※本編後/恋人
「神楽。この後、数学科研究室来なせェ」
冬休みも迫ってきたある日のHR終了後。担任で数学の教科担当でもある沖田総悟先生が、よく整ったその顔の眉間に深い皺を刻みながら告げた。
「沖田先生〜堂々と連れ込んで何する気なんだよ?」
「イチャつくんなら家帰ってからにしなよー」
……クラスメイトの皆さん、空気読んで下さい。あの殺気混じりの機嫌悪い顔が見えないのか? あれはそういう色っぽい展開に流れる空気ではない。
「かーぐら。返事は?」
「はいっ。分かりましたぁ!!」
取り敢えず、すぐに返事をしなければ後が怖い。聞き分けの良い生徒を演じつつ、教室を去っていく背中を見送り。怒りの原因であろう、数学の期末試験の結果を思い起こす。
「うぅ……あんなに勉強したのに」
「神楽ちゃん、一体何点だったの?」
「姐御ぉ。どつかれながら、すんごいスパルタで勉強したのに何で私は数学駄目なんダロ」
「まさか、一桁ではないわよね?」
「それはこの間の小テストで、やらかしたネ」
姐御の引きつった笑顔が逆に怖い。
「神楽ちゃん、国語は50点越えてたわよね? どっちかといえば、前は数学の方が点数良くなかった?」
「それも総悟が特訓してくれたのヨ。専門外だけど、ちゃんと分かりやすく教えてくれて……」
そうなのだ。多分、怒りの原因はそこにもある。自分の担当教科である数学よりも、銀ちゃん先生の国語の方が点数高いのが気にくわないはずだ。
「うぅ〜絶対オシオキとかされちゃうアル」
「オシオキって……イヤらしい意味で?」
「ひとまず、姐御が総悟のことどういう目で見てるか、良く分かった」
▼in 数学科準備室▼
コツコツコツ──。
ボールペンの先で机を数回ノックしながら、目の前の総悟……沖田先生、は大きな溜め息をついた。
「神楽」
「はいっ」
ビクッと身体が震え上がる。今、目の前にいるのは、紛れもなく教師としての“沖田総悟”その人であって。絶対に甘い言葉なんて掛けてくれるはずはない。それに関しては絶対の自信があり、自然に私の顔には緊張が走った。
「お前は、授業中、俺の話をちゃんと聴いてんのか?」
「ハイ……?」
「真剣に、授業を受けてんのか訊いてんだけど?」
「聴いてますっ! 課題も、皆に教えてもらってはいるけど、ちゃんと提出してるネ!」
「そうだな、課題も確かに提出はされてんな。字は相変わらず汚ねェが、期限も守られていて大変結構」
「ですよねっ」
字は汚い、とか余計な一言が聴こえた気がするが。ひとまずホッと一息ついて笑顔になる……と思いきや、
「だったら、だ。何でお前の試験の回答は……こんなに見当外れなモノばかりなんでィ!? 正直、わざとなんじゃねーかと疑いたくなるくれェだ」
総悟の深い溜め息が、私の笑顔を凍り付かせた。──見当外れ。
あいたたた……。
だって、ありったけ頑張った結果がその見当外れなんですけど!? 29点……確かに、自分でも酷い点数だと思うけれど!
「俺の教え方が悪いのか? なぁ、どうなんでィ、神楽?」
「そんなことは絶対にないアル! 沖田先生の授業は完璧で分かりやすいしっ」
「はァ……だったら、この答案は何だってんだよ?」
先生、それは私が訊きたいです。何でこのおバカな頭は、数学だけこんなにも理解出来ないのだろう。
「どっちかって言うと、私は文系みたいアルナ〜」
「国語や英語は、まあまあ……か」
「国語とかも、沖田先生が教えてくれたおかげで点数上がったのヨ?」
「だよなァ……だから、よりによって何で数学だけこうなってんだ?」
「ご、ごめんアル〜!!」
謝って済む問題でもないのだけれど。思わず謝罪の言葉が口に出てしまう。
「神楽!」
ガバッ! と総悟の腕が掴みかかる。ひぃっ! と戦いた私に構わず、そのまま至近距離に顔が近づいてきた。
「そ、そーご! 近い! 顔、近すぎだからっっ」
「うるせェ。そんなん今更だろ。んなことより、明日から再試の日まで特別授業やってやるからなァ……覚悟しとけや、コラ」
ああ。やっぱり再試あるんだ──いやいや、ちょっと待って。今、特別授業って言った!?
「そーご〜?」
半分涙目で、負けずに名前で呼びつつ上目遣い。
「そんな可愛い仕草で許してもらおうなんて、甘い。でも、今の神楽、超可愛い。も1回やって、スマホ構えるから」
「許してくんないなら、もうやんないアル」
不毛な争いは、これから無駄に10分は続くことになる。用事があってやって来た、銀ちゃん先生の呆れた声に気づくまで。
「お前ら、ほんっと仲いいよな。これだからリア充は……」
「旦那も彼女作りゃいいんですよ。言い寄る雌豚共、わんさかいるんでしょう?」
「あいつらは、言い寄るってか……こえーんだよ。ドン引きだっつーの」
探していた書類を受け取った銀ちゃん先生に手を振り、クルリと振り向くと、お得意のサディスティックな笑みを浮かべた総悟が待っていた。
「まずは明日からの休み、楽しみにしときなせェ」
「鬼ぃ〜〜っ」
「何とでも言え。……こっちはお前の良い点を楽しみにしてたってのに、それが期待外れに終わったんだからな」
こういう時、容赦ないのが沖田先生らしい。ガックリ肩を落とした私を見る総悟の目は、何処か楽しそうに見えた。
「面白がってない?」
「気のせいじゃねーの?」
「ぜっったい楽しんでる眼アルーっ!!」
明日からお勉強。それこそ、試験前にも確かに教えてもらって何時間も頑張ったつもりだったけれど。……特別授業、って更にスパルタだったりするんだろうか?
「総悟、試験明けの休みはデートするって張り切ってたくせに……」
「それが潰れたのは誰のせいだと思ってんでィ? 俺の楽しみ奪ってくれてんだからなァ……並大抵の努力じゃ認めねェ。覚悟しとけや、バ神楽ちゃん?」
一足飛びに恋人というより婚約者みたいな流れになりはしたが、総悟に対する気持ちを自覚し出してからは、恋する乙女らしくデートとか憧れてたりする訳で。長年一緒に住んではいるものの、2人きりで出かけること自体があまりなかったし。
そんな中で、恋人同士になってからは初めてのデートだったというのに。私なりに、かなり楽しみにしていたのに──自業自得とはいえ、どうしてこうも残念な頭なんだろう?
せめて、これ以上は呆れられないように。再試では及第点が取れるぐらいには頑張らなくちゃ! そう、心に誓う私なのだった──。