ああキスをされているんだなと理解するのと同時に、唇や顔に前身の熱がじわっと集中していくのを感じた。一瞬めまいがするほど、頭全体が重たくなるほどの熱だ。そして心臓がドクンと強く鼓動する。しかし、次の瞬間には彼を思い切り突き飛ばして、途中足をもつれさせながら病室を飛び出してしまった。ここまでで、実に4、5秒のことでほぼ無意識。後ろでエドワードが「走るな、身体に障るだろう」と大きな声を静止するのが聞こえているけれど、私の元気な足は病院の廊下をどんどんと走り進む。


「ちょ、待て!走るな、身体に障るだろう!」

「おっ追いかけてこないで!」

「だったら止まれ!具合が悪くなったらどうする!いいから止まれ!休め!寝ろ!」

「誰か助けてー!」

「なんで!?」

「こ、これはストーカーだ!!」

「なんっなに言っおま、ストーカーって意味理解してんのか!あれこれ2回目な気がすんな!」

「知れない人なのに長い間探し回され付きまとわれ、そしてついさっき重大なセクハラされたー!助けてー!」

「ちょっ俺がっどんな思いでっこの数年過ごしてきたとっ思ってんだっちょっとくらいセクハラしたっていいだろっ」

「セクハラは良くないよ」


とある病室から顔を出した松坂先生が合いの手を入れて下さると、エドワードの視線はキッと彼を睨み、けん制する。まさか本気で私が松坂先生に好意を抱いているとまでは思っていないだろうが、私の謎の2年間の秘密を知りながら話してくれない憎い相手なので、エドワードの中ではプチ敵認定されている人物だろうは。松坂先生は白衣を翻しながら颯爽と病室から現れると、私とエドワードの間に立ちはだかったので、エドワードの形相はますます鬼のように恐ろしいものへと変化し、何か口から白い煙のようなものまで出てきそうな勢いである。


「いや、エドワードくん、嫌がる女性に付き纏うのはいけないよ。彼女にも聞いたけど別にお付き合いしてるわけでもないんでしょう?きみのこの子への熱い想いは分かったけどね。よし、僕がその想いを聞いてやるから、もうストーカーなんて辞めなさい、諦めなさい」

「だからストーカーじゃないし、ただ走るのを止めて身体を休めて欲しかっただけななので。(退けコノヤロウ)」

「でもセクハラされたから部屋から逃げてきたんだよねぇ?」

「そうです。助けてー」

「なにが助けてだ!俺が助けて欲しいわ!」


合意なきキスなどセクハラ以外の何物でもない。確かに少し空気に流された感もあるけれど、一方的だったと判断出来る事案だろう。2人の問答の隙に、私は近場の女子トイレに駆け込んだ。これでさすがのエドワードは私の元へやってこない、指一本触れられまい。心臓はそこでようやく大人しい鼓動を取り戻したのである。外では相変わらず、エドワードと松坂がやいのやいの言っているが聞こえないし、知ったことではない。しばらくトイレで携帯でもいじって時間でも潰すか。


「チッ、先生のせいですよ」

「あーあ、でもそのうち出てくるでしょ。女子なんだから気を使って部屋で待っててあげなさい」

「……………」

「そう睨まないで。見えない扉を錬成されちゃったんだからしょうがないでしょ」

「…………………」

「それじゃね、彼女に何かあったらナースコールして」


数分後、トイレからそろりと顔を出すも、やはり未だにエドワードはそこにいた。だが、先ほどの怒りは消化され、壁を背に何か思いにふけっており、思考の中心に私はいないらしい。今がチャンスとばかりに身をかがめて彼の前を通り抜けようとするがさすがに見つからずに部屋に戻る子は出来なかった。
セクハラのキスをしたことを謝罪されたと共に、もう二度と無理に走らないことを約束させられた。どんな権限があってこいつは私の私生活にここまで言及してくるんだろうか。そして、それを私がはいはい素直に聞くと思っているのだろうか。


