視察で付近まで訪れたので、牛頭と馬頭に近況や何か困り事はないか訊ねようと地獄の門へと足を向けることにした。 帰ったら書類をまとめて記録課に顔を出さなければと考え、なまえは固い土を踏みしめて門を目指す。 そんな細やかな気遣いが出来るところが、彼女が第二補佐に任命された理由のひとつでもあるのだ。 たどり着いたぽっかりと口を開くそこをくぐりながら、彼女たちと初めて会った時この不気味な雰囲気と相まって怯えるように鬼灯の背に隠れてしまったことを思い出す。恐る恐る会話を交わすうちに彼女たちが明るく、話好きの女性だとわかってひどく反省したものだ。 ひとり苦笑をもらしていると長い柱廊の先から骨と骨がぶつかるような、思わず目を瞑ってしまう嫌な音と何やら人の声が響いた。 「そりゃーもうぱっつんぱっつんのおねーちゃんがいっぱいの、天国みたいな地獄が」 「へえー」 「…?白澤様と桃太郎さんとシロさんに……鬼灯さん!」 「なまえ?視察に行っているのではありませんでしたか?」 軟派な話の内容は耳に入っていないのか、鬼灯の姿を捉え、ぱたぱたと駆け寄るなまえに鬼灯は首を傾げる。 牛頭さんたちにお話を聞きにきました、と言う彼女に納得していると、2人の間を割るように入り込んできた白澤がなまえの手をさりげなく握ったのを鬼灯の鋭い瞳は見逃さなかった。 「なまえちゃん!久しぶりー、元気だった?」 「は、はいおかげさ」 「おかげさまで、毎日元気に夫婦仲を深めていますよ」 なまえの答えを遮り白澤の手を潰さんとばかりに掴んだ鬼灯は、ぎりぎりと指の関節を逆向きに曲げようと力を込める。 たまらず振り払った白澤は自身の手を労わるように摩りながら鬼灯を睨みつけ、2人は臨戦態勢に入ってしまう。なまえは慌ててばちばちと火花を散らす彼らの間で取り持つような笑顔を浮かべた。 「け、喧嘩しないでください、ね?」 「「…………なまえ(ちゃん)がそう言うなら」」 「…ふふ、」 長い長い沈黙の後、見事に重なりあったふたつの声に耐えきれずに笑いをこぼすと、むっと眉根を寄せた鬼灯と決まりが悪そうに顔を顰めた白澤がそっぽを向く。 何だか兄弟の喧嘩みたいだな、と思っていれば腕を組んだ鬼灯が口を開いた。 「貴方女性なら手当たり次第ですか」 「人聞きが悪いな、ストライクゾーンが広大だと言ってよ。あ、ちなみになまえちゃんはど真ん中」 「聞いてません」 「まー乳はあるに越したこたァないけどね」 白澤は朱色の耳飾りを指先で弄りながら、大っきな乳は包まれたい、小っさな乳は包んであげたいなどとある意味名言のような言葉を生み出した。 そう口にしたところでどこかいやらしさを滲ませて笑んだ白澤はふとなまえに視線を滑らせる。 こてんと首を傾げたなまえの、主に胸元に集中するその眼差しからかばうように鬼灯が前に出た。 「なまえちゃんはどっちかな、今度確かめてみてもいい?」 「いい訳ねぇだろ堕とすぞ」 一際凄んで白澤を射殺さんと睨みつける鋭利な眼光に困ったように笑いつつ、そっと手のひらを当てて自身のそれに目を落とす。 お世辞にも大きいなんて言えないけれど、男の人はやはり大きい方がいいのだろうか。 そろりと鬼灯を盗み見ながらそんなことを考えてしまうどうしようもない思考回路にゆるく頭を振る。 私は何を、とじわりと熱を持った両頬になまえが手を押し当てたその時、じゃらりと金属がこすれるような鎖の音が鼓膜を揺らした。 「ほらよ包まれろ。 見事な巨乳な上4つもありますよ」 「多けりゃいいってもんじゃない!」 なまえが余所事に気を取られている隙に鬼灯は牛頭を引き連れて来たらしい。 