ちらついて離れてくれない美しい彼女のせいなのか、それとも単なる気分転換のためなのか、私は数年ぶりに髪を切った。背中の中頃まであった黒い髪を、バッッサリと。会う人会う人に大層驚かれたが、エドワードさんは別格に驚愕された。口をあんぐりと大きく開き、なんと膝から崩れ落ちた。そんなに驚くことかな。


「なっななな、なんっ、なんで、」

「…すっきりしたくて?」

「似合ってたのに!」

「え、そうですか?まぁずっとロングでしたしね。子供の頃からずっとロングヘアだったから気分転換にいいかなって」

「俺は見慣れてる……」

「へ?何か言いました?」

「イヤ…」

「お姉さん髪切ったんだ!短いのもすごい似合ってるよ、女優さんみたい!」

「あはは、そんなこたァないけどね、ありがとう」


エドワードさんには明らかに不評、学くんは好意的に評価してくれた。
今日は休日。エドワードさんたち3人と近くの図書館で勉強をする予定である。学くんはエドワードさんが出したという課題を、私は大学のレポートを、エドワードさんは単なる読書だそうだ。図書館に着き、天井まで届きそうな大きさな本棚に本達が所狭しと並び、それがワンフロアだけでなく4階もあって、書籍のジャンルも豊富だと分かると、彼は大はしゃぎをして大人げなく「本だ!!」と叫んで驚嘆した。当然ながら静かな図書館のにいる人々の視線は頭の可笑しな外国人に集中する。そんな視線は意に介さず、エドワードさんは興味のある本棚へとふらふら近づいていき、学くんがそんな不審者状態化している彼に図書館のルールをしつこく教えてあげている。そうでもしないと、彼は興味のある本を何冊も独占して床で本を読み、何時間もそうして動かないのだという。にわかには信じられない話だったけれど、確認し合った昼食の集合時間にも表れないところをみるとあながち嘘ではないのだろう。二人して彼を探しに行くと、窓辺の席で小難しそうな本を真剣な眼差しで見つめるエドワードさんの姿があった。悔しいが、絵になっている。近くにいる女子高生や大学生はちらちら彼に熱い意味あり気な視線を送っていた(彼は全く気付かない)。声をかけようとする学くんを引き留め、二人きりで昼食をとることを提案した。あそこまで夢中になっているのだ、邪魔をするのは憚られる。


「エドはいつもそうだよ。どんな難しい本でもすぐ読んじゃうし、理解しちゃうんだ。じいちゃんの知り合いの教授なんて、大学のなんとか研究所?に来てほしいってずっとお願いしてるくらい」

「へえ、参加すればいいのにね」

「何か事情があるみたい。だからその教授がわざわざ家に来て話してるよ。それでいつも帰り際に言うんだよ、彼は天才だ、勿体ない、その才能を生かすべきだって」

「へえ……」

「それに運動神経もいいんだ。公園の鉄棒で大車輪してたんだもん」

「公園の鉄棒で大車輪………」


それは正気の沙汰ではない。しかし、見たいようなそうでもないような。
嬉々としてエドワードさんのことを語る学くんを見ていると、いかに彼のことを好ましく思っているかが強く伝わってくる。お兄ちゃんが出来たような感覚なのか、人生の師でも得た気分なのか、とにかく、学くんのこれからの人生においてエドワードさんという存在は必ずプラスに働いていくのだろうと感じずにはいられなかった。柄沢さんが彼を家に居候させようと決めた要因の一つには学くんとエドワードさんの相性の良さもありそうだ。
探り探り、学くんの不登校の原因を聞きいたり、私の大学生活や家族構成などについて語った。学くんは快活で素直、思いやりのあるとても良い子だ。いじめの原因も、いじめられていた幼馴染を助けたり、先生の手伝いを積極的に行うという善良な精神をやっかまれてのことだったらしい。世の中の理不尽さとは、こんな幼い子どもの世界にも起きている。


「そのうち、楽しく学校に行けるといいね」

「どうかな、分からないや」

「宇宙飛行士になりたいんだって?」

「うん、そう!何かあるか一番分からないところだし、宇宙人に会えるかもしれないし!」

「あはは、宇宙人か。そうだね、本当に夢のある職業だよね」

「だからたくさん勉強しなきゃ。本当は学校にも行かなきゃなんだけど、」

「そう?」

「学校って勉強だけする場所じゃないでしょ。人と人との関わり方っていうか、コミュニケーションの仕方とか団体行動の重要性とか学ぶところだと思うし」

「ワオ、そんなこと考えてるんだ、今の9歳児って。もう成人してるって言っていいと思うよ」

「大げさだよ」

「大げさじゃないよ。本当に偉いね、学くん。でもいつかさ、絶対に叶えたい夢なら、絶対に嫌なことでもそれを超えなきゃ叶えられないって悟ったら嘘みたいに頑張れる時ってくると思うし、それが出来るのが夢の力だとも思うし。今はパワーを蓄えるときってことでさ、たくさん遊んでもいいんじゃない」

