──空白となったとある病室の名前欄に気付いたのは、一週間ほどベッドの上で寝込んでいた次の日の昼だ。

「……あら、どうしたの?」

やはり誰もいないガランとした病室を覗いていたら、不意に後ろから看護士の女性に声をかけられる。

「……あぁ、夢野さんなら数日前に退院したのよ」

「そうですか」

寝間着の上に肩から羽織っていた上着の裾を撫でてから笑みを返した。

二十代後半の看護士の女性は頬を染めて言葉を続ける。

「でも本当に奇跡的よね。彼女……」

「そうですね。……また学校で彼女のヴァイオリンが聴けると思うと、楽しみです」

ふふっと小さく微笑めば、女性は一瞬考察してから合点がいったように笑顔を浮かべ、そのまま表情を暗くする。

「同じ学校だったのね」

「はい。事故の前は、いつも屋上から彼女のヴァイオリンの音色が響いていましたから」

芯のある真っ直ぐで素直な音色にいつも心奪われていた。

「……そう。でも彼女、引っ越すみたいなこと言っていたけど」

「そう……ですか」

俺の返答を聞いた後、彼女は会釈をして廊下を歩いていく。


白い天井を見上げながら、ふぅっと息を吐いた。

呼吸が苦しいのは病のせいか、それともこの胸の奥にある喪失感のせいか……

同じ喪失感を味わうのは二度目。

一回目は、半年以上前にテレビから流れたニュースで彼女の名前が呼ばれた時だった。


……もう、俺の人生に君は現れないかもしれないな。

テニスを失いかけている俺に、さらに追い討ちをかける神様とやらを恨みたい。



瞬間的に真田の声が脳裏に蘇った。

……そうだ。
まだ失っていない。

俺を待っている仲間の元に、必ずあの場所に戻るんだ。

そして、全国三連覇を果たしたら……君の音色を探そう。



(side 幸村精市)

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