短編 | ナノ


「本当に良かった、生きていてくれて…」

ずっと昔から変わらない『PARTYS BAR』のカウンターをすっと指先でなぞった。バーは本日も盛況。片手にカクテル、もう片手には手配書。そこには左目の下に小さな傷を残した、あの頃と変わらない快活な満面の笑顔があった。

「ええホントに。一時はどうなることかと…」
「ダダンなんか荒れていたものね…。酒浸りになってしまって」

そんなダダンも今は嬉しそうに顔を綻ばせて、山賊のみんなや村長たちと赤ちゃんを囲んでいる。その子を抱き上げた様は実に幸せそうだ。それにルフィを活躍を心からみんな喜んでいた。二年前の『あの日』の私達には、こんな日々が訪れるなんて 想像すらできなかっただろう。いつも笑顔を絶やさないマキノちゃんが、あんなに苦しそうに涙を流していたのを見たことがなかった。村長だっていつもはしかめっ面をして怒っているのに、覇気がなくて口数が極端に少なかった。ダダンは言わずもがなだし、ドグラやマグラも言葉少なく眉を下げていて俯くばかり。山賊の皆もそう。何も彼はここではルフィにとっての兄弟だっただけではないのだ。皆にとってもかけがえのない家族であったのだから。

「あなたもよ、アキラちゃん」
「え?」

突然見透かすように私に真っ直ぐな眼差しを向けたマキノちゃんは、いつもの穏やかな優しい表情とは違い真剣な表情をしていた。

「あなたあの時とても苦しそうで、爪が食い込むくらいの力で拳を作ってて…今にもガープさんに食ってかかるんじゃないかと冷や冷やしたわ」
「な…、何もそんなことしないよ」
「何言ってんだい。いつだったかルフィたちがガープにボコボコにされてたのを初めて見た時、すぐあのジジイに向かってっただろうが。そんな大人しいタマかい」
「…ダダンまで」

いつの間にこちらまで移動してきていたのか、どんちゃん騒ぎの中心だったはずのダダンは、隣で酒を仰いでいた。空にしたコップにすかさずマキノちゃんが酒を注ぐ。

「負けん気だけならアイツ等の比じゃなかったお前が何を殊勝なことを…。似合わないことは止めときな。我慢は体に悪いだろうよ」
「…我慢なんか、してないよ」

確かにあの時。事が落ち着いてガープじいちゃんが帰ってきた時、私だって問い詰めたくなった。どうして、と。内側で真っ赤な感情が渦巻いてグラグラ煮えていて、歯を食いしばっていなければどんな酷い言葉が口から出ていたか分からないくらいだった。だけど、

「じいちゃんの顔見たら何も言えなかったんだよ…あんな顔、一度も見たことなかったから」
『………。』
「それに言いたいことは全部ダダンに取られちゃったし。何より、ダダンも言ったじゃない」

“一番辛いのはルフィのヤツさ!”

その言葉を聞いた時、ルフィすらいなくなってしまうのかと戦慄した。ひょっとしたら一人でまた子どもの頃のように泣いてやしないかと、自分を追い詰めてエースの後を追ってしまうのではと背筋が寒くなった。そうなってはもう、無事を祈ることしかできなくなってしまったのだ。

「………そんなことも言ったかね」
「老化現象?」

ゴン。

「〜〜〜いッッッつッ…!!何よ冗談くらいで殴らなくても!」
「アキラがアタシを年寄り扱いするからだろうが!」
「だからって何も年頃のオンナノコの頭を殴らなくても!横暴!!」
「山賊が横暴でなかったら誰が横暴なんだい!」
「マーマーお頭、その辺で…」
「お前は黙ってな!だいたいアキラ、お前は口の利き方ってもんが…!」
「……へーそう…ならガープじいちゃんにチクってもいいんだねぇ…?」
「この小娘はまた小賢しいマネを!」

