薔薇、百合、秋桜、向日葵、桜。この間よりも幾分か整った文字の形が白い紙の上に並んでいる。彼は努めて平静を装いながら、この中の花ならばどれが好きか、と尋ねてきた。正直に答えた。


「別にどれもそれほど好きじゃないです」

「エエエ?」

「そう言うエドワードさんはどのお花が好きなんですか?」

「俺?俺は、サクラかな」

「見たことあるんですか?」

「無い。だから楽しみにしてる。あの並木道、春にはサクラがいっぱい咲くんだろ?」

「ええ、すごいですよ。お祭りみたいになるんです」

「祭り、たのしみだ」


子供のように無邪気にほほ笑む。そんなに楽しみなの?外人さんにとっては珍しいものなんだろう、もしかしたら探し人に桜について予備知識を与えられていたのかもしれない。薄いピンク色の小さい花が木全体を包むように咲くんだよ、とか。脳内では、ロングヘアの女性が優しい笑みを浮かべながらこの人に語っている映像が流れている。この人は、そうか、見るのが楽しみだ、と彼女に微笑み返すんだ。…我ながら思う、自分らしくない想像をしているな、と。他人の色恋沙汰を妄想するなんて、時間の無駄ベスト3に入るくらいの無駄中の無駄であるのに。


「桜が咲くのはまだまだ先ですよ、今は9月だもの。あと半年以上先です」


彼の心底楽しそうな顔を、意地の悪い私は何として消してやりたくて、やや強い口調で私的した。それでも彼は無礼な店員のこの態度を気に留める様子もなく、「ウン。あと半年で見れる」と、はにかむのだ。私は、自分がひどく汚い人間のように思えた。
休憩時間を終えた店長が大あくびをしながら出てくると、私たちの会話を聞いていたらしく、来年の春の予定についてさっそく話し出した。


「来春はね、うちの店も出店でも出そうかなぁって思ってるんだよ。温かい飲み物とサンドイッチとかおにぎりとか売るつもり」

「へえ、そうなんですか。温かいものはいいかもしれませんね」

「でしょう!エドワードくんもぜひ来てね、なんなら売り子やってくれてもいいよ。君が売るなら若い女の子も喜ぶだろうし」


店長よ、お客さんに売り子やらそうとするなんてどんだけ図々しいんだ。そして肝心の彼は適当に返事を返す、うん、愛想笑いしてればいいよ。来春、あなたがここに留まっている保証などどこにもない。探し人を探して、また次の町へ行くかもしれないのだから。
カップにおかわりのコーヒーを注ぎ、おまけのクッキーを添えてやると、愛想笑いから再びさっきの弾んだ笑みを私にくれる。「ありがとう」、と。チャイじゃなくてコーヒーだからそんなに嬉しそうなの?それとも…。
私は何故か、長くその弾んだ笑みを見ていることが出来なくて、ふいと視線を外してしまう。失礼な態度だった。自分のそんな失態を覆い隠したくて、話題を変える。


「あの、店長、私そろそろ学校始まるので、シフト変更お願いしますね」

「あー、そうね!了解!寂しくなるな〜」

「辞めるわけじゃないんだから大袈裟ですよ」

「ガッコウ、大学か?」

「ええ」

「シフト変わるのか?」

「ええ、これまでは学校がお休みだったので毎日いましたけど、授業があるとそうはいかないのでこれからは土曜日と平日2、3日くらいですかね」

「エッ」

「なんです?」

「イ、イヤ、べつに」


何よ、その反応。そんな反応するから、隣に立つ店長がにやにやしてしまうんだ。
このお店の立地はそれほど良くない、人通りも多くない。周囲にいくつか大きな会社やオフィスがあるだけで周囲に観光地やショッピングモールもないため、繁盛日のはずの土日の方がむしろ客数は少なくなるため、日曜日が定休日だ、あと祝日と気まぐれに雨の日は唐突に休んだりする。店長曰く、適当さがこの店の売りらしい。それがこの店の流行らない原因の一つであると店長自身気付いているのだろうが改善する気はないようで、このままのんびり続けていけたらそれでいいのだと言う。会社員勤めをしているという奥さんが気の毒である。
大学は嫌いではない。が、好きでもない。知識が増えるのはよいことだ、教養を身に付けることは人生の醍醐味だとも考えている。大学生活自体にも不満はない。適切な友人関係を構築出来ているはずであるし、適度に遊び、時々は授業をサボったりもするし、テスト前には勉強にかじりついて勉強もする。その他大勢の大学生と同じようにして、生きている。未来のあれこれよりも、目の前に提供された若者のキラメキというやつをきちんと享受出来ているはずである。それなのに、一日に一、二度は必ず不安になる。私はその他大勢とみんなと同じように"出来ている"のかどうか。私はどこか可笑しいんじゃないか。みんなと同じように振る舞えているのか。されても困るだろう質問を、何度も飲み込んで、未だ誰にも問えていない。大学は嫌いではないが、好きでもない。この時間が過ぎ、どこかに就職でもすれば、また、運命の人という顔も知らぬ誰かに出会えでもすれば、この心許ない思いも無くなるのか。

