はたから見れば、林檎をあーんして食べさせてあげている彼女と食べさせてもらっている彼女だが、実体は異なる。これは一種の駆け引きだった、相手の腹の読み合いだ。この人、エドワード・エルリックは何かを考えて私に変なアプローチをしかけてくるのか。唯一の肉親と大切な幼馴染の結婚式にも出席せず、得体の知れない女を捜し歩くなんてやっぱりこの人は可笑しい人だ。
愛のこもった視線と言えば聞こえはいいが、彼の金色の瞳はどう見ても私を映してこそいるが、それでも私自身を見つめているわけではない。私という人間を通して、私に似た誰かを必死に探し求めている。そこまで彼の心情を理解していながら、私はその熱いまなざしに説明を望むわけでも応えるでもなく、耐え切れなくて部屋を出る選択をしてしまう。こんなに甲斐性なしになったのは、きっとこの男のせい。しかも鞄をひっつかんで立ち上がると力強い右手が伸びてきて、引き留められてしまう始末。ああ、早くこいつから逃げたい、この男のいない世界へ。

掴まれた右手になにか違和感を感じた刹那、ガラッと躊躇なく開いた襖の先には腰のやや曲がった老齢の男性が立っていた。仏頂面の老齢の男性は、ぺいっと白い紙袋をエドワードさんの顔めがけて投げつける。そのおかげて私を引き留めていた右手は離れ、彼は情けない声をあげる。


「アダッ」

「なにをしとる、嫌がる女子を引き留めるなど男のすることか」

「イ、イヤ、これは、」

「ほれ、薬だ。それでも飲んどけ」


老齢の男性が投げつけたそれは、近隣の薬局の名前が印字された紙袋で、ドラックストアで購入したものではなさそうだ。エドワードさん、医者には行ってないって言っていたのに。


「あれ、エドワードさん、医者には行ってないんじゃ?」

「ああ、こいつは保健証どころか戸籍もないから真っ当な医者には見てもらえないんだよ。だから知り合いの医者に適当に処方してもらったんだ」

「えっ」

「よ、余計なことは言わなくていいんだよ、じいさん!」

「どこが余計か。このお嬢さんに余計迷惑が掛かるだろうが。それ飲んで寝とけば治る。ほれ、お嬢さんも下に行こう。こいつと一緒にいるとなにされるか分らんぞ。男はみんな狼じゃからな」

「誰がオオカミかっ!!」


顔をゆでだこにして訴える彼を放置して、私とお爺さんは下の階へ。その間に適当に自己紹介を済ませた。彼は柄沢栄太といい、歳は今年で91歳(とても見えない)、「怪しい外人を匿ってみたい」などとという奇天烈な行動・発言を取る人物には到底見えなかった。良識ある善良な大人、といった風だ。
エドワードさんとの出会いは、近くの公園でひとり行き場に途方にくれていたらしい彼に声をかけ、居候させたという随分シンプルな話だった。しかし、彼には保険証どころか戸籍すらない、というのはどういう訳だろう。


「あ、もしかして、オーバーステイってやつですか?」

「いや、オーバーもなにもそもそも正規のルートで入国しとらんだろう」

「へ?」

「密輸なのか何なのか。パスポートらしきものは持っとるが、ありゃこの国でもアメリカさんでも通用せん代物だろう」

「………………」


心底意味が分からない。鳩が豆鉄砲食らったような顔をする私に、お爺さんはロマンチックなことを言った。その台詞はとても鮮烈で、私の心に焼き付くようにこびり付いた。きっと私はこの台詞を一生忘れないだろうし、これ以上彼を形容するにぴったりとあてはまる単語はこの世にはないと断言する。


