眠っていた2年の間の記憶はもちろん覚えていない。夢を見ていた気もするし、一気に2年後にタイムスリップした体験だったようにも思える。とにかく一つ確実に言えることは、その2年の間に身の上に起こった出来事は『大人しく寝ていた』という以外、なにも説明は出来ないこと。求めるのならば、医師や看護師さんに聞いてくれ。こんな心情を知ってか知らずか、エドワードは私の入院中、私を知る医療関係者に片っ端から話を聞いて回っていたらしい。個人情報を盾にかたくなに教えない常識的な人もいれば、婦長のような噂話大好きのお節介な人もいて、だいたいの情報は半日もすれば集めきれたらしい。何なら、私よりもあの2年についてエドワードの方が詳しくなってしまったほど。しかし彼にとって困った問題が一つある。それは、一番話を伺いたい私の主治医の話が聞けないことだった。私の主治医、松坂先生は守秘義務を盾に頑として私の病状や入院時での症状について語らなかったそうである。なんと、医師の鏡である。それが気に食わないエドワードを手帳と良質な万年室を片手にふるふると震え、ギリギリと歯ぎしりをして悔しがっている。ギギギ。「くそう、アノ野郎」とぼそぼそ独り言を呟いており、少々恐ろしい。


「や、やめてよ、勝手に私のこと聞いて回るの」

「だって自分でも2年間については知らないんだろ?」

「そりゃただ眠って、周りの方に面倒見てもらってただけだだから。何か夢は見ていたかもしれないけど」

「………………」

「目が覚めたときはそりゃ大騒ぎだったって、奇跡だって言われた」

「…そうか、何にしろ無事で良かった、それが何よりだよな、ごめん」

「いや、うん、ありがとう。エドが謝ることじゃないよ、何も関係ないんだから」

「…ウン、」

「だから人より二年も遅れちゃって、高校も大学も周りはみんな年下の子なの。これ以上遅れたくないから、私休学しないからね」

「いや、しなさい」

「しないよ」

「しなさいっての」

「しないってば。貴様は何様なのだ」

「エドワード様だよ。ちょうど冬休みだし、来年の春先まで休めよ」

「駄目だよ!ちょうどテストあるもの!テスト乗り切ったら春休みだから絶対休めない!」

「身体とテストどっちが大切なんだ!」

「テスト!進級!」


断言した私を、信じられないといった顔をして見る彼。そりゃそうだろうけれど、それだけ遅れたくないんだよ。
エドワードはそれ以上声を荒げて怒るような真似はせず、まるで駄々っ子を諭すように話し出した。


「…遅れたくないって、誰に」

「ど、同級生とか?」

「同級生に追い付いて、お前は何がしたいんだ」

「……………」

「同級生に追い付いてもお前はお前だし、何も変わらないんじゃないのか。同級生に追い付いたお前は今よりも凄い人間になっているのか?」

「それは…、」

「それより、夢は?したいことは?」

「………………」

「5年だろうが10年だろうが、人より遅れてたってなにも問題じゃない。重要なのは、それからの人生どうするか、どうしたいか、何を目指していくかが重要だろう。人より遅れてること、違うことが問題なんじゃない。長い人生の10年くらい遅れたっていい。人が100年生きるなら、お前は110年生きればいいんだから」


さも当たり前のことを言うように断言している。言葉に迷いがない、嘘がない。あんまりに力強く持論を述べるものだから、私はちょっぴり泣きそうになる。なに格好いいこと言ってんだよ。それはあなたが順調に人生を積み重ねてきたからこそ言える台詞なんだよ。エドは何もわかってない。自分がとても凄い人だってこと、それが無性に腹立つ。でも、その言葉たちい少しだけ救われたのは私だけの秘密。


「でも、わかった、試験をクリアすれば長い休みなんだろう。俺がサポートするから」

「え、いや、そういうのは自分でやらないと!」

「あくまでサポートだよ。進級出来なかったら、恨まれそうだしな、お前に」


ニシシと意地悪気に笑って、参考文献調達に図書館へ向かってくれた。ありがとう、言う暇もなく言ってしまう。呆気に取られていると、エドワードと入れ違いに松坂先生がやって来た。


