連れていかないで、その人がいないと私は寂しくて苦しくて怖くて仕方ないんだよ。
結局、エドワードは警察官に二、三の質問をされ、その後どこかへ連れていかれてしまった。私とは別のところへ。私は派出所まで別の警察官の方と共に向かい、彼との関係を尋ねられた。全てを話すことなど出来なかったから、バイト先で知り合ったのがきっかけで仲良くなったのだと説明した。迎えは松坂先生が来てくれた。彼も彼で、エドワードがいかに善良で害のない人間かをとくとくと説いてくれた。自分が身元引受人になるからどうかこちらに返して欲しいと必死に訴えてくれた。それでも、警察官は「今日のところはお引き取り下さい」の一点張りだった。
迂闊だった。今までが何事もなく過ごせていたから気を抜いてしまっていた。もっと慎重になるべきだった。彼は、とある星の王子なのだから。

迎えに来てくれた松坂先生に腰を曲げて謝罪をした。


「ごめんなさい、こんなことになるなんて。私の所為です」

「いや、僕も迂闊だったよ。もっとよく考えればよかった」

「はい…」

「だって、彼があんまりにもこの街に馴染んでいるから」

「………………」

「なんで国籍や資格が必要なんだろうね。あんなに誠実で実直な人間を排除する必要なんてどこにあるんだろう」


その言葉に思わず涙が出た。肌や目の色、言語や慣習や宗教で対立するけれど、結局は同じ人間じゃないか。ぶたれれば痛く、罵られれば悲しい、大切な人もいて、守りたい家と家族があるはずなのに、どうして国境を超えるとそれらを無視して危険分子とみなされるのか。きっと私達の想像を遥かに超えた諸問題があるのだろうが、それらを理解するには今の私は余裕が無さ過ぎた。
真っ青な顔をしていたのだろう、直ちに病院へと戻された。病室には学くんと学くんのお母さんがやってきて、「お祖父さんがきっと何とかしてくれるから」と呪文のように私を宥めるべく唱えていたが、おそらくそれは無理だろう。いくら地元の名士とは言え、国籍などを一切持たない謎の外国人を国内に留めてけるほどの権力を持っているわけがない。こうなった以上、エドワードを日本に留めておくには非合法なやり方をするしかないのだ。それこそ、裏社会の人間の力を借りて、国籍や戸籍を売買するといったようなやり方で。しかしながら私達にそんな力もつてもない。私達三人は途方に暮れた。
が、一つだけ可能性を思い付いた。と、言うより、思い出した。以前私の見舞いに来てくれた親友・青はどうやらその手の男性と結婚するらしいということ。自家用ジェットを持つ、日本人ながらイタリアの”何か”の老舗を継ぐという御曹司。その人ならば、どうにかしてくれるかもしれない。私は急いで携帯電話を取り出し、親友の青へと電話をかけた。そこからはよく覚えていない。とにかく必死に事情を説明し、彼を助けてくれるよう懇願した。彼女は二つ返事で「わかった、なんとか動いてみる」と返事をしてくれた。とにかくもう、私は他人の力を借りるしか出来ない。

刻一刻と私の手術の時は近づく。しかし、エドワードが姿を見せることはない。松坂先生も学くんもエドワードのことを話題にはしない。努めて明るく、異なる話題を出して私を励まそうとしてくれた。でも、この心はちっとも晴れない。
いつものように見舞いにきてくれた学くんに、私はある提案をした。彼は最初猛反対をした。だって、そんなの意味のない行為だから。


「お百度参りでもしようか」

「え…」

「それが、お遍路さんとか」

「そ、そんなの意味ないよ、神頼みだもん。それにお姉さんの体調じゃ無理だよ」

「そうかな。だからこそ意味がある気がする」

「そんなことして体調が悪化したらそれこそエドが悲しむよ、やめようよ」

「じゃあ何もしないで待ってるの?」

「……………」

「…そうだね、そんなの意味ないね。神様なんているかどうか分からないんだから」


そんな神頼み、ただの人間の気休めにしか過ぎない。したところで今の私の体力では余計に悪化するのは目に見える行為だ。だけど、何かをしていないと気が済まなかった。
ぽつり、と学くんはプラスの意見を主張し始めた。彼もまた何もせずにはいられない、エドワードを慕う一人なのだ。