「あいつのことは深く考えんでいい。悪い奴じゃない、それは保証する」

「は、はい」

「あれのことは、とある星の王子だとでも思えばいい」

「…………………」

「王子ってところが、ちとミスマッチかもしれんがね」


にやっと笑って、お爺さんは学くんの様子を見に奥の部屋へと向かった。私はぼんやりとしてしまって、学くんと約束したハンバーグを作るため、勝手にひと様の家のキッチンを使う。

とある星の王子。うん、言う通り、エドワードさんは『星の王子』って感じだ。どこの国かは分からない、でも、彼はどこか私たちの知らない国からやってきた王子に近い存在なのだろう。……そんなおとぎ話を割と本気で信じてしまいそうになるくらい、彼の存在は浮世離れしていた。お爺さんでなくとも、匿いたくなるその気持ち、ほんの少しだが理解出来る。

その内に帰宅してきた学くんのお母さんと共にハンバーグを作り、何故かともに食卓を共にする運びとなる。私用の大鉢にお米をもりもりに盛られており、帰るに帰れない状況だ。「いただきます」を唱え、大鉢を抱えていざハンバーグを食べようというときに、星の王子が頭を抱えながらふらふらと降りてきた。


「あ、とある星の王子だ」

「ヘ?ほしのおうじ?」


突然私に謎のあだ名で呼ばれ、彼は困惑していた。


「どうした、お前は粥でも食ってさっさと寝ていろ」

「ヤ、なんか良い匂いしてたから」

「エドも食べる?でも風邪引いてるときって消化がいいものがいいんだよね?だめ?じいちゃん」

「駄目だな。粥食ってろ」


お爺さんってエドワードさんには辛辣だな。ギギギ、と歯ぎしりする彼をしり目にお爺さんはもりもりデミソースこってりのハンバーグを食べている。
エドワードさんは熱があっても食欲はあるタイプの人なのかもしれない。だって、さっきから恨めし気にハンバーグを見つめ、どろどろのお粥を我々から少し離れた位置(風邪を移さないようにという配慮なのか、なら自室で食えと思う、寂しいのか?)で食べている。

すると、学くん母がやさしい微笑みを浮かべて言う。学くんの母さんは、日本の定番お母さんといった風で、優しくておおらかで、それでいて度胸のある女性とお見受けした。


「エドくんはお嬢さんの料理が食べたかったのよね」

「え、」

「イ、イヤッ、別にそんなんじゃゴホゲホドホゲホ!!」

「ちょ、あれ、死にません?」


尋常でないむせ方をしているため、慌てて水を片手に駆け寄った。背中を摩りながら水を差しだすと素直にお粥を水で流し込み、肩で息して呼吸を整える。触れた背からは熱が伝わってくる。起き上がっているのも辛いだろうにな。それにしてもこの家族のエドワードさんに対する態度は何なんだろうか。見知らぬ外国人の匿い、衣食住を世話してはいるが、そこまで親切丁寧というわけでもないようで、今も我関せずとハンバーグをもりもり食している。学くんだけは心配そうにこちらをちらちら確認しているが、その挙動をお爺さんに「食事中は食事に集中しなさい」と注意されている。
呼吸が落ち着いても苦いことに変わりないので、肩を貸してやってエドワードさんを二階まで運ぶことにする。後ろから学くんがお粥を持ってきてくれるもののすぐにハンバーグの待つ一階へと、そして私と彼の2人きりの空間に逆戻り。病人が相手なので、気持ちは幾分楽である。