「思ってないからその都度言うことにするよ。とりあえず、休みなさい」

「もう十分休んだよ。レポート書かなきゃ」

「よし、どれ、俺が書いてやろう、国家が大騒ぎするレベルの代物をな」

「やめて」


最悪退学処分になる案件だぞそれは。それより、なにより、


「あの、もう、今日は帰って下さい」

「なんで」

「なっなんでって、自覚ないんですか?」

「……セクハラしたから?」

「そう!もう今日は帰って反省!」

「…ハイ」


すごすごと大人しく帰り支度する。こういうところは聞き分けがよい。自分でもやり過ぎたと自覚があるのだろう。
コートを羽織って鞄を肩にかけたところで、松坂先生について思いがけない質問をされた。


「あいつ、松坂って医師はどんな人間だ?」

「どんなって、いい人ですよ」

「どういう経歴?付き合い自体は長いんだろう?」

「個人的なことは良く知らないですよ、私もあまり聞かないし。ああ、でも、大学の学部を途中で変更したって聞きましたけどね」

「学部?」

「最初は理学部だったそうですよ。でも大学の3年のときに受験し直して医学部に入り直したんだって、凄いガッツだよね」

「……………」


エドワードが日本の大学の学部システムについて知っている前提で話をしたが、表情から見るにきちんと私の話を理解しているようだった。なぜ、彼の経歴を知りたがったのかは謎だが、彼に限って悪用もないだろう。
エドワードが去り、小一時間してから友人・広末青がお見舞いに来てくれた。幼少期からの古い友人で、私の謎の病についても良く知る人物だ。食べ物に制限がないことを知っている彼女は大量に私の好きなお菓子や甘いもの、雑誌などを差し入れる。有難いことではあるが、エドワードに見つかれば没収の上に激怒されそうなので戸棚にこっそりと隠しておく。一連の行為を怪訝そうに見守る彼女はその訳を聞く。実は、金色の髪と瞳を持つある星の王子が現れ、かくかくしかじかと話をすると、女子らしいロマンチックさを一応持ち合わせている彼女は目を輝かせて言った。


「ロマンチックだね!それ絶対あんたを探してここまでやってきたんだよ、眠っていた間の2年間に精神体?霊体?幽霊?みたいのになって身体から抜け出してその王子の国へ行ってたんだよ」

「じゃあその精神体はどの肉体に入ってたわけ?どうしてその間の記憶がないの?」

「そんなの知らんがな」

「そらそうだ」


そこで同時にお茶をすする。そりゃそうだ、そんな不可解なことを友人が知るはずもない。ちなみに、この友人・青は日本人であるにも関わらずイタリアに本社を構えるという老舗の店の跡取り息子と結婚するため、近日中にはイタリアへ旅立つ予定である。その御曹司は自家用の飛行機を持っているとかいないとか。そんな金持ちとどうやって出会い、結婚までこぎ着けたのかは深い霧に包まれた解き明かせない謎である。
彼女は続けて言う。


「その王子に色々聞いてみたらいいじゃない。その2年間に私は何をしたの?どうしてあなたはここへ来たの?って」

「きっとそういうことはしないんじゃないかなと思う」

「え、どういうこと」

「きっとエドは過去のことは言わないし、例え聞かれても答えてくれないと思う」

「あんたに気を使ってるんだね。過去と今の自分を比べたりしないように」


この子はそれなりに鋭い。きちんと物の本質や人の心持を理解しているから余計な説明をしなくても分かってくれる。のち、「何か役に立てることがあれば言ってくれ」と言い残し、彼女は旅立ちの準備もあるからと足早に去っていった。イタリアの御曹司と出会ってから、彼女はいい意味でサバサバとして気持ちのいい女性になったと思う。

その後、年末にかけて大学の友人や学くんたちがやってきて、賑やかな日々となった。私は病室でレポートや試験の勉強に精を出し、エドワードは病室のソファで読書をしたり何故か携帯電話やデジカメを分解したりして遊んでいた。遊んでいた、と表現すべきかどうかは分からないが、興味津々、子供がおもちゃで遊ぶように表情がはずんでいたことは確かである。
こうして同じ部屋で何気ない時間を過ごすようになってから数週間が経つ。一月一日も無事に迎え、いよいよ明日には退院出来るという日、エドワードが何気なくふと屋上へ行ってみたい、星が見たいと言い出した。そうか、今日は何とか流星群が大量にみられる日だ。