今でこそこんな風にやり合うこともできるけど当時は皆も抜け殻のようで、きっと私だって心配をかけたに違いない。それでも二年という時間が過ぎたことが僅かでも皆の心を癒やして、こうして新しい誕生を心から祝うことができることが何より嬉しかった。さっきは心配そうな顔を浮かべていたマキノちゃんも、今ではまたあの優しい笑顔を見せてくれている。それに胸をなで下ろした。フーシャ村やコルボ山の皆はもう乗り越えている。それに取り残されていることを隠すのに、今はいっぱいいっぱいになっていた。正直私は、今でもあの空虚感が胸の奥を突いてやまない。それはきっと消えたりしない。この先もこの気持ちと向き合っていかなければならないのだろう。―こんな思いはあの時でたくさんだと思っていたのに。
エースのこともルフィのことも、私はあの『盃』にこそ入れてもらえなかったが兄弟といかなくとも、彼らは幼馴染であり家族のようなものだった。それは今も昔も変わらないし、これからも変わらない。遠くから無事と活躍を祈る。それだけだ。ただそれが受けられない時期もあった。私は一人マキノちゃんにくっついてコルボ山に会いに行くだけで、仲良くこそしていたものの、彼らのような毎日を過ごすことも目的を共にすることもできなかった。それを恥じることもなかったが、先ほども言ったようにあまりの『シゴキ』の凄まじさにガープさんに食ってかかってった時もあり、どこか対等に思っていたい、並んでいたい気持ちがあったのかもしれない。あの時のことは今でも忘れられない。

”女だろ?無理すんな“

歳が近い割にどこか聡いところがあり、優しく諭すように私を止めてくれたもう一人の幼馴染の言葉。欠けた歯を隠しもせずに笑ってくれた。彼がいてくれたから、どこか自分以外は敵だと思っているような尖ったエースがいても、私達は友達でいられたのだろう。あの頃の楽しかった毎日は生涯私の宝物。そんな彼がいなくなった日を、忘れられるはずがなかった。呆然とした。皆が信じられないと項垂れた。ルフィは顔をグチャグチャにして泣いていた。今にも外に飛び出しそうなエースを捕まえて、ダダンが叫んだ。

”サボを殺したのはこの国だ、世界だ―…!“

事実を受け入れられなかった頭の中にその言葉だけが響いたのを、はっきりと覚えている。だからこそ今になってエースの死を受け入れることはできても、取り残されたような気持ちでいるのかもしれない。頭にずっと昔に消えた温もりが過ぎって、少しずつ己を蝕んでいくようだった。
私はいつも置いて行かれてしまう。みんな止めることができない大きな流れの中に飛び込んでいってしまうから。

「…―、…ん………アキラちゃん!」
「っえ?」
「どうしたの?ボーッとしたりして」
「…あー…」

どうやら回顧しすぎていたようだ。

「………仕事のことでね」
「そんなに忙しいの?」
「それなりだよ」
「そう…でも、時々でいいからまたこんな風に帰って来てね。皆も喜ぶし、私も顔が見たいもの」
「ありがとう」

大人になって独り立ちするようになった私は、この村を、国を出て貿易関係の仕事をするようになった。といっても、私は良い物を見つけて仕入れるのが中心の比較的移動に融通が効く仕事が多いので、時々こうやって村に顔を出している。村に残ることも考えたが、ゴア王国には行きたくなかったし、あの三人が見ている広い世界を自分の足で見てみたくなった。何より、三人が夢を誓った場所に私だけが取り残されて、縋りついているみたいで悔しかった。
―サボもどこかでこの世界を見ているのかな。そんな考えに気づかない振りをした。
あなたを諦めたと思い込ませようとしていたの。