この葛藤は、きっと若さゆえものなのだ、と言い聞か、今日もしっかり飲み込んで、思いたちがせり上がってこないように冷たいチャイを喉に通していく。


「なにか、悩んでる?」

「え?」


はっとして顔を上げる。隣にいたはずの店長は、他の常連さんと窓辺の席で話し込んでいた。気付かなかった、ぼんやりしていた、いかんいかん。
悩んでる?聞かれ、首を横へ振った。


「いいえ、全く。どうしてですか?」

「そういう顔をしてた。なんか、こう、つらそうだ」

「辛くないですよ。状況的に言えば、エドワードさんの方が辛いでしょう。逢いたい人には逢えないし、異国の地で慣れないだろうし」

「アー、今はもう、つらくない。むしろ、楽しいよ」

「そう、ですか?」

「毎日、楽しい」

「…逢えてないのに?」

「逢えるさ」


何を根拠に。大したの自信だな、その人と自分は運命で繋がっているのだと疑っていないのだろう。だったらさっさと探しに行けばいいものを、こんなところで油を売って、モタモタして、一体全体なにがしたいんだ。
私の内なる悪態が通じてしまったのか、聞いてもいないのに今後の計画について明かしてくれた。


「今度、駅前辺りを探してみようかと思ってる」

「え?そんな見当たり捜査みたいな感じで探す気ですか?正気ですか」

「みあたり捜査…?」

「ググって下さい。いや、マジで正気ですか。そんなんで探している人が本当に見つかると思ってるんですか?」

「ウン、思ってる」

「マジか…」

「そうやってここまで来たから、だいじょうぶ」

「はぁ」

「だ、だから、案内して欲しい、駅前とか。あの辺、人が多いから一人だと迷いそうだ」

「え、嫌です」

「エエエエ!?」

「日本人がイエスしか言えないと思ったら大間違いですよ」

「そんな風に思ったことは一度もないけど…。お、お礼に昼ゴハン?昼メシ?奢るよ」

「そんな軽々しく言って後悔しますよ。私こう見えてめちゃくちゃ食べるんですから」

「はは、ウン、そうか、ウン、それは、望むところだね」

「(財布の中身すっからかんにしてやる…)」


流れはすっかり案内する方向へと向かってしまった。断るタイミングを逃した。まぁ、一緒に探す、と言ってしまったのだから案内くらいは強力すべきであろう。お昼も奢ってくれるって言うしね。


「じゃあ鰻でも奢ってもらおうかなぁ、駅からはちょっと外れちゃいますけど」

「ウナギ?うまいのか?」

「うまいうまい!日本に来たら鰻食べなきゃ損ですよ!あ、十杯くらい食べてもいいですか?」

「ウン、いいよ」

「ふはっ」

「?」


今週の日曜日、午前十時にこの店の前に集合。そう約束をして、彼は店を出ていった。背中はいつもと変わりないように見えたけれど、実は、彼が私を外出に誘ったことがどれほど革命的なことであったかを、私は知らない。
互いに集合時間よりも10分も前に着いていて、互いに「早いね」とも「もう着いてたのか」とも掛け合わず、初めから9時50分に約束していたかのように歩き出した。結果的に、収穫らしい収穫はないし、結局はただの散歩の時間みたいだった。適当に歩いて、あーだこーだ言い合って、「いないですよね」「そうだな」「います?」「いない」と言葉を交わす。本屋さんに入り、女性雑誌を一冊手に取って、「この中だったら誰に似てます?」と女性たちを選ばせようとしたけれど、彼は「誰にも似てない」、と断言した。


「私は外国の方はみんな同じ顔に見えちゃうんですけどね。やっぱりその人とその他大勢の日本人は見分け付きますか」


そんなの当たり前だろう、という質問をしてしまった。わざわざアメリカから遠路はるばる会いに来るくらい愛おしい人とその他の日本人を見間違えるわけはない。けれどその時は本気でそう尋ねていて、そして彼も質の悪い質問に本気で答えてくれた。


「ああ、もちろん」

「本当ですか?」

「本能ってやつでわかる」

「…………」

「いっぱいの人混みの中でも、きっと分かったよ」


分かったよ、じゃなくて、分かるよ、ですよ。言い間違いを訂正してやると、彼はまた「日本語ハムズカシイ」ととぼけて肩をすくめていた。ちょっとの言い間違いを除けば、彼の台詞は完ぺきだった。完ぺきな愛の囁きであった。愛する人が、例え似たような人の群れの中にいても必ず見つけられる、そんなものだろうか。きっと、そんなものなんだろう。

その後の昼食は約束通り鰻を食べた。さすがに遠慮して一人前だけにしようとしたら、遠慮しなくていいと、本当に十人前を頼み出した。動揺していたのは店員さんと厨房にいた店主さん。二回ほど間違いではないか、本当に食べられるのか聞かれた。私は見事それを全て平らげた。目を驚き、口をあんぐり開けて拍手を送る店員さんたちや他の客とは違い、彼だけはただ愉快そうに笑っていた。
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