smile! | ナノ


 ファイティングエリアのエントランスにある柱に寄りかかりながら、スミレはそわそわと人を待っていた。いつも五分前には来ているフォックスが、今日に限って十分も遅刻しているのだ。
 まさか、すでに日課と化している特訓を忘れているわけではあるまい。それとも何かあったのだろうか。マスターの庇護下であるこの館内で事故に遭ったとは考えにくいが、それでも子供たちの悪戯に引っ掛かっただとか、ちょっとした場外乱闘という名の喧嘩に巻き込まれただとかは十分にありうる話だ。
 探しに行くべきだろうかと迷い始めたその時、不意に声をかけられた。

「よお、スミレじゃねえか」

 その声が誰のものか分かる前に、スミレの肩がびくりと跳ね上がる。本人には悪いがすでに条件反射だ。顔をそちらに向けると、思い浮かべていた通りの青い鳥の頭がそこにあった。

「……ファルコさん」
「そんなとこでどうした。――ああ、フォックスを待ってんのか」

 スミレは小さく頷く。

「はい。その、十時に待ち合わせしているんですけど……」
「十時? もうとっくに過ぎてんじゃねえか。真面目なあいつが遅刻たあ、珍しいな」

 ひとりごちた彼に、スミレはぎこちなく笑みを浮かべる。
 彼女はファルコが苦手である。彼を前にすると、どうにも緊張してうまく話せなくなってしまうのだ。
 苦手意識の原因は分かっている。初対面でしつこく追い回されたこともあるが、それ以上にファルコ自身の性格がくせ者なのだ。
 喧嘩っ早く気分屋で乱暴な言葉遣いの目立つ――いわゆるチンピラ。子供の頃から現在まで無害でおとなしい女の子で通っていたスミレは、そういった不良とはまるで縁がなかった。距離を置いていたと言ってもいい。――有り体に言うと、怖いのである。
 表面的な印象で判断するのが良くないことは知っている。本当は仲間想いの熱血漢だと分かってもいる。だが、それでも本能的に恐怖心が先立ってしまうのだ。もはや刷り込みである。

「しっかし、お前も意外と根性あるな。毎日二時間、しかもぶっ続けだろ? 大抵のヤツは一週間もすりゃへばっちまうってのによ」
「そう、なんですか?」
「ったりめーだ。いくら戦闘狂でも、ンな長い時間同じヤツとばっか戦えるか。俺だって付き合ってらんねえよ」

 肩を竦めるファルコ。スミレは微笑みながら腹の前で両手の指を絡ませ、緊張をごまかす。

「そういうもんですか。私の場合は、いつも色々とアドバイスしてくださるので、とても助かってます」
「ほお。ま、確かにお前みたいな弱っちい奴にとっちゃ、ありがたいことだよな」

 それは悪口なのだろうか。それともちょっとした軽口のつもりなのだろうか。あるいはただ単に彼が素直すぎるだけかもしれない。どうとも判断がつかず、スミレは「はい」と曖昧に笑う。

「そういや聞いたぜ。こないだ公式戦で一位になったそうじゃねえか。よかったな」

 思い出したように送られたファルコの言葉に、スミレは一瞬言葉を詰まらせた。胸の辺りに感じるじくじくとした痛みに蓋をして、彼女は笑みを浮かべる。

「あ――そうなんですよ。すごいですよね、私もびっくりしちゃいまして」

 ファルコはそんな彼女の声色から何かを察したのだろう、ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「なんだ、せっかく勝ったってのに浮かない顔しやがって。負けた奴らに何か言われでもしたのか」
「あ、いえ、そういうことじゃないんですが」
「じゃあ、なんだってんだ」

 思わぬ食いつきように、スミレは弱って小さく首を傾ける。別段そこまでして避けたい話題でもないが、人に話すのは少し躊躇われる。何せ、ちっぽけな悩みなのだ。
 しかし、例え煙に巻こうとしても、ファルコがおとなしく退いてくれるかどうか。どうにも彼が納得するようなうまいごまかし方が思い付かず、スミレは諦めて正直に話すことにした。

「ファルコさんは、運も実力のうちだって思います?」
「ああ?」

 柄の悪い返事に一瞬怯んでしまったが、それを押し隠して自身が一位を取ったその乱闘について話を始める。
 その乱闘はプリン、デデデ、ルイージ、そして格闘タイプのスミレで行われた。ステージはオネット。ルールはストック2の生き残り戦である。そこまでは普通だ。スミレが早々にストックを削られ、全員のストックが1に揃う頃にはダメージが100%を越えて限界ギリギリになっていたのも普段通りである。
 事件はその終盤に起きた。
 ステージ最下層の道路でスミレにちまちまファイアボールをぶつけていたルイージが、忍び寄っていたプリンに『ねむる』で天高く打ち上げられた。そして隙のできたプリンをデデデが狙い討とうとしたところを、タイミング悪く暴走自動車が駆け抜けたのだ。
 否応もなくぶっ飛んでいくプリンとデデデ。――最後までステージに残っていたのは、建物の上に出現したハンマーを取ろうと飛び上がっていたスミレだった。