低く唸るような鳴き声を上げながら白澤を抱き込む牛頭の腕、正確には白澤の背骨辺りからまたもや骨の軋む音が響き渡った。 以前から白澤のことを気に入っていたと話す牛頭は、恋する乙女のようにきらきらと瞳をまたたかせる。 「白澤様どう?アタシとりあえず毎日牛乳なら出るわよ、頑張れば練乳もいける気がする」 「牛頭さんならいいお嫁さんになれます!」 「ありがとうなまえ様!」 「なまえちゃんまで…」 「マタドールが100人向かって来ても守ってくれますよ」 「そんな機会多分ない」 再び睨み合いを始めた2人は数秒ののち、ふいっと視線を外し一言。 「「本当コイツとだけは1ミリもわかり合えません(ないよ)」」 またぴたりとユニゾンしたその息の合い様にくすっと思わず吹き出してしまったなまえへとがめるような瞳を向けながら、鬼灯と白澤は頬を抓りあう。 ギリギリと肌に食い込む指先を見ても相当な力が入っているのだろう。痛そうだ、と眉をしかめた。 「牛頭〜、ちゃんとお仕事なさってよお」 「馬頭さん!」 「アラなまえ様久しぶりー」 「ごずめず?」 「そうよぉアタシ達」 「地獄の門番牛頭と馬頭」 のしのしと巨体を揺らしながらやって来た馬頭はなまえを見て嬉しそうに身体を震わせる。 顔を揃えた地獄の門番にシロが問いかけると、ぴしっとポーズも決めて手を取り合う2人は鬼灯たちとは違って本当に仲が良い。 彼らが仲良く手を取り合う、なんて場面は例え天と地がひっくり返っても訪れることはなさそうだ。 「見たところお二人も親友?」 「違います」 「まー殿方って素直じゃないのねえ」 笑いあう牛頭たちに懲り懲りだという表情を浮かべた鬼灯と白澤はそれぞれから角と蹄を貰い受けて早々に踵を返してしまう。 そんな彼らの背を見送った後、そうだ調査をしなければ、と思い至り質問を重ねていく。彼女たちからの回答を書き留め、また女子会しましょうねと誘ってくれた2人に名残惜しくも手を振った。 牛頭たちが問題なく職務に勤しむことが出来ていることに安堵しつつ来た道を戻れば、ほろ苦さの中にかすかな甘みを内包する、なじみの深いにおいが鼻をくすぐって。 見ると壁に背を預け紫煙をゆらゆらとくゆらせる鬼灯が佇んでいた。 「待っていてくれたんですか?」 「ええ、まあ。貴女を置いていくのも忍びないですし…また泣かれても困るので」 「な、泣いてませんよ!」 きっと初めてここを訪れた時のことを言っているのだ。雰囲気に気圧されて大げさに怖がってしまったけれど、何も蒸し返すことはないのに。 拗ねたように頬を膨らませるなまえの頭にぽんぽん、と手を乗せながらとん、と煙管を弾くその仕草や硬い指、ゆるりと伏せられた長く美しい睫毛。鬼灯からなめらかな色香を感じてぱっと顔を俯ける。 彼には色気も負けていると思ってしまうのだが、気のせいだろうか。 それって女としてどうなんだろう、とふらふら瞳を彷徨わせるなまえの顎をそっと撫でながら上を向かせた鬼灯と視線がからむ。 「どうかしました?」 「いえ……」 「…胸の大きさなら気にすることありませんよ、なまえならばどちらでも好みです」 「な、何言ってるんですか違います、そりゃあ少しは気にしてましたけど…!」 気にしてたんじゃないですか、と鬼灯のわずかに細められた瞳に顔をのぞきこまれて頬を色づかせるなまえに、胸の辺りがくすぐられるような、真綿にやわらかく締めつけられるような何とも言い得ぬいとおしさが湧き上がる。 なまえに出会わなければ知ることもなかっただろうその感覚に心地よく身を委ねながら、鬼灯は熱の集まる柔いそこへからかうように指先を滑らせた。 |