「………………」

「へへ、学くんが大人だったんで、私も大人っぽく答えてみました」

「…うん。エドも同じこと言ってた」

「え?」

「今は別にいいって。でも、嫌でしたくないことの先に叶えたい夢があるって分かったら、死ぬ気で乗り越えろって。だから、今はその準備期間だって」


エドワードさんはそういう人なのか。人に対しては厳しめ、そしておそらく自分にはもっと厳しい。


「お姉さんとエドは似てるね。だからこうやってすぐ仲良くなれたんだよ」

「な、仲いいかなぁ」

「いいよ!エドってお姉さんのこと大好きじゃん!毎日カフェだって行ってるし、今日だって誘われてるわけだし。え、もう付き合ってるの?」

「(ませてるなぁ)いやいやいや、だいたいあの人ほかに好きな人いるんだよ、知ってる?その人を探すためにわざわざ日本に来たって行ってたし」

「それがお姉さんなんじゃないの?元からネットで知り合ってたのかと思ってたよ」

「私は知らないよ、あんな外国人」

「でも、エドはお姉さんを知ってる風に言うよ。写真だって持ってるし」

「……………」

「あれ、やっぱりこれ言っちゃいけないやつだった?」

「ううん。いいと思う」


その写真や彼の口ぶりがどうかは知らないけれど、彼の探し人と私が何かしらのつながりを持っている可能性はあるんだろう。長い間探し求めてきたらしい恋人をちっとも探しにいかずに今も読書に没頭し、旅先で出会った私の手を握ってみたり、美しいと言ってみたり、客観的にみれば彼のしている行為は支離滅裂で一貫性がない。でももし、彼の探し人がすでに見つかっており、その間が『私』あるいは私に瓜二つの人物だとしたら?


「(そんな迷惑なことってないな)」


私はほかの誰でもなく私で、顔や背格好・性格がいくら似ていようが彼女との私は別人だ。幻想を抱かれても困るし、気味が悪い。住所も教えず突然(?)姿を消すようなハチャメチャは得体の知れない女よりも、あの写真に写っていた美女のウィンリィさんの方が何千倍もいいに決まっているだろうに。それとも、弟さんに取られてしまったんだろうか。弟さんもエドワードさんとは違う優しい系イケメンだったもんな。
今度、一度はっきり聞いてみようか、あなたの探している人と私はもしかしたら顔が似てるんですか?って。

話題はなぜか髪の毛の話に戻った。黒い美しい髪をなびかせた女子高生たちが前を通ったからだろうか。


「なんで切ったんだっけ?あ、イメチェンだっけ」

「うん、そうなんだけど……、なんか、黒ってつまらないなって」

「染めればよかったのに」

「お金かかるしさ、すぐ色も落ちちゃうし」

「その点、エドみたいな髪はいいよね。目立つし、格好いいし、本当に金色って感じだしさ」

「そうだね。弟さんもそうなのかな?」

「一緒だってさ。ウィンリィさんはね、レモンイエローの髪とスイカブルーの瞳だってさ」

「レモンイエローにスカイブルー、…エドワードさんがそう言ってたの?」


そりゃそうだろ。9歳がする表現の色じゃない。ずっしりどっしり、胸に何かが溜まった。落ち込んだ時になるやつだ、これ。なんでだろう。なんでこんなに落ち込むんだ。心臓が重たい。レモンイエローの髪に、スカイブルーの瞳だったら、金髪に青い瞳でもいいのに、なぜレモンイエローとスカイブルーなの?実際後者の表現の方がしっくりくる容姿だからそう説明しただけだろうに、なぜ私はこうもその部分に引っかかってこんなにも落ち込んでいるのか。
それから、図書館の閉館時間一時間前になってようやく私たちの前に現れた彼は平謝りしながら残しておいたおにぎりを食べ出した。本に夢中で、お腹が減っていたことに気づかなかったんだろう。こんな人、本当にいるんだなぁ。好きなことに夢中になり過ぎて、時も空腹も忘れてしまう人。帰りの道中、まだかろうじてかき氷を販売している甘味屋さんに二人を誘って寄った。そして、エドワードさんはいつものようにホットコーヒーを、学くんはアイスクリームを、私はなんとかき氷を2つ注文した。しかも、可笑しな注文の仕方を。