「でもさ、神さまがいないなら、エドはここにはいないと思うんだよ」

「……………」

「だって、エドはとある星の王子でしょ。どうやってこっちに来たのさ。人為的じゃない、何か特別な力が働いたから来れたんだよ。それに、」

「…それに?」

「それに、エドはいつも言ってた。なんの対価もなしに何も得られないって。欲しいものがあるならそれ相応の努力をしろって」

「………………」

「ぼくがお参りをするよ。お姉さんは待ってて」

「ううん、一緒にやるよ」

「でも、」

「休み休みやる。自分でやる」

「じゃ、僕が一五〇回やる!お姉さんは半分やって!」

「学くんが一五〇回やって、私が、五十回?」

「そう、それで二百。二倍やれば、願いも二倍だよ」


馬鹿げた話を、私達は地球を救う術を相談するみたいに真剣に議論した。言わずもがな、二百回やろうが五百回やろうが結果は一回のお参りと変わりはないだろう。そんなこと、実行する前から分かってる。なのになんで私達はこんな鼻息荒く決意をするのだろう。想いだけで現実を変えようとするのだろう。それは、私達があまりに無力だからだ。力もなにもない、ただの一市民に過ぎないからだ。想いでしか、戦えないからだ。

実行日はその次の日の朝方。もう十二月を迎えた早朝の寒さは肌を突き刺し、肺を凍らせた。けれど私達はやめない。まずは学くんが五十回、次に私が二十五回、次に学くんが五十回、次に私が二十五回、最後に学くんが五十回というリレー形式にした。噂に倣って、人に見つからない早朝に裸足で登ることにした。真冬の石の冷たさ、この冷たさを私達は一生忘れないだろう。
実行を松坂先生をはじめ、誰にも教えなかった。学くんもお母さんやお爺さんには言わなかったらしい。タイムリミットは人々が目覚める頃まで。勢いよく飛び出していった学くんの背を、私は祈るように見守った。子供の体力と病人の体力だ、スピードなどたかが知れている。時間はとにかくかかった。心臓はばくばくと危険な高鳴りを続けていたが、やめることだけはしなかった。途中、私と学くん以外の人影を見た。なんと店長だった。店長がばっちりとスポーツウエアを着こみ、片手に保温瓶を持ちながら登場したのだ。驚いた。無言で登場し、無言で我々の二百度参りに参加し出したのでさらに驚いた。続いて現れたのは学くんのお母さんだった。これには学くんが素っ頓狂な声を出して「お母さん!?」と叫んだ。さらには柄沢のお爺さんまで登場し、騒然五人でも二百度参りが開始された。どこから情報が漏れたのだろう。意外と病院の情報もは凄まじいから、婦長→松坂先生→店長→柄沢家、という流れで伝わったのかもしれない。とにかく、五人となった我々の熱量はさらに上がり、私の不安は少しずつ溶け、冷えていた身体も温まっていった。時折、店長が持参した温かいお茶で休息を取りながら、皆で二百度参り以上の回数のお参りを完遂させた。これで本当にご利益があるかなんて分からないし知らない。エドワードが無事に解放されようと、危険分子としてどこかへ追いやられてしまおうと私達のこの行為はきっと関係がない。けれど、私達は確かに彼だけのためにこの苦行を行ったのである。エドワードが無事に帰ってきますように、ただそれだけのために。
病院へこっそり戻ると、病室には夜勤明けらしい松坂先生が待っていた。ふわぁと欠伸をして、私を見つけるとにやりと笑う。


「その様子じゃ大丈夫だったみたいだね」

「し、知ってたんですか」

「うん、婦長から聞いて」

「やっぱり……」

「君が運ばれてくるんじゃないかって心配したよ」

「本当にすみませんでした」

「で、ちゃんとお参りは出来た?」

「はい」

「じゃあ、あとは信じて待つだけ。君は身体のことだけ考えて」


一週間後、私は再手術を受ける。その時までにエドワードが戻ってくるかは分からない。それでも、私は生きるために手術を受ける。このスカーレットの心臓を治すため、心を守るために。
もし、この心臓が正常に動くようになったらもしかしたらスカーレットの記憶も蘇るかもしれない。エドワードやアルフォンス、ウィンリィさんやマスタングさん達のことを思い出すかもしれない。そうすればエドワードもきっと喜ぶ。私は消えても、スカーレットは蘇る。記憶さえ、想い出さえ戻れば、私はスカーレットになれる。そうしてたとえ私が消えてしまったとしても、何の心残りもない。

