せっかくの流星群が舞い落ちるその夜は、急激な天候の変化により雨に終わった。雷もゴロゴロとなるほどの大荒れの天気に、用意した温かい紅茶も病院の近くにある美味しいパン屋のシナモンロールも意味がなくなってしまった。ただの病室でのお茶会になっただけだった。けれどエドワードは対して残念そうでもなく、いそいそとお茶会の準備に勤しむ。テーブルに白い布をかけて、器にシナモンロールをのせて、ソファに腰を掛ければ、常にきちんとした格好をしている彼はさながら中世の貴族のように絵になる。悔しいかな、彼が私に好意を寄せてくれていたとしても不釣り合いではないだろうか。あの写真のウィンリィさんの方が何倍もお似合いだ。
準備を完全にエドワードに任せながら、私は呑気にベットの上でレポートの最終仕上げをする。あとはこれを印刷して表紙を付ければ終了だ。
「ずっと気になってたんだけど、」
「ン?」
準備を終えたエドワードがふとこちらを向く。私の疑問に答えるためだ。
「それはくせ?それとも痛むの?」
「なにがだ?」
「右肩と左足の所、よく摩ってるから」
「アー…」
「雨の日いつもそうしてる気がする」
「よく見てるな」
「べ、別にそういうわけじゃないよ。気になる仕草だから。ほら、よく言うでしょ。雨が降ると古傷が痛むって」
私の当てずっぽうの問いかけは当たったらしい。どうやら、彼は右肩、左足の膝辺りに古傷があるらしい。苦笑いをして、「昔ちょっとな」と言い、それ以上は語らないというようにシナモンロールを豪快にひとかじりした。
「あ、まだ、お茶会開始してないよ」
「残念でした〜、もう開始してました〜。レポート、ひと段落ついたんだろ?じゃ、少し休めよ」
「うん、まぁ」
休めよ、だなんて、もう彼氏気どりかよと突っ込みたくなるも、その笑顔が素晴らしく輝いているから何も言えなくなる。本当に、心から嬉しそうに笑うんだよな、この男は。その笑顔は、実はこの私ではなく、学くんから受け取った写真の女性へ向けられているもだって私は知っているけれど。ああ、そうだ、この写真、いつエドワードに返そうか。
一人と半人分ほどの距離に遠慮がちに座って、私はまず紅茶をひと啜りした。この期に及んですぐ隣に座れるほど、私は女らしくもなく経験値がない。自分に好意を持つ男性への対処など学ぶ機会がなかったのだから。
「残念だったね、雨ふっちゃって。星が見たかったんでしょう?」
「まぁそれはそうだけど。また次があるさ」
「そんなに長く日本にいるつもり?弟さんと幼馴染さんも待ってるんじゃない?前に言ってた、マスタングさんも待ってるかもよ」
「いやそれは絶対無い命かけてもいい100%ないあり得ないなんてことはあり得ないけど、それはマジナイ」
「そこまで言わなくても……」
仲がいいのか悪いのか。時折、マスタングさんのことを話すくせに、当の本人同士は嫌い合っているらしい。と、言うことは、『私』とマスタングが親しかった間柄なのかもしれない。
未だ、左手で右肩を摩り、右手で左膝を小刻みに撫でている仕草が気になる。私に気を使わせまいとしているのか動作はそれほど大げさではく、さり気なさを意識しているようだが無理がある。
無意識のうちに、私の彼の右肩へと手を伸ばしていた。自然と彼の左手と触れ合う形となるが、私に照れや戸惑いはない、エドワードにはあったようだが。突然の振り合いにお届いているところ申し訳ないが、私がしたいのは手を握り合うことではなく、肩を摩ることだけだ。
「こうして私が右肩担当、あなたは左膝担当。そうすれば片腕が休まるでしょ」
「お、おう…」
「両腕だなんて大変だわ」
