猪突猛進!
私は今年で二歳となるメス猪だ。
人間でいえば、もう出産もできる大人のメスへの階段を登り始めた一番美味しい年齢である。
さて、今日は異母兄弟の旅立ちの日だ。
猪社会に置いて、オスは元々一年ぐらいから単独行動を取るのだが、私の兄の事情は少し特殊だ。
一年前に死んだ母の頭を被っているこの兄は、これから人間の社会で暮らしていく道を選んだようだ。
そう、この兄は人間だった。
子供の頃はまったく気にしなかったが、大人になるにつれ、つるつるの肌や四足歩行をせずとも、二足で歩けるこの兄に疑問を抱いたものだ。
やがて、山の中で見かけた人間というものを見て、あぁコイツはこれなのかと考えに至った。
そして、兄は先日、山に入ってきた黒い格好の人間のオスから刀を奪って、己の道を決めたらしい。
元々名前持ちらしいから、こうなることは予想していた。
人間の発音はできないが兄は「嘴平 伊之助」という名前を持っているらしい。
「ぶもも(いのすけ)」
二振りの刀を腰に巻き付けている兄を見る。
兄は虚ろな母の頭を被ったまま無言で私を見ていた。
「……お前、美味そうになったな」
「ぼもっ!?」
あまりの衝撃に兄の手を噛む。
なんという恐ろしいことを口にするオスなのだ。
妹のことを食べようとするなんて、最悪である。
「痛ぇ!何すんだてめっ」
ベジっと鼻の当たりを殴られた。
超痛い。
くそう、今生の別れになるだろうからと、切ない気持ちになった私の想いを返せ!
いや、私が馬鹿だったのだ。
この兄が大人しくしんみりと別れるような玉じゃないことはわかっていたじゃないか。
「ぶももぶもふっ!(いのすけ死ねっ!)」
鼻息荒く突進し、兄のケツに小さな牙を突き立てる。
「コロス!」
ほんの少しケツから流血沙汰になって、あの二振りの刀を振り回す兄だったが、私は余裕でぴょんぴょーんっとやつの攻撃を躱した。
「ぶふふぶぶふぅ」
馬鹿にした笑いを込めて挑発する。
ぷんすかと怒り始めた兄だったが、突如刀を下ろして静かになった。
ふんふんっと警戒しながら、少しだけ距離を詰める。
不意に作り物の瞳が光った気がした。
そっと屈んだ兄に近づく。
「……夢」
それは兄が勝手に私を認識するためにつけた名前。
コツンっと、額と額を合わせられる。
「元気でな。腹いっぱい食って、いっぱいガキでも作っとけ。人間に捕まんじゃねぇぞ。俺以外に食われるなよ!」
「ぶもも……(いのすけ……)」
まさか、あの兄がしんみりするとは。
泣きそうになって、瞳がうるうると潤む。
こんな殊勝な兄は見たことがない。
スリスリと身を寄せたところで、私は大きく後悔する。
ガツンっっっ!!と大きな衝撃が額に走った。
ぐらぁっと世界が揺れる。
お、おのれ……!
こいつ、やりやがった……!
「ぶわはははっ!!馬鹿め、バーカバーカ!!俺がやられたまま去ると思ったか!ぶわはははっ!俺が一番強いのだ!!」
フンフンっ!と上機嫌に鼻息を荒くし、ぐるんぐるん腕を回している兄に殺意を覚えた。
「ふぼもーぶふぉ!!」
二度と戻ってくんじゃねぇ、このクソ野郎!!
それが私と兄──伊之助との最後の会話だった。