「そりゃまた、あいつらもらしくないミスしたもんだな。乱闘に熱中しすぎてクラクションを聞き逃したのか」
「そう思いますよね。でも、違ったんですよ」

 オネットを車が通過する時は、その警告として事前にクラクションが鳴る仕組みになっている。だが問題の車が通る直前に限って、誰もその音を聞いていなかった。
 ファルコと同じように疑問に思った四人がリプレイで確認してみると、確かにそのとき、普段鳴るはずの警告音が鳴っていなかったのだ。

「なんだそりゃ。マスターのミスか?」
「らしいです。ステージの調整ミスだったそうで」

 すぐさまマスターハンドに連絡を取ると、彼は謝罪とともにそう説明した。それを受けてスミレは「不具合があったのだからこの試合は無効」と一位の辞退を主張したのだが、そうは問屋が卸さない。

「みなさん『運も実力のうちだから』とか『せっかく初めて一位を取れたんだから』とか言って譲ってくれなかったんです」
「いや、普通は逆だろ」
「え? ……あー、言われてみれば」

 確かにそうである。普通は割を食った敗者の方が異議申し立てをするものだ。自分たちの弱さや油断で負けたならともかく、予測のできない不具合が原因とあらば、その理不尽さに憤ってもおかしくない。だというのに、彼らは不満などおくびにも出さず、これまで一度も勝ったことのない新人に華を持たせようとしてくれたのだ。
 なんとできた人々なのだろう。スミレは感心しきりに頷く。

「みなさん、本当にいい人達ですね」
「どうだかな。単にお前がかわいがられてるだけじゃねえか?」
「……だとしたら、ちょっと甘やかしすぎです」

 ファルコの突っ込みに、思い当たる節があって彼女は苦笑を漏らした。おっとりとしていて人当たりのやわらかなスミレは、その性格からいわゆる『いいとこのお嬢さん』のように扱われることが多い。それで得することも多々あるのだが、特に遠慮してもいないのに変に気遣われたり譲られたりすることも少なくない。今回のもそのケースだ。

「ま、それはともかくとしてだ。お前としては、それが納得いかないんだよな」
「はい。もしステージが正常に動いての結果だったら、私もちゃんと受け入れてたと思います。でもやっぱり、素直には喜べないんですよね」

 スミレは肩を竦め、努めて明るく笑う。
 歴戦のファイターたちと渡り合うために、彼女はこれまで地道に努力を積み重ねてきた。毎日二時間行っているフォックスとの鍛練に、様々な状況を想定した個人的なトレーニング。それぞれのファイターが持つ技の研究や、シンプルなどでの腕試しも欠かさない。近頃は公式戦で最下位になる頻度も減ってきて、ゆっくりでも着実に力が付いてきているのが自分でも分かった。それが密かに嬉しかったのだ。
 ――だというのに、初勝利の主な要因は『運』だった。
 努力も実力も一切関係ない、ただの運だ。自分が力を注いできたことは全て無意味だったのだと言われているようで、スミレはおめでとうと祝福の言葉をかけられる度に笑顔の裏で心に痛みを感じていたのだ。

「なら簡単じゃねえか」

 切れ長の青い眼をきょとんと見上げたスミレの頭に、ファルコはぽんと軽く手を載せる。

「次は実力で勝ちゃあいい。だろ?」

 ――ああ、なんだ、そんなことだったのか。すっと胸のつかえが取れたような気がして、スミレはふわりと微笑む。

「それもそうですね」

 過ぎたことをいくら悔やんでも、それが変わるわけではない。なら結果は結果としてありのままを受け入れて、次の機会に頑張ればいい。そんな簡単なことに気づかないほど後ろ向きになっていたことに、スミレはようやく気がついた。

「おーい、スミレ!」

 不意に聞こえた呼び声に、スミレはぱっとそちらに顔を向ける。するとフォックスが本館に繋がる廊下からこちらに走ってくるのが目に入った。かなりの全速力だ。

「すまない、遅れ――あれ、ファルコと話してたのか?」

 彼はスミレと共にいる友人の姿を認めると、スピードをゆるやかに落とす。軽く息が上がっているフォックスに目をやると、ファルコはふんと鼻を鳴らした。

「遅えぞ、フォックス。いつまで待たせやがる」
「何言ってるんだ、ファルコを待たせた覚えはないぞ。それよりすまない、スミレ。さっき、むらびとの落とし穴にはまってしまって」
「あらら、大丈夫でしたか?」

