smile! | ナノ


 うららかな春の陽気も、過ぎれば立派な初夏となる。
 夏とまではいかないが、昼寝をするには日差しが強すぎる五月のある日。午後一時の公式乱闘を終えたスミレは、汗のにじむ額を拭いながら食堂へと向かった。
 食堂の隅にある共用の冷蔵庫には常に様々なアイスが入っている。もちろん、誰が食べてもいいものだ。二日前に女性陣と食べた時には、確かまだ三箱余っていたはずだ。今日自分が一本くらい頂戴したところで、さして問題はないだろう。この暑さでは、アイスの一本でも食べないとやっていられない。
 そう思って冷凍室を開けたスミレは、だがげんなりとした顔でため息をついた。

「最後の一本……」

 これは困った状況になってしまった。
 今日は五月にしては気温が高い。普段動かないスミレでさえ汗をかくくらいなのだから、外で元気に活動している若者達はもっと暑いと感じているはずだ。きっとスミレの後にも、アイス目当てで食堂に訪れる人は何人もいるだろう。そうして、空っぽの冷蔵庫の前で全員が意気消沈するのだ。そう考えてしまうと、罪悪感が立ちはだかって食べようにも食べられない。
 それならいっそ、冷たい飲み物で済ませてしまおうか。冷凍室をばたんと閉めて冷たい茶の入っている冷蔵室へと伸ばされかけた手は、取っ手に触れる直前でぴたりとその動きを止める。
 スミレが手を出さなかったとして、遠からぬうちにこの最後の一本はなくなるだろう。となると、やはり後続のファイターはアイスを食べられないことになる。そんな彼らの落胆する様子を見れば、アイスが残り少ないと知っていて対処しなかったスミレは多少の責任を感じてしまうだろう。どちらにせよ、肩身が狭く感じることは確実である。

「んー、どうしよ……」

 いや、そもそも自分がこうして悩んでいるのはアイスが一本しかないからだ。ならば解決策は単純である。数を増やせばいい。
 そうだ、そうしよう。そうすれば自分もなんら気負うことなくアイスを食べられるし、メンバーのためにもなる。おまけに善行をした自分の気分も良くなると、まさに一石三鳥だ。

「うん、買いに行くかな」

 スミレは自分を鼓舞するように声に出して宣言すると、ちらりと窓の外を見やって眩しく光る青空にげんなりとした表情を浮かべた。山の中腹に建てられているスマブラ館から最寄りの町であるタウンまでは、徒歩で片道二十分もある。だがメンバーにこっそりと貢献できるというひそやかな喜びは、その道のりの辛さに勝るとも劣らない魅力だった。



 四箱のアイスの入ったレジ袋を両手に提げながら、スミレはスマブラ館に続く山道を登っていた。整備されているとはいえ、両手に荷物を持った状態で登り坂を歩くのはきつい。だが、彼女は決してその足を止めはしなかった。ドライアイスがあるとはいえ、アイスの寿命は有限だ。その命が尽きる前に冷蔵庫に入れなければ、せっかくの苦労が水の泡となってしまう。

「はぁっ――あ、あとちょっと……」

 レジ袋が指の付け根に食い込んで痛い。やっとの思いで坂を登りきったスミレは、こめかみを流れる汗もそのままに門を潜って館のエントランスへと入った。やはり屋内は日に当たらない分、外に比べて幾分か涼しい。彼女はほっと息をつき、荷物を持ち変えると空いた手でハンカチを取り出してそっと肌に当てる。
 食堂はこのエントランスから右に歩いてすぐのところにある。そこまで行けばようやくゴール、ついにアイスにありつけるのだ。
 そんな期待を胸に食堂へと向かったスミレは、そこで異様な光景を目にした。

「待てぇ、カービィ!」
「よくもやってくれたなー!」
「楽しみにしてたんだぞ!」
「うわーん、ごめんってばー!」

 ネスとトゥーン、それからクッパJr.が一緒になってカービィを追い回している。どうやら遊んでいるわけではないようで、大乱闘ばりに攻撃まで駆使しているという本気ぶり。その余波で食堂内はめちゃくちゃだ。止めようとする者は一人もいない――というより、不幸にもこの場にいるのはワリオやむらびとなど、間違っても喧嘩の仲裁をするような面子ではなかった。むしろ積極的に煽っている。

