである。決して彼女自身のためではない。
 ソニックが怪我させたのはスミレである。ならば、彼女自身に何か返すのが筋というものだ。

「どうしたもんか……」

 そうぼやきながら、ソニックは館から遠く離れたシティを走っていた。高層ビルが建ち並び、車が行き交う街中を、障害物にぶつからないように駆け抜ける。もやもやを振り切るためにこうして遠くまで走りに出たのだが、考え事が邪魔してなかなか楽しくなれない。
 ――ああいうヤツって、何をしたら喜ぶんだ? 走りながら彼は思いを巡らせる。エミーなら、花の一輪でも贈ればそれこそ大喜びするだろう。しかし、相手は穏やかでインドアな大人の女性――ソニックの人生ではほとんど接点のない人種である。どうすればいいのか皆目見当がつかない。
 ソニックは坂道でタイミングよく地面を蹴って勢いよく飛び上がる。建物の壁面やところどころに設置してあるスプリング――シティの住人が好意で設置したものだ――を駆使して駆け登っていくと、彼の視点は瞬く間に一番高いビルを越えた。開けた視界に映る景色に、彼は肩の力を抜いてにっと笑う。
 少し傾いた日の光に煌めくビル群、緻密に計算されて張り巡らされた道路、蟻のようにひしめく人々に遅々と走るミニチュアの車。街を一望できる、ソニックお気に入りの景色だ。
 着地点を探すのは、景色を楽しんでからでも十分間に合う。開放的な浮遊感に身を任せながら眼下の街並みを眺めていた彼の頭に、その時ぴんと閃くものがあった。

「Nice idea!」

 ソニックは落下しながらにやりと笑うと、体を丸めて下に向かってスピンアタックを繰り出した。重力のまま落ちるより数倍速く地上に着地した彼は、善は急げとばかりにシティの外へと駆け出す。
 スマブラ館に向かって全速力で走る彼の表情は、先程までの曇りが嘘のように晴れやかだった。




 目的の人物はいつも通り、談話室にある日当たりのいいソファに腰かけて本を開いていた。

「おーい、スミレ!」

 ソニックが呼びかけると、彼女は顔を上げて眠たげに瞬きをする。どうやら本を読んでいるうちにうとうとしていたらしい。

「あれ、ソニックさん。どうされました?」

 言いながら彼女は本を閉じ、おっとりとした笑みを見せる。ソニックはそんな彼女の元に駆け寄ると、ずいと顔を寄せてにっかりと笑った。

「オレとデートしようぜ!」
「……で、でーとですか?」
「Yes!」

 戸惑いがちに首をかしげるスミレの体を、問答無用とばかりに横抱きにする。こうして抱えながらでも十分なスピードで走れることは、衝突事故の時に同じことをしたので立証済みだ。

「Here we go!」
「ええぇ!?」

 ソニックは彼女を抱えたまま、開いていた窓からひらりと外へ飛び出した。背後から「ソニックがスミレを誘拐しちゃった!」と子供達の騒ぐ声が聞こえてきたが、それもあっという間に遠ざかる。
 目を白黒させているスミレをよそに、ソニックはぐんぐんスピードを上げていった。館の敷地内を出て山道を下り、その勢いのままタウンの大通りを突っ切る。踏み切りを越えようと軽く飛び上がれば、スミレは息を飲んでソニックの首元にしがみついた。

「ほらほら、せっかくの景色なんだ。楽しまなきゃ損だぜ」

 声を掛けると、彼女は固く閉じていた目蓋を怖々と開く。だいぶ恐怖を我慢しているらしく、その表情は固い。

「Don't worry! あんたを落とすなんてヘマ、オレがするはずないだろ?」

 そうしている間にもタウンを抜け、二人は緑の広がる丘陵地帯へと突入した。ゆるやかな起伏のある地形を駆けていくうちに、スミレにも徐々に余裕が出てきたらしい。言葉こそないものの、興味深げな様子で流れ行く風景に見入っている。
 時に全力で直進し、時に大きく蛇行し、そして地形を味方につけてジャンプする。その度に腕の中のスミレがびくりと反応するのが面白くて、ソニックは動きに変化をつけながら走り続けた。
 ――そんなこんなで、ようやく目的地が見えてきた。日ももう落ちかかって、空が真っ赤に染まっている。ベストタイミングだ。

