花盗人は何処 | ナノ




皆にすべてを打ち明けると決めひとまずなまえの中の大きな蟠りは消えたものの、どのような術を取るのが最善かと、また新たな悩みが生まれてしまった。
さわさわと揺れる朱い絨毯を前にため息をもらすと、鬼灯が水を乞う魚たちに目をかけつつこちらを振り返った。


「また悩んでいたのですか」
「はい……もういっそ潔くみんなの前で打ち明けてしまえば…」
「どうでしょうね。混乱する者も出てくるでしょうし、あらかじめ書面で通告しておいた方が良いと思いますが」
「うーん………」


ふたり顔を見合わせ首を傾げる。どちらも良い策とは思えず、結局堂々巡りしてしまう会話は何度繰り返したかわからない。
多少の混乱は避けられないだろうけれど、それを如何に最小限に抑えるかが問題だ。

むう、と唇をとがらせて段差に掛けていた腰を上げた、その時。なまえの足下をちょろちょろと駆け抜け、鬼灯の元へ向かう小さな影に彼女は目を丸くする。


「あーいたいた鬼灯様ァ」
「……小判さんですか。急に来られても困るのですが」
「!?ね猫、が……っ」
「…なまえはいい加減慣れなさい」


猫が口八丁に喋る様を見、度肝を抜かれるなまえに呆れた視線を流しつつ声をひそめる。
動物が言葉を発することなど地獄では常識だ。逐一驚いていては公表する前に誰かに嗅ぎつけられてしまう。

その懸念を敏感に探知したのか、口を手のひらで覆うなまえをじっと観察する金色の目。その真中の裂け目からのぞく、闇夜のような瞳を細める小判になまえはこくんと喉を鳴らした。

いつの間にかなまえの傍らにまで近寄り、穴が開くかと思うほどこちらを見つめる猫に鬼灯は眉をひそめる。


「それで、何をしに来たんですか」
「いやァ最近ちょっと業界内で話題なんでさァ」
「何がです?」
「閻魔大王様のいとこだか孫だかが閻魔殿にいるとか何とか」
「!」
「記事のネタにニャらねぇかと思って来てみたんですが…そっちの娘、見ない顔ですニャ」


怪しむように眇められた目にどきりと心臓が跳ねた。冷や汗すらにじむなまえの顔を一瞥した鬼灯は彼女をかばうように一歩前へ踏み出す。その元来冷徹な補佐官とは思えぬ行動に、小判の怪訝そうな眼差しが強くなっていった。

狡猾な瞳と視線がかち合って緊張から唇を引き結ぶと、なまえからふいと目を逸らしたゴシップ記者はとんとんと言葉を連ねていく。


「それでですニャ、閻魔大王様の血縁関係をちょっとばかし洗ってみたんでさァ」
「単なるネタにしてはいささか力を入れすぎじゃありませんか」
「いやいや、何てったって地獄のトップですからねェ、もしかしたら大きなネタになるかもしれニャいでしょォ?」
「…で、何かあったから私のところに来たんですか」
「んーニャ、いなかったんですよねェ」
「……………」
「閻魔殿にインターンに入りそうな年頃のニンゲン」
「ほ、鬼灯さん」


不穏な空気が漂い、攻め入るように畳みかける小判になまえはふるりと身体を震わせた。
一体誰がどういった経緯で口を滑らせたのかは理解が及ばないところだが、なまえのことについて特に口止めをしていた訳ではない。
噂好きの獄卒がまことしやかに囁くそれがたまたま耳に入ったのかもしれない。

思考を巡らせながらも漠然とした恐れが消えることはなく、きゅっと鬼灯の袖を縋るように握ると彼はなまえの安堵を誘うようなやわい眼差しをくれた。


「……そういやそっちの娘は紹介してくれないんでィ?」
「ただの部下ですよ、いちいち貴方に紹介する義理はありません」
「ふーん、そうですかィ。でも何かまずいんなら報道規制とかかけた方がいいんじゃニャいですか?じきに他の記者も嗅ぎつけてきますよォ」
「………あの、猫さん記者なんですか」
「!そうですよォ、お嬢さん」
「こらなまえ」