「レモンイエローとスイカブルーのかき氷を」

「え?レモンとブルーハワイでよろしいですか?」

「はい、そうです。レモンイエローとスカイブルーです」

「「「……………」」」


店員さん、エドワードさん、学くんが一斉に「え、なに?」みたいな顔をしてこっち見てる。でも知らない。とにかく黄色いかき氷と青いかき氷を持ってきてくれ。無論、1人でかき氷を2つも食べられるわけがない。学くんもアイスだし、必然的にエドワードさんが私の分を手伝うことになる。季節はもう10月、普段から長袖が多い服装のエドワードさんと言えと、後半は顔を真っ青にして歯をガチガチ言わせながら食べていた。本当に最悪だが、私はその様子を見て、ようやく溜飲が下がったのだ。ああ、すっきりした、ああ、面白いな。半分近く残ったかき氷をエドワードさんから奪い取り、私は気合を入れて一気にかき込んだ。こうしてめでたく黄色と青色のかき氷は私と彼の胃袋の中で溶けていった。

それから柄沢商店でエドワードさんと学くんと別れ、私は大学の友人と共に課題をするため大学へ向かう。すると、エドワードさんは大学まで私を送るという。まだ時刻は夕方の5時、治安のよい地域でなにも怖いことは起こらないが、彼は「レディファーストだ」と全く慣れない口ぶりで言ってのけた。大学までは徒歩で30分ほどで、歩く行為自体が好きな私は徒歩を選ぶが、今日は彼がいるということで電車を選択しようとするが、彼も歩こうと提案してきた。私たちが並んで歩き、会話を交わすことに一体何の意味があるというのだろうか。


「かき氷、」

「え?」

「好きだったんだな、2つも頼むほど」

「いや、あの時はむしゃくしゃしていたので」

「お、俺が待たせたから?」

「違いますよ。夏が終わってしまうことに、ですよ」

「はは、なんだそりゃ。しょうがないだろ。俺の国には一年中冬のところもある。それに比べたら日本は四季があって楽しいぞ」

「へえ、そうなんですか。一年中寒いのは嫌ですね。かき氷が食べられない」

「ああ、俺も雪はきらいだよ」


冬が嫌いなこと、かき氷が食べられないことが、雪が嫌いにつながる意味が分からなかったが、彼の言葉は幾分沈んでおり、悲しそうな横顔がそれ以上の追及をさせなかった。この人は、冬や雪にいい思い出がないのだろう。可哀想だな、日本にだって冬は来るし、雪も降る。そのころには沖縄にでも旅行をおすすめしておくか。
どうでもいいことをそれから話をして、彼の日本語の上達ぶりに感動していた。もう日常会話どころか数年住んでますレベルにまで到達しており、どんな話題や単語を繰り出してもきちんと理解をして返してくる。言い間違いや聞き間違いも、もうすることは無いだろう。
大学の近くまで来ると、もう5時半を過ぎているというのに若者で溢れていた。大学生でなくても若者が居住を構えるエリアであるので、中学生、高校生と若い女性はたくさんいた。髪の長い人、染色している人、背の低い人、高い人、顔の丸い人、目の大きな人、ファッションの奇抜な人、きれいな人、かわいい人、多種多様な日本女性がその場には溢れていた。その中でも埋もれることなく、エドワードさんは目立っていた。もし、彼の探し人が彼と同じように探し求めていたとしたら、彼女は迷うことなくエドワードさんを見つけられるだろう。すぐ、ハッピーエンドになれることだろう。私はなんとなしに以前した質問を投げかけてみた。


「…私は、外国の方はみんな同じ顔に見えちゃうんですけどね。やっぱりあなたの探し人とその他大勢の日本女性は見分け付きますか」


そんなの当たり前だろう、という質問だ。わざわざアメストリスとやらから遠路はるばる会いに来るくらい愛おしい人とその他の日本人を見間違えるわけはないのだから。以前にもした同じ質問だ。同じ質問をされていることを、天才だという彼はきっと覚えていることだろうけれど、エドワードさんは真剣に、本気で返してくれた。


「ああ、もちろん」

「本当ですか?」

「本能ってやつでわかる」

「…………」

「いっぱいの人混みの中でも、きっと分かったよ」


「きっと分かったよ」って、なぜ私を見つめながら言うのだろう。言い間違いを指摘しなければいけないほど、あなたの日本語はもう拙くはないでしょう。彼の台詞は完ぺきだった。完ぺきな愛の囁きであった。

去り際に言われた。「エドワードさんじゃなくて、エドワードでいいから」って。「もしくはエド、とか。みんなそう言うし」って。私は無表情で、こくりと頷いた。そして、「送ってくれてありがとうございました」と、他人行儀に深々頭を下げて礼を告げた。
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