「さーて、しっかり掴まってろよ!」

 そう言って彼はスピードを上げ、傾斜の大きな坂に突っ込むと一際高く飛び上がった。とりわけ勢いのある跳躍に、スミレが小さく悲鳴を上げて顔を伏せる。そんな彼女に顔を寄せて、彼は一言呼び掛けた。

「Hey、見てみな」

 その言葉にスミレは恐る恐る顔を上げ、ソニックに示された方へと頭を巡らせる。と、その瞳が大きく見開かれた。
 オレンジ色に煌めく一面の海。遮るもののない、どこまでも広がる茜空。何もかもが夕映えに染まったその景色に、彼女の口からため息混じりの言葉がこぼれる。

「きれい……」
「だろ?」

 眼前の風景に見惚れているスミレに、ソニックは得意気に笑う。この夕暮れ時の光る海は、彼としてもとっておきの絶景だ。上空から見下ろすこの美しい眺めなら、いつも本ばかり読んで館にこもりきりの彼女も喜んでくれるに違いない。そう思って、彼はここにスミレを連れてきたのだった。
 ――地面を蹴った勢いで上昇を続けていた二人が、ほんの一瞬空中に制止する。その直後、ぼうっと景色を眺めていたスミレがはっと我に返って体を強張らせた。

「ひっ――」
「ぐえっ」

ふわりと内蔵が浮く感覚に、彼女はすがりつく腕にあらん限りの力を込めた。それでソニックの首が完全に絞まらなかったのは、彼女に欠片ばかり残っていた自制心の賜物である。
 そうして、彼らは地上に向けて放物線を描く砲丸投げの球のように落ちていった。




「Sorry、sorry。お嬢様にはちょっと刺激が強すぎたみたいだな」

 からかうようにソニックが笑う。すると、ぐったりと前のめりでベンチに座っていたスミレがわずかに顔を上げ、困ったように微笑んだ。

「お嬢様はやめてください。――にしてもソニックさん、すごいですねぇ。下手な絶叫マシンよりよっぽどスリルありましたよ」
「オレが本気出したらもっと速いぜ。なんせ『音速』だからな」
「はー。想像もできないです」

 感心半分呆れ半分といった様子でため息をついたスミレは、上半身をゆっくりと持ち上げて今度は背もたれに体を預けた。そのまま暗くなりかけている空を仰ぐと、ぽつりと思い出したように呟く。

「スーパー化したら空も飛ぶんですよね。亜光速で」
「お望みなら空の散歩にも招待するぜ?」
「あら」

 茶目っ気溢れるソニックのウインクに、スミレはからからと声を上げて笑う。普段のおとなしい微笑みから一転、花が開いたような明るい笑顔である。

「大変、今度は足腰立たなくなるくらいじゃ済まないですね」

 ――こんな顔が見られただけでも、デートに連れ出したかいがあったってもんだ。楽しそうに笑うスミレを見つめていたソニックはふと、もう少しこの笑顔を見ていたいような気分になった。そうだ、せっかくこうして話す仲になったのだ。彼女を喜ばせるのがこれきりだなんて、勿体ないじゃないか。
 ソニックはベンチに腰かけている彼女の隣にぴょんと飛び乗る。

「ソニックさん?」
「それだ。次のデートまでに、その他人行儀な言葉遣いは直しとかないとな」

 面食らったように瞬いた彼女の目元に、次の瞬間ふわりと笑みが咲きこぼれる。薄闇に紛れて、その頬がほのかに赤く染まっているようにも見えた。




 

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