「あの、どうしたんですか、この状況」

 ちょうど難しい顔で入り口の脇に立っていたクッパに訊ねると、彼は身を屈めて彼にできうる限りの小声でスミレに囁きかける。

「おお、スミレではないか。それが、困ったことになっておってな――」

 クッパの話はこうだった。
 今から遡ることちょうど三十分前、ネス・トゥーン・クッパJr.の三人がアイスを食べようと食堂を訪れた。しかし、冷蔵庫に残っているアイスは一本だけ。彼らは誰が食べるか乱闘で決めようとしていたのだが、その隙に何も知らないカービィがアイスをぺろりと平らげしまった。当然三人は怒り心頭。それがヒートアップしてこんな状況になってしまった、ということらしい。
 なるほど、とスミレは納得すると同時に安堵した。それならば解決の手立てはすでに手中にある。もう少し早く帰ってこられたらこの争いも勃発しなかったのだろうが、こればかりはタイミングが悪かったとしか言いようがない。

「あの、アイスならちょうど買ってきましたよ」
「なんと、それはでかしたのだ! おおい、みな! スミレがアイスを買ってきてくれたぞ!」
「本当!?」

 クッパの号令に、カービィを追いかけていた三人がぴたりとブレーキをかけた。振り返った顔は、先程までの怒気など欠片も感じさせない満面の笑みである。

「やったあ! スミレ、ありがとう!」
「わーい、スミレ大好き! 俺、もうお腹すいちゃったよ」
「あっ、ずるいぞトゥーン、ぼくが先だぞ!」

 ネスが腰に抱きついてきて、体勢を崩しそうになったスミレは思わずたたらを踏む。次いでトゥーンとJr.の二人がレジ袋を受け取ろうと手を差し出してきた。これ幸いと重たい荷物を渡そうとした彼女の目に、寂しげな顔でへにょんと楕円形に潰れているカービィの姿が目に入った。それを視界に入れた瞬間、彼女は反射的に両手を上げる。

「ス、ストップ、だめ! 交換条件!」
「交換条件?」
「へへーん、そんなの関係ないもんね!」

 トゥーンがきょとんと大きな目を瞬かせる。その隙に、Jr.が大きくジャンプした。あわやアイスが奪われそうになったそのとき、クッパがひょいとスミレの持っていたレジ袋を爪に引っかけて高く持ち上げた。

「人の話はちゃんと聞くのだ、Jr.よ」
「ぶー」

 息子には甘々だと思っていたが、どうやらしつけはちゃんとしているらしい。

「ありがとうございます、クッパさん。――それで、その、三人とも。カービィくんと、仲直りしてほしいな」

 改めて条件を持ちかけると、彼らは不満げに唇を尖らせる。

「えー、だってカービィが悪いんだよ」
「そうだよ。あっちが先に最後のアイス食べちゃったんだし」
「でも……」

 子供たちの反論にスミレは表情を曇らせる。確かに彼らの言い分もわかる。けれど、いつまでもギスギスしている人を眺めるのは心が痛んで仕方がないのだ。それが知り合いであるならなおさら。だがそれはスミレの事情である。きっと、彼らにとっては押し付けがましいことでしかないはずだ。
 すると、そんなスミレの顔をじっと見ていたネスがわざとらしく、ふうとため息をついた。

「しょうがないなあ。二人とも、カービィに謝ってこよっか」

 突然意見を翻したネスに、トゥーンとJr.が顔を見合わせる。

「なんで?」
「だってほら、スミレが困ってるじゃないか」
「がふっ」

 口から変な音が出た。二重の恥ずかしさに耐えきれずスミレは口元を覆う。まさかこの歳になって子供たちに気を遣わせてしまうとは思わなかった。しかも喧嘩の仲裁を買って出ている立場で。思い通りにならなくて愚図るだだっ子はどっちだという話だ。
 顔から火が出そうになっている彼女を見てどう思ったのか、トゥーンとJr.もお互いに顔を見合わせて晴れやかに笑う。