渋りつつ、受け入れてくれた。やはり彼の右腕は変わってる。固いし、冷たい、普通の人間の腕ではない。狼狽えることもなく、恐ろしさは感じなかった。だって、彼はある星の王子だから、理解と説明できないことが山ほどある人なのだから。
無理に聞き出そうなんて思ってはいなかったけれど、夜は長い、エドワードは二の足を踏むように迷いながら、言葉を選びつつ自分の秘密を私に教えてくれた。
「子供の頃に、ちょっとな、右腕と、左足…左膝辺りから、」
「うん」
「事故とか事件とかじゃなくて、自業自得だから別にいいんだけどさ、」
「うん」
「義手なんだよ、俺」
「……………」
「右手が、あと左足が義足。右手は一度…その、なんて言うのかな、大丈夫になったんだけど、色々あってまたこうして義手生活」
「…そう」
「引いた?」
「なぜ?」
「日本人で義手の人間はあまり見ない」
「あなたの国には多いんだね」
「それなりにな。戦争があったから。それで発達した技術でもあるから」
「日本人だって義手の人はいるよ。同じように技術が発達したり、当人の努力が少ないように見せているだけで」
こくこく頷いて、柄沢のお爺さんから義手を隠す人工ゴムの存在を教えられたのだという。今はそれを嵌めて生活しているらしく、バレたことはないのだとか。
「ゴムの下はどうなってるの?見せてくれる?」
「いや……」
「いやだ?」
「そうじゃなくて、驚くと思う。思い切り機械だし、学も最初は相当ビックリしてた」
「見せるのが怖い?」
「……………」
「そっか。じゃあいいよ」
「悪い」
「エドが謝ることじゃないよ。あ、」
「ン?」
「それじゃ雨の日は私を呼んでもいいよ」
「?」
「私が右腕を撫でるの。その代わり、バイト代ちょうだいね、シナモンロールひとつで手を打つよ」
「…等価交換か」
「難しい日本語知ってるね、さすが」
「はは、そうか?」
「そう、等価交換。で、エドが見せてもいいと思ったときに義手も見せて」
「………………」
「見せられないってことは、私はまだあなたに信頼と信用を与えられていないってことでしょ。等価交換不成立。私も、あなたをもっと信用出来たら色々聞きたいことがあるから」
初めて、私たちの関係において主導権を私が得た瞬間だったと思う。彼はぱちくりと瞳を二度三度まばたいて、薄く微笑み、こっくり頷いてくれた。
あの写真に写る私は紛れもなくこの私だった。他人の空似でも双子でもドッペルゲンガーでもパラレルワールドにいる私でもない。けれど、今この瞬間、ここで息をしている私ではない。私だけど、『私』じゃない。不思議なことだけど直感して思ったのはそれだった。私であるのに私でないという摩訶不思議な感覚。きっと誰にも分ってもらえない。事の発端者であるエドワード自身にも、きっと。
代わりにその日は折り紙で作って遊んだ。我ながら子供っぽい遊びだったけれど、エドワードには新鮮だったようで、不器用ながら折鶴を完成させていた。私は星を作った。星の中にひっそり忍ばせた文字「私はあなたが探してる人じゃない」の文字に、彼が気づくことはきっとない。
無事に退院をして、試験も無事に終了して、もうすぐ2月を迎える。エドワードとの関係は相変わらず、つかず離れず、友達以上なのか恋人未満なのか分からない関係が続いていた。周りの企てもあり、二人きりで映画に行ったり動物園に行ったりした。雨が降った日、バイト先から柄沢商店まで相合傘をした。
「こんなに簡単に夢が叶ってよかったね」
意地悪のつもりだった、ニタリと笑って言ったやった。実際、簡単すぎるほど簡単に夢は叶ったじゃないか。けれど彼は切なそうに笑うだけ。ああ、彼にとっては簡単ではなかったのだと察するに余りある表情だった。