smile! | ナノ


 フォックスのブラスターをジャンプで軽やかに飛び越えて、スミレは大きく彼との距離を詰める。そのまま空中から急降下で攻撃を加えるも、緊急回避でなんなく躱されてしまった。
 ――ひやりと冷たいものが心臓に触れる。硬直が解けた直後に全力で逆方向に転がると、間一髪で鼻先をフォックスの靴が掠める。ほっと胸を撫で下ろすスミレと対照的に、スマッシュを避けられたフォックスは悔しげに歯を剥いて唸った。隙のできた相手にスミレはすかさずダッシュ攻撃の蹴りを叩き込む。
 軽く吹っ飛んだフォックスに追い討ちをかけようと飛び込んだが、まんまと二段ジャンプを行われて空振りしてしまう。そこで追撃を諦めることなく、スミレは空中で半月を描くように大きく飛び上がってキックを繰り出した。反応の遅れたフォックスはまともに攻撃を食らい、さらに吹っ飛んでいく。
 一進一退の攻防を繰り返し――最終的に撃墜されたのはスミレだった。




 リザルト空間を抜けた二人は、軽い倦怠感を覚えつつも互いの健闘をたたえ合う。

「うう、もうちょっとでいけると思ったのに……。やっぱり強いですね、フォックスさん」
「まだまだ、後輩に負けるわけにはいかないからな。だけどなかなか上達したな、スミレ。今回ばかりは俺もやられるかと思ったぞ」

 ふふ、とスミレはくすぐったげに笑みをこぼす。幾つになっても、誉められるのはやはり嬉しいものだ。自分できちんと成長していると実感できる分野であるから、喜びもひとしおである。

「ありがとうございます。もう大分フォックスさんと戦ってきましたからね。なんとなくですけど、対策が分かってきた気がします」

 そう冗談めかして笑うと、ふとフォックスの表情が陰った。しまった、とスミレは思わず口元に手を当てた。今のは少々おふざけが過ぎた。もしかしたら先程の言葉が『フォックスさんって思ってたより弱いですね』という意味に捉えられてしまったかもしれない。連日の乱闘で仲良くなれたと思い込んで、調子に乗りすぎてしまっただろうか。

「あの、フォックスさん……?」

 不安げに伺い見ると、彼ははっと我に返ったように目を見開いた。

「あ、ああ、すまないな。スミレも大乱闘に慣れてきたし、そろそろ俺と乱闘するのも嫌になる頃かなって思ってさ」

 フォックスは少し俯いて困ったようにはにかむ。その言葉の意味がすぐには飲み込めず、スミレは目を瞬かせた。自分の言葉のせいではなかったことには安堵したが、フォックスは何を言っているのだろう。彼と戦うこの時間を苦痛に思ったことなど一度もないというのに。

「そんな、嫌だなんて」
「無理をしなくてもいいんだぞ。毎日毎日、俺の都合でこんなに長い時間付き合わせてしまってるんだ。君だって、もっと他にやりたいことがあるんじゃないのか?」
「……やりたいこと、ですか」

 スミレがそうひとりごちると、フォックスはすまなさそうに目尻を下げた。尻尾も彼の気分に同調してかだらんと重たげに垂れ下がっており、成人男性らしからぬ構ってやりたさを醸し出している。
 ――彼との特訓をそっちのけにしてまでやりたいこと、か。スミレはそう考えて、微かな笑みを口元に浮かべた。そんなものがあったら、とうの昔に伝えている。
 人当たりのやわらかな彼女には意外に思われがちなことではあるが、彼女は自分の気持ちを押し殺してまで相手に従うようなお人好しではない。やりたいこと、やらねばならないことがあればそれを優先するし、相手の誘いを断ることも躊躇しない。フォックスはその辺りを誤解しているのだろう。

「あのですね」
「な、なんだ?」

 ずい、と一歩踏み出したスミレにフォックスがたじろぐ。その表情には『彼女が自分の元から離れていくのではないか』という不安がありありと見て取れた。そんな彼の顔を斜め下から見上げながら、彼女は口を開く。

「私、けっこう自分勝手なんですよ」
「――え?」

 ぱちぱちと瞬きをするフォックスに、スミレはにこりと笑みを見せた。

「フォックスさんとお話しするのが好きです。乱闘も、自分がちょっとずつ成長しているのが確認できて楽しいです。その後にゴールドが手に入ったフォックスさんが喜ぶのを見てると、すごく嬉しくなるんです」

