smile! | ナノ


 図書室の座椅子で静かに本を読んでいるスミレの耳に、どこからかぽよぽよと弾むような音が聞こえてきた。――これはカービィの足音だ。
 彼が文化活動エリアにいるとは珍しいこともあるものだ。読みかけの本を閉じて顔を上げると、ちょうど開け放しの扉からピンク色の球体が跳ね飛んできた。よく見ると、何やら金属の円盤のようなものを頭上に掲げ持っている。どこかで見覚えがあるなとスミレが首をかしげると、カービィは慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。

「スミレ、ちょっとかくまって!」
「えっ?」

 カービィは舌足らずにそう言うと、スミレの返事も聞かずに彼女の背後にある本棚にさっと身を隠した。直後、背中から羽を生やしたメタナイトが猛スピードで図書室に飛び込んできた。彼はスミレの目の前でふわりと減速して着地すると、両翼をマントに変じてばさりとはためかせる。

「スミレ、カービィを見かけなかったか?」

 軽く息を弾ませて問いかけるメタナイトに、スミレは先程のカービィの慌てぶりを思い出してつい苦笑を漏らしそうになった。どうやら、何かやらかしてメタナイトから逃げてきたらしい。
 事情はよく分からないが、すでにスミレはカービィから匿うように頼まれてしまっている。必死にカービィを追いかけてきたであろうメタナイトには申し訳ないが、先約は先約だ。彼女は首を横に振った。

「いえ、私は見てませんけど」
「ここにもいないか。――くそっ、一体どこへ行ったんだ」
「何かあったんですか?」

 そう訊ねると、メタナイトは憤慨した様子で鼻を鳴らした。

「ヤツに仮面を盗られたのだ」

 それじゃあ今その顔に着けてるのは何なんだ。冷静に突っ込みたくなったところをぐっと堪えてスミレはメタナイトの話に耳を傾ける。
 ――その朝、メタナイトは食堂の入り口から一番遠い隅の席で食事を摂っていた。
 食堂の四隅はメタナイトの指定席だ。食事時は仮面の構造上、留め金を一時的に外さねばならない。その隙を狙って仮面を剥ごうとする不届き者(主に子供達)から身を守るためである。
 今日も今日とて、彼はぴりぴりと警戒を張り詰めさせながらも無事に食事を終えることができた。……その時の、ほんのわずかな油断もあったのかもしれない。安堵と共に仮面の留め金を付け直そうとしたところで、タイミング悪くみんなの食べ残しをいただこうとしたカービィの吸い込みに巻き込まれてしまったのだ。
 仮面は押さえる間もなく飛んでいってしまい、慌てて予備を装着した時には、すでに犯人は仮面と共に消え失せていたそうだ。
 ――成程、そういうことだったのか。カービィの持っていた金属の円盤の正体に思い至って、スミレは納得すると同時に思わず笑みをこぼした。

「それは、なんと言うか、運が悪かったですね」

 メタナイトは疲労の隠しきれないため息をつく。

「全くだ。せめて食われてなければいいのだが……」
「まさか。いくらあの子でも、知り合いの大事なものを食べたりはしないと思いますよ」

 そう言ってスミレは微笑む。仮面は無事だということは、自信を持って断言できる。なんと言っても、カービィがその丸い手に持っているのをこの目で確認しているのだから。追い詰められた彼が口の中に仮面を隠すという暴挙に出ない限り、メタナイトの危惧が現実になることはないだろう。

「それにしても、私もちょっとその場に居合わせてみたかったですね」
「……見たいのか?」
「ええ、まあ。それもありますけど――」

 ふと本音を漏らすと、メタナイトが警戒心も露にマントで顔の下半分をガードする。見たいのは山々だが、嫌がっているのを無理矢理剥いでまで見ようとは思わない。スミレには、彼の素顔よりもっと気になるものがあったのだ。

「その、声が聞きたくて」
「声?」

 訝しげなメタナイトにスミレは頷く。

「はい。せっかく素敵な声してらっしゃるのに、普段は仮面でこもっちゃってるので……」

 メタナイトは稀に見る美声の持ち主である。その深く響くクールな低音は、大乱闘の女性ファンの間で熱狂的な人気があるらしいともっぱらの噂だ。かく言うスミレも、彼と相対する度にこっそり美声に聞き惚れている質である。だから、仮面で少しくぐもってしまっているその声を聞いてるとこう思わずにはいられないのだ。

「なんというか、少しもったいないなって」
「……そ、そうか」

 彼は小さく呻いてさらに顔を隠した。仮面のせいで表情は判別できないが、恐らく照れているのだろう。彼はひとつ空咳をして視線をよそに向ける。

「……変化球で攻めてきても、外さぬからな」

 その返事の方がよほど変化球に思えるのは気のせいだろうか。メタナイトの仮面への執着が少しおかしく思えて、スミレはくすくすと笑う。

「仮面の下を見られるの、よっぽどお嫌なんですね」
「ああ。素顔を衆目にさらすくらいなら、怒りと羞恥のあまり憤死する方がマシだ」
「そ、そこまでですか」

 憤死とは、激しく怒るあまり柱に頭を叩きつけたり脳の血管がブチ切れたりして死ぬことだ。メタナイトが柱にぶつかってもぽよんと跳ね返ってきそうだとかその球状の体のどこに脳があるのかとか思うところは色々あるが、スミレはとりあえず素直に頷いておいた。