「先生に頼んで屋上行ってみようか。たぶん許してくれるよ。毛布とあったかい飲み物でも持ってさ」

「いいな、そうしよう」


はしゃいだ顔を見られて、私の心臓は喜んでいる。どく、どく、どく。そのくせ脳は冷静にその表情から声から所作から彼の真意がどこに潜んでいるのかを探ろうと必死に動いている。ふと疑問に思う。人間の命や要とは、『心臓』と『脳』どちらにあるのだろう。イメージとして心臓、つまり心であるけれど、心臓はあくまでも臓器でしかなく、命令を出すのは脳だ。
考え事をしながら大き目の保温瓶を戸棚から取り出そうとするが、心ここにあらずが良くなかったのか、ここ数週間ろくに歩かず足が弱っていたからなのか、膝に力が入らずにぐにゃりと曲がる。重たい保温瓶を抱えて転びそうになる私を助けてくれたのは、他の誰でもなく、ある星の王子だった。しっかとこの身体を抱きとめて、「大丈夫か」と囁く声にはさすがにドキリとしたが、この状況ならば誰だって心臓を高鳴らせたはずだろう、私だけではない、よって私は彼に『恋』などしていない。しかし困ったな、エドは私を離してくれない。すっぽりとその大きな身体にこの身体を閉じ込めたままだ。おそらくはあっちも離すタイミングを失い、戸惑っている。


「あ、あの、そろそろ離してもらえる?」

「い、いや、別によくね?」

「よくねーと思うよ。付き合ってもない男女が抱き合うなんて破廉恥だから」

「つ、つ、付き合えばよくね?」

「えええええ?」

「これが俺の精いっぱいだ。察してくれ、感じてくれ、伝わってくれ」

「いやなにが?どうして付き合う流れになるの?」

「男が女を抱きしめたいと思ったら、それは付き合いたいという感情だと俺は思う」

「……はぁ、」

「俺は色々怪しいところあるし、話せないことも多いし、理解してもらえないこともある。でも、不純な気持ちでお前と接してるつもりはない」

「………………」

「だ、だから、キスもした。責任はとる」


こいつの国ではキスしたら結婚しなきゃいけない法律や規則でもあるのか。どんだけ貞操観念ガチガチの国なんだよと突っ込みを入れたかったが、おそらくそうではなく、この男なりのけじめのつけ方であり、想いの真剣さを表したかったのだろうと推測。
責任はとる、で強まった腕の力は私の腕力では到底振りほどけるものではない。今現在はときめきより胸の高鳴りより、困惑が勝っていた。どうしよう、私にはこの人に真剣に向き合えるだけの思いはきっと無い。何と言おう、どうしよう。すると、突如助け舟は来た。学くんと柄沢のお爺さんだった。


「ああっ、抱き合ってる!」

「ぐあっ、マナブ…!」


場は一気にぶち壊され、顔を赤くする面々(柄沢のお爺さん除く)は動揺し切って右往左往するが、柄沢のお爺さんは持っていた新聞でエドワードをぽかりと殴った。それほど強い力ではない。


「コラ、嫌がる女子に迫るなと言っとるだろうが。発情期か、お前」

「なんっ、発情、そんっ」


言葉にならないとはこのこと。頭を冷やすためだと、柄沢のお爺さんはエドを連れて売店へと連れていかれた。一方、学くんはすぐさま私の元へ駆け寄ってきた。


「い、嫌だったの?違うよね?邪魔したの、僕らだよね?」

「いやー、どうだろう。助かった方のが大きいかな」

「えー」

「どうして?」

「僕は、エドとお姉さんが彼氏彼女になってほしいから」

「そ、そうなの」

「だって、ほら、」


学くんが周囲を気にしながら、遠慮がちに取り出したのは何やら難し気な文庫本で彼が読むような年齢層の本ではない。推察するにエドワードか柄沢のお爺さんのものだろう。案の定、それはエドワードのものらしく、本をぺらぺら捲った先には一枚の写真が挟まれていた。その写真は、学くんから二度ほど指摘された私が写っているという写真だった。私と、小学校低学年くらいの女の子と2人で写った写真だ。
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