手術前日の日、柄沢さんのお爺さんがお見舞いに来てくれた。相変わらずエドワードと連絡は取れないと言う。私はある可能性を述べた。


「もしかしたら…、自分の星に戻ったのかもしれませんね。ピンチになったら戻れるようにしていたからこそ、あの時あんな余裕だったのかも」

「それはないな」

「え?」

「あいつ、言っとった。こちらに来る渡し賃はもう支払った。今度戻ったらもう二度こちらには来れない、と」

「……………」

「あんたにきちんとした別れもしないで戻るなんてあり得ないだろう。それに、あいつは日本に骨を埋める覚悟だとも言った」

「そんな、」

「あんたを”あっち”に連れ帰る術はないから、自分が残ると」

「………………」

「いやいや、こういうことは本来はあいつの口から言うべきことだったのに、なかなか戻ってこないから言ってしまった。いかんな、あいつにも格好付けさせてやらんと」

「わ、私はあっちに行けるんですか」

「さあ、カラクリはわしには分からんよ。でも、連れていくには渡し賃が必要で、あんたにはもうそれがないらしい」

「…だから、エドがこっちに」

「ああ」

「でも、エドワードにも家族がいます。友達や仲間がいるはずです」

「ああ」

「私一人のためにここへ留まらせるわけにはいきません。色々不便です。きっと本来の星なら、彼はもっと活躍出来ます。日本じゃ彼が活躍出来ない」

「それでも、”あっち”にはあんたがおらんだろう」

「………………」

「しょうがない、人生は総べてを手には入れられない」


柄沢さんは「明日の手術の成功を祈る」と付け加え、去っていった。彼は、エドワードの歳の離れた大切な友人。その彼が言うのだから、話は本当なのだろう。エドワードは何を渡し賃にしてこちらに来たのか、そして故郷に戻ったらもう二度とこちらには来られないとはどういうことなのか、私には明確なことは言えない。けれど、彼はとても大切なもの達を対価にして、私に会いに来てくれたのだろう。私はそれにどういう形で報いればよいのだろう、どうすれば彼が支払ったものと同等のものを私も返せるだろうか。私には、私自身がスカーレットになる他、彼に返せるものが見つからない。こんなことをエドワードに言ったら怒るだろうな、「そんなことを言うな、俺はそんなこと思ってない」って。早く、早くそう言いに来てほしい。
私は手術をするよ。
それほど危険な手術ではないけれど、もしかしたらまた目覚めない可能性だってあるよ。
そうしたら、またあなたの国へ私の魂は行くのだろうか。また、人形のような肉体が用意されて、その中に飛び入って、思い出せない皆と共に時を過ごせるのだろうか。それはそれは楽しいだろうな。エドワードの話を聞いている限り、皆いい人達だから、私を喜んで迎え入れてくれるだろう。それもいいな、私は私を捨てて、『私』に舞い戻る。艶のある美しい、強くて麗しい人に戻りたい。神頼みしか出来ないような無力で脆弱な私ではない『私』になりたい。すぐ泣く人間にはなりたくない。でも、涙は出るのだ、出るな出るなと脳が命令しても、溢れるのだ。


「……私は今、あなたに何が出来る?」


どこにいるかも分からないあの人に向け、呟いた。
私は手術をするよ。あなたに会えぬまま、手術室へと入った。

夢を見た。正しく言うと、幻を見た。私は病院の病室に寝かされており、口には酸素吸入器を付けられ、腕から管が何本も出ている状態。何故か涙が止まらない。止まらなくなった涙は目頭を伝い、流れ放題になってしまっている。シーツにしみを作り、洪水状態になっても止められない。そんな私を可哀想と思ったのだろうか、看護師さんか誰かが私の涙を拭ってくれている。泣き過ぎたせいで瞼が重たくて開けられず、焦点が定められない。今度は布を使い、目の辺りをとんとんと優しい手つきで抑えてくれた。私はこの涙を拭ってくれる優しい誰かに彼・エドワードの安否を尋ねることとした。

すみません、申し訳ありません、もう一つ甘えさせて下さい。エドワードは無事でしょうか?エドワード・エルリックです。あの人は元気でしょうか?教えてください。お願いします。


「エドワードお兄ちゃんは無事だよ、大丈夫だよ」

「…………」


ぼんやりとした瞳に映るのは、長い栗色の髪をした少女だった。その少女は、スカーレットと共に映る写真にいたあの小さな少女であろうか。いくつか年を重ねたらしいその少女は、もう立派なレディになっていた。そのレディが、私にそっと囁くのだ。エドワードお兄ちゃんは無事だよ、大丈夫だよ、と。


「もうすぐここへ来るからね、安心してね」


写真の中では長い髪を三つ編みにしていたのが印象的だったが、今はロングへアをそのまま流しており、眼差しも少女の弾けるような眩さから大人の女性の艶やかさを感じさせる。そのレディが、私の頭を優しく撫でながらほほ笑む。すると、この目から涙がぴたりと止まった。そして、この口は、知らぬはずの彼女の名前を形どった。ニーナ。彼女はこっくり頷いて、色が滲んでいくように姿がじわりじわりと消えていく。ああ、これは夢ではい、幻でもない。きっと写真の彼女が成長した姿が、このレディなんだ。レディの名はニーナ。きっとスカーレットが大切に想っていた女の子。スカーレットの代わりに私を呼び起こしにきてくれたんだ。
今一度、残っていた涙がするりとこめかみを伝うと、それが最後の涙になった。私はある確信と覚悟を持ちつつ、再び深い眠りについた。

次に私が目を覚ますと、すぐ傍らにエドワードが座ってこちらを眺めていた。この手を握り、愛おしそうな眼差しで見つめていた。その眼差しは、私とスカーレット、どちらに向けられているものなのか、今ならはっきり分かる。
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