「それじゃあ、早く返してもらわないとですね。カービィ君を見かけたら、ちゃんと返して謝るように言っときます」
「ああ、頼むぞ。私は中庭を捜してくる」

 そう言うとメタナイトは手近な窓を開け、ばさりと翼を広げて飛び立っていった。その羽音が遠くなっていったことに安心したのか、カービィがひょこりと本棚の後ろから顔を出した。彼は心なしか申し訳なさそうな表情で、怖々とスミレの顔色を伺っている。事の真相を知ったスミレに叱られると思っているのだろう。
 ――そんなに怖がらなくても、怒ったりなんてしないのに。スミレは座椅子に腰を下ろしたまま、やわらかく微笑む。

「怒られるのが怖くて、つい逃げちゃったんだよね」
「……うん」

 今回はただの不幸な事故だ。メタナイトの気が弛んだタイミングと、カービィが残り物を一気に食べようとしたタイミングがたまたま重なってしまっただけ。
 メタナイトの仮面を吸い込みに巻き込んでしまったことに気づいた時、カービィはさぞ慌てたことだろう。彼が素顔を見られることをいかに嫌っているかを知っているのだからなおさらである。それでカービィは反射的に逃げ出してしまったのだ。

「ごめんなさいって言ったら、許してくれるかな?」
「そうね。カービィ君に悪気がないことくらい、メタナイトさんも分かってるだろうし」

 先程話した時の声色や身振りから察するに、メタナイトは呆れはすれども、さほど怒ってはいないようだった。彼がカービィを追いかけてここまで来たのは盗人を叱責するためではなく、ただ仮面を返してもらいたい一心だったのだろう。きちんと謝れば、怒られるとしてもほんの少しで済むはずだ。
 そうは言ってもまだまだ不安は拭えないらしい。カービィは軽くうつむいて足元に視線を落としている。

「もし許してもらえなかったら、またここに逃げてくればいいよ。……それとも、一緒に行った方がいいかな?」

 あくまでも優しく寄り添おうとするスミレの言葉に、カービィは逆に決心がついたようだ。

「ううん、一人で行ける! ありがと、スミレ!」

 彼はにこりと笑って大きく手を振ると、メタナイトの仮面を両手に持ったまま窓に駆け寄って元気よく飛び出していった。――ここ、二階なんだけどな。およそ人間離れしたファイター達の身体能力に苦笑しながら、スミレは閉じた本に挟んであるしおりを撫でる。
 開きっぱなしの窓の外からやわらかな風が吹いて、あくびをした彼女の髪をそっと揺らした。




 次の日も、スミレは図書室にあるいつもの座椅子に腰かけて本を読んでいた。窓の外から薄手のカーテン越しに差し込む朝日と、小鳥の控えめなさえずりが心地よい。
 はらりとページをめくったその時、ふと誰かが入ってくるような気配がして顔を上げる。――今日の客人はメタナイトであるようだ。

「スミレ」

 彼はスミレの目の前まで飛んでくると、ふわりと優雅に床へと降り立った。昨日のは打って変わって落ち着いた雰囲気である。

「仮面、戻ってきたんですね」
「ああ。カービィを説得してくれたようだな」
「い、いえ。そんな大したことしてないですよ」

 スミレは照れて頬に手を当てる。確かにこちらも口を出しはしたものの、最終的に一人で謝る勇気を出したのはカービィ自身だ。スミレはほんの少しだけ後押しをしたにすぎない。
 ともかく、一件落着したようでよかった。スミレが微笑んでいると、メタナイトがためらいがちに言葉を切り出した。

「それで、礼をしたいのだが……しばし、目をつむっていてはくれないか?」
「あ、はい。こうですか?」

 礼とはなんだろうと思いながらも、スミレは素直に目をつむる。瞼の裏の暗闇の中で、金属の擦れる微かな音に次いで、ばさりと羽音が聞こえた。メタナイトが翼を広げたようだ。その風圧でスミレの前髪がふわりと持ち上がった、その直後。

「感謝する」
「ひゃっ――」

 耳元に感じた低い囁きと湿った息遣いに、スミレは思わず肩をすくめた。耳を押さえながらばっと振り返ると、ほんの一瞬マントに包まれて姿を消すメタナイトが見えた。残念ながら素顔は確認できなかったが、スミレにはそんな些細なことを気にする余裕などなかった。
 ――深く響く、クールな低音。限りなくクリアに聞こえたそれは、どう考えても仮面を外した状態で発されたものに違いなかった。

「……反則だって、こんなの」

 スミレは火照った頬を両手で覆ってうつ向いた。しばらくは立てそうにない。視界を閉ざして聴覚が鋭敏になった状態で聞いたせいで、腰に直接響いてしまったのだ。もし立っていようものなら、その瞬間に足腰が砕けてしまって大変なことになっていただろう。
 最初から椅子に座っていて本当によかった、とスミレは心から思ったのだった。




 

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