「いい子だね、彼。彼氏なんだって?」

「ち、違いますよ」

「なんで?お似合いだよ、美女とイケメンで。結構しつこく君の病状とか2年間眠ってたこととか聞かれたけど一応守秘義務あるからね、言わなかったけど良い?」

「もちろんです。言わないで下さい」

「でもまぁ今回は過労の面が多いからそこまで心配することないかもしね。一応心配だから年明けまで入院してください」


やっぱりそうか、ああ、入院代が…。
うなだれるこちらとは対照的に、松坂先生は物思いにふけったように口元の指をあて、当時の回想をする。


「でもねぇ、彼が言ってたことが当たってたんだよね」

「え?」

「君が目覚めたちょうどその時、僕はたまたま病室にいたんだけどね、」

「ああ、そうおっしゃってましたね」

「その時、雷みたいなものが君の体からあふれ出てね、バチィって。それが原因で一部病棟が一時停電になるくらいに」

「……………」

「初耳でしょう」

「はい」

「その時は雨も降っていたし、器具の接触不良から起こったものだと考えていたんだけど、エドワードくんが君が、『目覚めたとき、青いイナズマのようなものが心臓辺りから出なかったか』なんて聞いてきて驚いた。だってその通りだったわけだからね」

「………………」

「彼とは本当に最近知り合った仲なの?彼は君の病状について何か知っているのかもしれないね」


これはちょっとしたホラーだし、不安に思っていい話だし、色々な可能性を見出していい議題だろう。エドワードはきっと、私が倒れた理由も、謎の2年間も、なぜ目覚めたのかも知っているのだろう。どうして知り得ているのかは分からない。しかし、彼と私の出会いは偶然などではなく、私の2年間とも彼は無関係などではなく、そしてその2年間の間に、私は彼と何千人の人間に対してなにかしらの好ましい行いをしたのだろう。つまり、夢を見ていた2年間の間に、私の精神はこの身体から抜け去り、どこかの場所へと導かれて善行をしたというのか。…なにそれ、意味わかんない、そんなの私の知ったこっちゃないよ、訳分らん、頭がくらくらする。

参考文献片手に戻ってきたエドワードに、布団を頭までかぶる私はくぐもった声で言ってやった。


「私はなにも覚えてないから」

「ハ?」

「たとえ私がどれほど素晴らしい行いをしたのだとしても、覚えてなければ意味がない、してないのと一緒だから」

「………………」

「あなたの思う私がどうだか知れないけど、今の私は、布団の中で丸くなってるような、暗くて卑屈で性格の悪い狭い世界でこそこそ生きてる女でしかないからね。なにも期待しないで」

「…ウン」

「……あなた、何がしたいの?あなたこそ、何をどうしたいの?」


布団から顔だけにょきっと出して険しい表情は崩さないまま、きつい口調で尋ねても、エドワードは喧嘩腰で応戦してこなかった。それどころか、菩薩様のような柔らかく温かい微笑みでお言葉を私に授けようとなさる。


「映画がみたい」

「……はい?」

「お前と、見ていてこっぱずかしくなるくらいの恋愛映画がみたい。そのあとに、生クリームもりもりのパンケーキが食べたい」

「あ、あのさ、」

「そんで、買い物をする。お揃いの食器買ったり、互いの服を見立てたり、夕飯の食材買ったりする。そんで、一緒に作って食べる。たまには水族館も行くぞ、図書館はマストだな、イベント毎はこう見えて大切にしたいタイプだ」

「………………」

「春には花見して、5月には山登りして、梅雨は家で映画見て、夏は花火と祭りだろ?九月にはぶどう狩りして秋には紅葉見に行って、冬は嫌いだから家にこもってひたすら読書だ」

「………………」

「それで、雨が降ったら、相合傘をする、」


我慢していた大きな涙粒が、『相合傘をする』のところでついに、ぼろん、とこぼれた。
泣いている人間を放っておくほど、私は冷酷ではない。のろのろとした手つきで、彼の金色の瞳から溢れたまるで水晶のような涙を指先で救い、頬に流れたものを手のひらで拭った。タオルやティッシュで拭くという選択肢はなかった。こんな美しいものをタオルなどに任せられなかった。この手で、その涙を止めたかったのだ。
ついには彼を頭から抱き込むように抱きしめて、私たちは初めての抱擁をした。静かにはらはらと涙を流しながらも、「それが、俺のしたいこと。俺の夢だ」と言うエドワードの言葉が偽りや単なる口説き文句にはどうしても聞こえなくて、恋愛偏差値のいくら低い私でも、私が彼にどんな形であれ必要とされえていることだけは理解した。それも、とても深く、強く、だ。

優しく引き離された身体、私を見上げるエドワードは頬を濡らしてはいるものの、その瞳に涙はない、微笑んでいる。そうして、彼の視線は私の口元に向かい、だんだんと自分の唇を近づけてきた、私は逃げなかった。探り探り、恐る恐る、決して私を傷つけぬよう、やさしいキスを彼は私にした。
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