引く様子を見せない小判はなまえと話が出来るまで帰らないつもりなのだろう、先ほどから頑として其処を動かないところを見るに強い意志が感じられる。

怖がっていても埒があかない、と鬼灯の影からひょこりと顔を見せたなまえに二又の尾が揺れた。
やはり小判はなまえに興味を惹かれていたらしく、身を乗りださんばかりに食い付いていく。
そんなゴシップ記者に隠すことなく顔をしかめた鬼灯は、表へと出てきてしまったなまえの頭をこつん、と小突くようにして叱った。


「なまえって言うのかィ、わっちはゴシップ記者の小判でさァ」
「よ、よろしくお願いします」
「よろしくしなくていいです」
「まぁまぁ固いこと言わずに、なまえは新入りの獄卒なんかィ?」
「え、えと…」


正式に雇用された訳ではないので安易に肯定できない問いだ。しかしインターンと言ってしまえば小判が探している人物と繋がってしまうだろう。

どうしよう、と焦りを覚えて視線を泳がせるなまえを三度襲う探るような双眸。
彼女は何とか話題を変えようと思いついたようにぽんと手を打つ。


「そういえば業界内で話題って言ってましたけど……どこからそんな情報を手に入れたんですか?」
「ニャんでもどこかの記者の親戚が此処に勤める獄卒だったらしいんでさァ」
「そ、そうなんですか」
「その閻魔大王様のいとこっていうヤツの名前までは聞けなかったらしいんだが、なんかわっちの記者魂をくすぐるモンがあったんですよねェ」
「何となくで閻魔殿まで来られても困るんですが」
「いやいやさっき話したでしょォ、戸籍上いない人物が研修に来てるってんですよ、気にならない方がおかしいってもんです」


なかなか引こうとしない猫又になまえは弱ったように眉を下げた。一言二言交わせば諦めもつくだろうと思ったのだが、そんな気配は露ほどもなく小判は鬼灯となまえとを交互に見比べる。

暫くの間黙ってなまえが記者をあしらうのを眺めていた鬼灯は、ふうとため息をついて眉間に刻んだしわをほどくことのないまま唇を開いた。


「小判さんにまで伝わっているということは、時間の問題ですね」
「鬼灯さん?」
「なまえ、獄卒の間だけに留めておくことは出来そうもありません」
「……それは、つまり…」
「小判さん、これからお話することをそっくりそのまま記事にして頂けませんか」
「!」


無理に秘匿とすれば必ずどこかでほころびが出る。なまえを完全に守ることが出来るほどの準備も根回しも済んでおらず、これから手を回してもメディアの小賢しい動きの方が確実に先を行くだろう。

なまえの情報をひとつもさらさずに安寧を手に入れるのは不可能に近い。
むしろ好き勝手書き立てられた憶測が疑念を生み、それが大きな議論を呼ぶことになるのは容易に予想がつく。

いつの時代も人を惑わすのは交錯する情報だ。それが正しく清廉されたものであっても、虚偽にまみれた戯言であっても。
そうなる前に先手を打つ。あらかじめ情報を開示しておけば、その後周囲が食い扶持にするべくどれだけ足掻こうとも対岸の火事というものだ。

しかし当初予定していたより随分と大事になってしまった分、彼女を取り巻く周囲が騒がしくなることは避けられないだろう。当然なまえにも被害が及ぶことも考えられた。
それを防ぐために、彼女の心を守るために、鬼灯はまたたきほどの間に策を思索していた。


「鬼灯さん…」
「なまえは心配しなくてもいいですから」


不安をにじませて鬼灯を見上げるなまえの髪をくすぐるように梳いてやる。そうして頭を撫でつける手のひらに甘えるように擦り寄るぬくもりを、胸の奥へとひそやかに刻み付けた。

次いでなまえを委ねるべく思いついた人物を思い浮かべると、思わず苦虫を噛みつぶしたような表情を象ってしまう。胸に湧いて出たしこりに嚥下出来ない苛立ちを覚えながら、鬼灯はひとつ息をつくと猫又へと向き直ったのだった。


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