 むらびとは一見すると無邪気な少年であるが、実際は悪ふざけやイタズラが大好きな成人男性だ。――そう、歴とした成人男性だ。子供たちに交じって駆け回っている姿は、外見と実年齢のギャップでマルスを硬直させたスミレよりもよっぽど詐欺である。
 見た目どうこうの話はさておき、むらびとのイタズラは大人であるぶん悪質だ。見え見えの落とし穴を避けた先に本命の落とし穴があったり、中にぬるっとした白い液体が仕込まれていたり、穴がやたらと深くて壁が登れないくらいつるつるに固められていたり――。命の危険こそないものの、嫌がらせのレベルが遥かに高い。フォックスもそんな悪質な彼の罠にかかってしまっていたのだろう。

「参ったよ、穴に落ちたら竹槍だらけでさ」
「竹槍ですか!?」

 前言撤回である。むらびとは想像以上に過激なようだ。

「よく生きて帰ってこられたな」

 ファルコの呆れたような眼差しを、フォックスは平然と受け止める。

「咄嗟に二段ジャンプができてよかったよ。でもさすがに危ないから、ちょっと説教してきたんだ」
「ああ、これ以上エスカレートしたら死人が出ちまうしな」

 彼らはそう言って、じっとスミレの顔を見つめた。二人の何か言いたげな眼差しに、彼女は照れ臭さと気まずさの入り混じった気持ちでふいと目をそらす。

「……そこまでドジじゃないですよ」
「でも、よくつんのめるじゃないか。しかも何もないところで」
「テーブルだの壁だのにもよくぶつかるしな」

 スミレはぐっと声をつまらせる。

「思えば乱闘でも、勢い余っての落下死が多いような」
「そういやこの間、階段ですべって危うく転びかけてたのも見たぜ」

 成人女性とはとても思えない所業の数々に、スミレは声にならない呻きを漏らして真っ赤になった顔を手で覆う。確かに足元が疎かになるのはこちらの咎だが、だからと言ってこの年でドジっ子呼ばわりは勘弁してもらいたい。

「うー……やめてください、恥ずかしい。もう、それより早く乱闘ルーム行きましょうって」

 恨みがましげな視線を送る彼女に、フォックスとファルコが笑う。

「それもそうだな。それじゃあファルコ、俺たちはこれで――」
「いや、今回は俺も付き合わせてもらうぜ」

 ファルコのその言葉に、フォックスが思いきり目を剥いた。その眼差しには『どういう風の吹き回しだ』という驚きがありありと表れている。彼が自分たちと乱闘しようと申し出たのがよほど意外だったらしい。ファルコは半眼になってフォックスを睨む。

「ンだよ、その顔は。ちっとばかし手持ちが厳しいだけだっての」

 ワントーン落とされた友の声音に、フォックスが呆れたように額に手を当ててため息をつく。

「全く、普段は俺が誘っても逃げる癖に。……で、スミレもそれでいいか?」
「はい、是非」

 少し前のスミレなら、そう言って二人に曇りのない笑みを向けることはなかっただろう。スミレの胸には、ファルコに対する恐怖心などもうほとんど残っていない。分かったのだ。少しばかり短気でも、嘴のせいで表情が読みづらくても、きちんと腹を割って話せばなんてことはない。怖がる必要などどこにもないのだ。

「今日はファルコもいるし、二人から同時に狙われた場合の対処法でも勉強しようか」
「ああ? こいつには難易度高すぎねえか?」
「そうでもないぞ。これでも、スミレはなかなか強くなったんだ」
「ほーう。ま、最初の優勝は運だったがな」
「ファルコ!」

 フォックスが咎めるが、ファルコは涼しい顔だ。からかわれたはずのスミレも楽しげに笑っている。というのも、彼女には二人が何を思っているのか手に取るように分かったからだ。フォックスは今回の勝利に納得のいっていない彼女の気持ちを気遣い、傷つかないように守ろうとしてくれている。そしてファルコは――。

「次はそうならねえように、俺たちが鍛えてやらねえとな」
「ふふ。よろしくお願いします、お二方とも」

 ファルコは嫌なことや辛いことを乗り越えさせて、スミレをより強くしようとしてくれている。少々分かりづらいのは難点だが、よくよく観察すれば乱暴な言葉遣いの裏に隠れた真意も見えてくる。
 そう、方向性は違えども、双方とも自分を思ってくれているのだ。それが嬉しくないはずがない。自分のことで言い合いながら乱闘ルームへと赴く二人に付いていきながら、彼女はくすくすと笑った。




 

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