「次はいつ出るの?」
「明日にはもう」
「あら、随分早いのね…名残惜しいわ」
「おうおうアキラ!!仕事なんて放っぽって少しくらい残りやがれ!こんなめでたい時に!」
「バカね…。カタギ捕まえておかしな事言わないでくれる?全くチンピラなんだから」
「そん二口が悪くて務まるのか二…」
「なんか言った?ん?」
「何二も」
「でも忙しい中わざわざ来てくれて、本当にありがとうね」
「何言ってるの、私が顔見たくて帰ってきただけなんだから大袈裟だよー。むしろ忙しなくてごめんね」
「お仕事なんだから仕方ないわよ」
「今度は、お土産持ってくるからね」
「酒にしろよ!」
「ねぇここが酒場だって忘れてない?どんだけ呑み明かすつもりなのよ!」

いつも以上に騒がしいPARTYS BARの夜は、こうやって更けていく。







はぁ…。

冷たい空気に吐息が冷やされて、白くなって昇っていく。早朝はやはり空気が締まっている。場所はコルボ山。元々あまり呑んでいなくて今日も仕事だった私は、早めに切り上げて早めに床に就いた。先程来る途中で店を覗いてみたが、まさに状況は死屍累々。文字通り朝まで正体をなくすまで呑んでいたらしい。試しに突いたり色々試してみたが、全く起きる気配はなかった。樽はどれだけ軽くなったのだろうか。…考えるのはよそう。

傾斜はそれ程キツくないが、子どもの頃と比べると登らなくなったあの場所に向かう。私達四人がよく一緒に過ごした一番の思い出の場所。いつ来ても見晴らしの良い、海がすぐ傍に見えるこの場所。ここで、エースがサボの手紙を読んで一人泣いていたことも、ルフィがエースに死なないでくれと懇願しながら顔を隠し泣いていたことも。みんな知ってる。
エースは、…サボは、この場所で何を思ったのかな。
私は一人あの時より長くなった足を抱え込み蹲った。もう、こんなことも止めなくちゃ。一人で後ろに引き返しても何にもならない。今日で最後にしよう、ここに来るのは…だから今だけは。あの大切な記憶に浸らせていてほしい。今だけは、どうか。

「何やってんだよ」

あまりにもすぐ近くで、それも突然聞こえたその声に思わず猫のように飛び上がった。振り返った先には、高めの帽子にゴーグルを着けた長身の青年が目をまあるくして突っ立っていた。そして突然、身を屈めて笑い出したのだ。

「ちょっ…、何かおかしい?そんなに」
「…いやッ、だってよ…!ククッ…!そんな飛び上がるなんて思ってなかったもんで…ッ、!くっ…」

男は未だ笑い続けている。こうなると私としてもどうしたって面白くない。

「“何やってんだよ”はまさに今そう返したいところね」
「ふっ…!悪かったって…ッ、そんなにへそ曲げるなよ」
「会ったばかりの人間に一方的に驚かされた上あれだけ笑われれば愉快とは思えないわね。だいたいあなた、いつここに?全然気づかなかった…」
「…会ったばかり…、ね」

男はポツリとそう溢すと、帽子のツバを摘んで目元を隠した。顔はよくわからないが、なんだか口元が面白くなさそうに歪んでいる気がする(どういうこと?)。隙間から僅かばかり金髪が覗いた。

「…ねぇ、あなた誰?この辺りの人間じゃないでしょう。見かけないし」
「………………。」

まさか、賊だろうか。やはりコルボ山にみんながいない時に入るなんて不用心だったかな。でもまたここを離れる前に、この景色をどうしても焼きつけておきたかったから−。
それにしても何だろうこの人。さっきはつい油断していたから別として、今この男を見ているととても敵意や悪意のような悪いものを感じられないし、悪人ではない気がする。さっきから違和感を感じて仕方ない。まるでどこかで会ったような気安さがある気がする。でも信用し過ぎるのも…
少しずつ距離を取ろうと後ずさり始めた時、男は強い力で腕を掴んできて−−私を、そのまま抱きしめた。