私は、人と2人きりが得意ではない。


「…私、2人きりって苦手で」


あれ、なんでこんなこと口走ってんだろう。辛そうにしてる病人相手に、こんなこと。でも、口は止まらないし、彼もうっとうしそうではなく、言葉の続きを待ってくれている。


「昔、言われたんですよね。私は何考えてるか分からなくて自分からあまり話さないし、相手に気を使わせる奴だって」

「……ハァ?」

「相手に話させてようとしてる。話題を出すのを怠ってる、つまらないって」

「なんじゃそりゃ」

「デートにしつこく誘われていたので、Wデートで仕方なく行った男の子に言われました。帰り際に。振られたんでしょうね、別に私だって好きなわけじゃなかったけど」

「……………」

「結構傷つきました。でも、本当のことだろうと思いました」

「そ、そんなことは、」

「だから接客業をしてみようと思ったんですよ。ちょっとは上手になったかな、社交辞令」

「………………」

「ああ、社交辞令とか言っちゃうところがダメなんでしょうね。心から楽しまないと、あはは」


お粥を器に移し、彼に差し出す。彼は受け取りはするものの、何か思案しているようで口を付けない。別に一緒に悩んでほしかったわけじゃない。これも話題の一つだった。私ってこんな奴でね、こんなつまらなくて性格悪い女なんですよって知ってほしかった。変な期待はしないで、ありのままを理解して、そしてさっさと恋人を探しに行ってくれ。この人を遠ざけたい、逃げたいとする逸る気落ちが、確かに心の中にはある。この王子が、私の思い出となる前に、ただの袖すり合った程度の仲でいるうちに、早く、早く、はやく。
れんげに少しばかり乗ったお粥を、そのまた半分ほど口に含み、咀嚼しながらエドワードさんはぼそぼそと呟いた。慰める、アドバイスする、というよりは、同意するといった感じだった。


「俺も、どっちかって言うとそうだよ。興味ないものには興味ないし、あるものに関しては周り見えないくらい集中して呆れられるし。面白い話題なんて出せないし、出したいとも思わない。別に誰からも好かれたいわけじゃない、嫌われたいわけでもないけどな。でもまぁ、好かれたい奴には好かれたいから、努力はしたい」

「…………………」

「おまえも、そいつを好きじゃなかったから、つまらない振りをしただけだろ。俺はおまえといて、つまんないと思ったことは一度もない。バイトの店長も、おまえをいい子だって言ってる」

「…でも、あの人、私のこと、心ここにあらずって言っていたし、その通りなんですよ」

「心ここにあらず?」

「私には、心がないってこと」


店長はなにも悪くない。私が尋ねたことを返してくれただけ。悪くない。たぶん、私のデート相手も友人も誰も悪くない。悪いのは、軽薄な私の性格。表情や感情に乏しくて、言葉はとげとげしくて、素っ気なくて愛想がない、だから取っつきにくい。一時期、『氷の女王』なんてあだ名を学生時代に付けられたことだってある。そうだ、私の心は存在していないのではなく、凍っていて何もにも溶かせないのだ。

私には心がない、そう話して傷ついていたのは、私じゃなくてエドワードさんの方だった。なんでそんな泣きそうな顔してるの。驚いてしまった、慌ててしまった、ティッシュを探してしまいそうになるほど、その瞳は潤んでいる。鏡面張力ギリギリを踏ん張り、辛うじて涙を流していない彼が絞り出した言葉は、

「そんなことないよ。おまえは、やさしいよ」

だった。

れんげを器に戻し、ゆっくりとした動作でこちらに近づき、長くてがっしりしていそうな両腕が私を包み込むように伸びてこようとするのが分かるが、あまりにスローモーションでこの世のものとは思えぬ初めての経験と時間だったけれど、本当はほんの数秒の出来事で、しかも結局エドワードさんは私を抱きしめることはせずに寸前でやめ、行き場を失って宙を舞う両の手は私の両の手に重なり、ただただぬくもりを分け合う結果となった。そこで私が気になったのは、彼がなぜ私を抱きしめようとしたのか、なぜ手を重ね合ったかではなく、その右手に人間のぬくもりが感じられなかったこと。
そして疑いの予知もなく私のこの心臓は、どく、どくと鳴っていた。これを恋のときめきだと評する人は多いだろうけれど、この胸の高鳴りは決して恋だの愛だの、そんな単純な感情から動いたものではない。この高鳴りは、私の意思ではない。そんな予感がした。
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