*ほのかに甘く*
もうすぐ世間はバレンタインデー。
当然私も、そのことを意識している一人であって。
ただ、問題なのは……。私の想い人である“氷室先生”が。果たして、一生徒のチョコレートをもらってくれるのだろうか?
吹奏楽部の先輩たちから得た情報によれば、過去受け取ってもらった生徒は皆無だという。
「やっぱそうだよね〜〜」
溜め息をつきながら、眺めていた雑誌をパタンと閉じる。見るだけ無駄かもな〜。何たって、手作りチョコのレシピ特集なんだもん。
今年は……ううん。先生に片想いしている限りは無縁なものになってしまうかもしれない!!
「ふえぇぇぇぇぇ〜」
「ちょっと。何ヘンテコリンな声出してんの? るーってば」
ハッとして振り向く。
「あ〜。なっちん……」
「あ〜、じゃないっての。……ははーん。さてはバレンタインのことで悩んどるな!? どれどれ〜奈津実ねぇさんが相談に乗っちゃるよん」
「なっちん〜〜〜」
「ああ、はいはい。持つべきものは頼りになる親友! アタシにまっかせなさーい★」
そうして。
5分ほど私の話を聴いたなっちんは。
「むむむ。ヒムロッチが受け取ってくれるかどうかが、まずは第一関門なワケっしょ? ヤツは絶対るーに気があるとは思うのよね〜。でも、他の生徒の手前うっかり受け取るワケにもいかないだろーし」
ちょっと待った。今、何気にスルーしてしまったけど。
先生が私に気がある!?
「なっちん……そういうことサラッと流して言わないでよ〜」
「えぇ? アタシの勘は当たるんだから!! 自信持ちなって〜」
そんなこと言われても……。
「アタシが男だったら、絶対るーを嫁にもらうよ? こんな可愛くて、一途で、フルートは天才的だしっ。しかも料理も上手いんだもんな〜」
止まらなくなってしまった、なっちんトークに苦笑いしつつ。
もう一度、閉じてしまった雑誌の表紙に目を落とした……。
“想いよ、届け! あの人の元へ……”
そうだよね。
面と向かった告白が出来なくても(まだ自信がないから)。
今の自分の想いを形にするには(受け取ってもらえなくても)。
頑張ってみようかな? あなたが好きです──その気持ちを込めて。
2月14日──。
世間では、バレンタインデーというイベントで賑わっている。
我が学園でも、もちろんそれは例外ではなく。
昨年までは、不謹慎にも教師である私に義理だの本命だのと押し付けられそうになったチョコレートを門前払いにすることに嫌気がさしていたものだが。
今年の俺は……何かを期待しているのが分かる。ただの一般の生徒としてではない感情を抱きつつある“彼女”に。
我ながら、呆れてものも言えない。この歳になって、バレンタインデーというものを楽しみに思っていたなど……。
「口が裂けても言えんな。特にあいつには……」
腐れ縁の親友の顔を思い浮かべ、眉間に皺を寄せる。まだあいつには、彼女の存在さえ明かしていない。
今は……いや、多分これからも、彼女は俺にとって一生徒に過ぎないのだから。教師としての自分に、越えてはいけない壁があるのを忘れることはないだろう……どんなに彼女を欲したとしても。
HRが始まり。
授業を終え。
昼休みを過ぎ。
部活動の時間がきて。
必死に、動揺する心に蓋をする──。
“何故、榊はチョコを渡さないんだ?”
問いかけそうになる自分を、抑え込んで。何でもない表情で、いつものように瞳を輝かせて指導を請う彼女に……次第に苛立ちすら覚え、そんな自分に嫌悪感を抱いた。
どうかしている──。
こんなのは、俺らしくない。
「先生?」
小首を傾げて扉から覗き込むその姿すら可愛らしく見えて……思わず顔を逸らしてしまう。
「あの、ですね」
「な、何だ? 部活はもう終わっているはずだろう?」
こう言えば、君は帰ってしまうのだろうか?
引き止めたい心に矛盾し、口は勝手に言葉を紡ぎ出す。
「温かいもの、飲みたくないですか?」
「……は?」
きっと、とてつもなく間抜けに映ったことだろう。ポカンと口を開けた俺の姿は。
「えっと……。今日もお仕事お疲れ様です、って意味で作った飲み物なんですけど……いらない、ですか?」
「い、いや……頂こう。せっかく作ってくれたものだ。……はは。そうか、温かい飲み物か……」
この期に及んで、まだ期待していたのか、俺は──。
落胆を見せぬよう、笑顔を作り。ありがとう、と事務的に告げ、少し大きめのマグカップに入った飲み物を受け取った──。