「なっ…!何すんのよ!?離して!!」

必死の抵抗も細身の割に力強い腕に阻まれてビクともしない。ただ男の方もそれ以上は何もせず動こうとしなかった。私が抵抗すればするほどそれを抑えこむように腕の力が強くなる。…苦しい。
そう言えは。一度だけ、サボに抱きしめられた時があった。私が川に落ちそうになって咄嗟に抱き留めてくれたのだ。あの時はエースとルフィにからかわれて、サボは顔を真っ赤にしていたっけ。こんな時ですら彼の事を思い出す自分に心底呆れる。そう、サボはちょうどこんな髪の色だったな。あの時なんだか落ち着く匂いがしたんだ−。

「…ねぇ、いつまでそうしてるの」
「………。」
「なんで…黙ってるのよ、」

そんな、はずはない。だって。だって、彼はあの時。ずっと昔に。

「ねぇ…。逃げないから。逃げないって約束するから。顔………見せてよ」

もはや確信めいたものが胸のうちにあるのがわかっていても、信じられなかった。彼はゆっくりと、片手だけを身体から離しゆっくり顔を上げて、ゴーグル付きの帽子に手をかけた。その様子に既視感を覚える。
そして晒される姿。緩いパーマがかかった金髪に、印象的な丸くて大きな真っ直ぐな眼。左目には大きな目立つ傷があった。あの頃と違ってシャープな輪郭が際立っていた。まるで、彼がそのまま大人になったみたいな…………

「…サ、ボ…?」
「疑うなよ。会ったばかり、なんて言われて凹んでんだから」

茶目っ気を含ませたように話す、その低くてでも甘く滑らかな声が耳を通っていく。目は切なそうにこちらを見ているように感じた。

「っウソ!」
「おまっ、疑うなっつったろ?ルフィと同じこと言いやがって」
「こんな状況で信用しろって方がムリよ!だって、だってドグラがあの時…!」
「ドグラが?まさかあの場にいたのか…?だからルフィもすぐ信じられなかったのか」
「そうよ!ドグラ自身だって信じられないくらいだって言ってたわ!なのになんで、」
「”一緒の船に乗らないか“」

途端に息が詰まって、続きが言えなかった。そして瞬時に記憶が蘇る。

”なァ、アキラ。”
“何?”
“俺と一緒の船に乗らないか”
“船…?”
“そうだ。俺達みんな船長になるって譲らねーから、クルーもイチから探さねぇといけねーし。だからお前を一番に誘うことにした!”
“…アタシでいいの?何にも修行とかしてないしさ”
“お前にしかできねーことをすりゃいいじゃんか”
“アタシにしかできないことぉ?”
“俺達は17歳になったら海に出る。だからお前もそれまでに返事してくれよ。そしたらまた誘うから!”
“わかった…。じゃあまた誘ってね”
“ああ、約束だ!”

それは彼が、実の親に連れ戻される少し前の会話だった。

「もうとっくに17歳は過ぎたけど、答えは決まったか?」
「…忘れてなかったんだね」
「そりゃな。死ぬ気で思い出すよこんなの…」
「?」
「つか、聞くだけ無駄だな」

サボは意味深に呟くと、真っ直ぐに私の目を視線で射抜いた。しばらく見つめ合い、私は目が逸らせなくなる。そしてあっという間に彼は距離を縮めた。どうしてだか身動きができなくなっていて、サボの方は私の足元に片膝を付いていた。そして私の手を恭しく受け取りまたあの目をこちらに向けた。その視線の意味が分からないほど、私ももう子どもではない。

「俺は、欲しいものは必ず手に入れると決めている。だから今回も絶対に手に入れてみせる。…本当はあの時からずっと、」

手の甲にうんとサボの唇が近づいて、吐息が分かる。突然の展開に頭が正常に回らない。

「アキラをそばに置きたくて、欲しくて堪らなかった。……もう二度と俺から離れるな」


最大級の口説き文句




(Twitterお題より。拍手御礼文を改造。七都さんに捧ぐ。)
2016/02/04 投稿
2016/02/09 修正
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