「そうだね、謝ろっか。俺、もう怒ってないし」
「じゃあ、ぼくも!」

 三人は笑顔で踵を返し、カービィのところへと駆けて行く。はた目には美しい光景だが、スミレにとっては複雑だ。

「カービィ、さっきは追いかけたりしてごめんよ」
「俺たちもちょっと大人げなかったよな」
「しょーがないから許してやる!」
「みんな……」

 口々に謝る(一部除く)三人に、カービィはその瞳にうっすらと涙を浮かべる。その涙を短い手で慌てて拭った彼は頷くように顔の位置を上下させる。

「ぼ、ぼくも! その、アイスひとりで勝手に食べちゃって、ごめんなさい!」
「もういいよ。ほら、みんなでスミレにアイス貰いに行こう!」
「――うん!」

 ネスがカービィの手を取り、四人は共にこちらへと戻ってきた。どの顔も、どこかすっきりしたいい笑顔である。

「スミレー、ちゃんと仲直りしたぞ! 早くアイスちょうだい!」

 元気にクラウンで跳び跳ねるJr.に、スミレは苦笑する。なんというか、彼は最初から最後までアイスしか見ていないような気がする。

「うん。みんなありがとう。なんかその、ごめんね」
「なんでスミレが謝るの? 変なのー」
「……そうね。そうかもね」

 こちらの我が儘で無理に謝らせてしまったかもしれないとスミレはほんの少し罪悪感を抱いていたのだが、どうやら本人たちは気にも留めていないらしい。助かった。
 トゥーンの言葉に彼女はは吹っ切れたように微笑み、クッパから受け取ったレジ袋を四人に差し出す。

「はい。今度は喧嘩しないで食べてね」
「はーい!」

 彼らは全身で喜びを表現しながら、まだ無事なテーブルまで競争するかのように走って行った。子供たちが喧嘩をやめてしてしまったことがつまらないのか、ワリオやむらびとは欠伸をしたり肩を竦めながら食堂を去っていく。実に見事な野次馬根性である。

「ガッハッハ! よくやったのだ、スミレ! 褒美にワガハイの軍団に入れてやろうではないか」

 クッパが機嫌良くスミレの背をぽんぽんと叩いた。痛みがないよう手加減してくれている辺りが彼の紳士っぷりを表している。

「そんな、私は何もしてないですよ」

 そう、今回彼女は何もしていない。できなかったと言った方が正しい。ただ、彼女の気持ちを汲んだ子供たちが自発的に動いてくれただけだ。それをさもこちらの手柄であるように誉められても、心境としては複雑だ。

「謙遜するでない。あの子供らを見てみるのだ」

 クッパは子供たちのいる方を指差す。

「ワガハイでは、ああも上手くはいかなかったぞ」

 目を向けると、そこには楽しそうにアイスを囲む四人の子供たちの姿があった。思い思いのアイスを手に喜ぶ彼らを見ているとなんだかこちらまで嬉しくなってくる。

「――そう言っていただけると嬉しいです」
「うむ、素直なのはよいことだ」
「スミレー!」

 和やかにクッパと言葉を交わしていると、ぽよぽよと独特の足音を立ててカービィが駆け寄ってきた。その手には未開封のビニールに包まれた棒アイスがある。指もないのにどうやって掴んでいるのかは永遠の謎だ。

「これ、あげる!」
「あら、いいの? ありがとね」

 差し出されたそれを受け取ると、彼は「どーいたしまして」と舌足らずに返して他の子供たちのところへ戻っていった。渡されたブドウアイスを見下ろしたスミレは、思わず噴き出しそうになった。もとはと言えば自分が食べるためにアイスを買いに行っていたはずだったのに、とんだ騒動に巻き込まれてしまったものだ。

「ほほう、まさかあの食いしん坊から食べ物をもらえるとは。よほど気に入られたようだな、スミレ」

 クッパの言葉に、スミレは嬉しいやら照れ臭いやらで顔を赤らめた。元々感謝されようと思ってやったことではないということが、その恥ずかしさに拍車をかける。
 ――でも、それでもやっぱり、人に好かれるのは嬉しい。スミレはクッパを見上げて、赤い顔のままおっとりとした笑みを見せた。




 

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