 つらつらと二人で乱闘をする利点を挙げていくスミレを、彼は目を見開いてまじまじと見つめる。

「私は、自分のやりたいことをやってるだけです。フォックスさんが気に病む必要はありません」

 そう、何も問題はない。スミレがこうしてフォックスと長時間の乱闘に勤しんでいるのは、他の何をするよりも彼と共にいるのが有益であると彼女自身が判断し、望んだことなのだから。
 言うべきことは言った。これで誤解も溶けただろうか。そう安心しかけたスミレだったが、フォックスはなんの反応も示さず、ただただ無言でこちらを見下ろしている。そんな彼に不意に不安を覚えて彼女は眉根を下げる。

「……ち、違いましたか。ひょっとして、いつまでも弱い私に嫌気が差して――」
「い、いや、そんなことはない! スミレは素直で飲み込みも早いし、どんなにキツい反復練習でも絶対に弱音を吐かない強さを持っている。教えてる俺が誇らしいくらいだ!」

 突然我に返ったフォックスの噛みつくような勢いに、スミレは驚いて口をつぐむ。真剣な眼差しのフォックスと、呆気に取られているスミレ。ほんの数秒の沈黙を先に破ったのは、見つめ合っている状況に照れて噴き出したスミレだった。

「ふ、あははっ。――なんだ、よかった。安心しました」

 実は、スミレも密かに不安だったのだ。もう二週間もフォックスと特訓しているというのに、彼女はいまだに公式乱闘で一位を取れた試しがない。なかなか結果を出せない教え子に、平気な顔をしながらも本当は呆れているのではないかと。
 どうやらお互いに、取り越し苦労をしていただけらしい。本当に良かった、とスミレはくすくすと笑う。
 そんな彼女の楽しげな笑い声に触発されたのか、フォックスは軽く、安堵とも呆れともつかない息をついた。

「それはこっちの台詞だ。なんというか、スミレは本当にいい子だな」
「うーん……いい子、ですか」

 スミレは曖昧に笑う。その言葉を喜ぶには、彼女はほんの少しひねくれていた。
 自分がいい子であるとは、彼女は決して思っていない。本当のいい子というのは、他人のために自分の気持ちを殺せる人のことだ。自分より他人を優先し、それを苦痛だと思わない。困っている人を見過ごさず、心から他人のことを考えることができる人こそがそう呼ばれるに相応しい。
 スミレはそうまでして他人に尽くすことができない。そもそも、親切や人助けをする動機が不純なのだ。
 自分が嫌な思いをしたくないから、相手を助けることが自分にもプラスに働くから、人が笑うと自分もいい気分になれるから。――他人の目にどう映ろうが、彼女の行為はひとえに自分のためでしかない。そんな様でいい子を名乗ろうとは、おこがましいにもほどがある。

「……まあ、そういうことにしときましょうか」

 だが、スミレはフォックスの言葉を訂正することはなかった。いい子として見られることが、自分に様々な恩恵をもたらすことを彼女は知っている。それに、せっかくのいい雰囲気なのだ。ここで反論してそれに水を差すよりは、曖昧に濁しておいた方が双方にとって都合がいい。
 さて、悪い方の誤解も解けたことだ。もうそろそろ次の乱闘を行わなければ、今日の稼ぎが大幅にダウンしてしまう。気落ちしたフォックスを見るのは罪悪感と胸の痛みが容赦なく襲ってくるので、できれば避けていきたいところだ。……無論、これも自分のためである。
 上機嫌のフォックスを促すように、スミレは乱闘内容設定用のモニターの前に立つ。

「フォックスさん。そろそろ、次のステージ行きます?」
「え? ああ、そうだな。じゃあ次は『オービタルゲート周域』にしようか。スミレは集中しすぎて周りが見えていないことがよくあるから、次々と移り変わる状況に対応できるように練習しないとな」

 慣れた手つきでいつものようにステージを選択するフォックスに、スミレは穏やかに微笑む。あんな風に辛そうな顔をして気を遣われるよりも、やはりいつものフォックスでいてくれる方が何百倍も嬉しい。
 彼が――いや、彼だけではない。自分を取り巻く全ての日常が穏やかに笑っていてくれるなら、スミレはいくらでも『いい子』でいられる自信があった。




 

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