駆け足に秋が過ぎて、エドワードの嫌いな冬が来た。このころになると柄沢家に呼ばれる頻度も高くなり、一緒に食卓を囲むことも増えた。柄沢商店のすぐ近くにある私の一人暮らし用のアパートにエドワードや学くんが訪問する機会もあった。どこかにくすぶっていた相手への不信感は消え去り、私たちは共に図書館や買い物へ出かけたり、学くんとテーマパークへ行ったりと良好な友人関係を築けていると思う。別段、エドワードが探している恋人(想い人)の件にも触れず、私が写っているという写真にも言及せず、日々を平和に淡々と過ごしたのだった。そうこうしている内に疑問は確信へ変わっていく。彼は、その探し人を探しに行く気がない。これまでがどうだったのかは知らない、証明のしようもない。けれど、今現在はこの土地にすっかり腰を据え、根を張り、日常を謳歌しているようにしか見えない。そして彼のその謳歌している日常に、どうやら私は必要不可欠らしく、ほぼ毎日カフェを訪れたり、事あるごとに呼ばれたりするのだ。


「エドくんってね、牛乳は嫌いなのにシチューは好きなんですって。だから今日はシチューにしましょう」

「へえ、なのによくあんなに背が伸びたもんですねぇ」

「やっぱり外人さんだからかしら」

「父親が大柄だったらしいぞ」


ぼぞっと柄沢のお爺さんが呟いた。へえ、知らなかった。私の知るエドワードの家族構成は、弟さんと幼馴染のウィンリィさん、ウィンリィさんのお婆さんだった。当然、母親と父親もいるはずなのに、話題に出ないということは既に亡くなられているということだろう。お爺さんの「大柄だったらしい」の”だった”の部分からも、すでに故人であることが伺える。
エドワードのお父さんか。やはり金色の髪に瞳のイケメンなんだろうか。ブラットピ〇トみたいな。


「エドワードのお父さんってどんな人ですか?」

「なんだ、突然」


柄沢商店から私の家までのごくごく短い距離の隙間を縫うように、小さな公園がある。ブランコとパンダなのかカバなのか分からない乗り物が2つだけ置かれた公園を私たちはよく談笑の場として利用した。


「いや、なんとなく」

「あんま知らねぇんだよなぁ。子供の頃に出てったし、再会してからもあんま話せなかったし」

「そ、そうなんですか」

「母親は俺達が子供のころに病気で死んじまったしな」

「…すいません」


ブランコをゆっくり漕ぎながら、エドワードは快活に笑った。


「なんで謝るんだよ」

「なんか、軽々しく聞いちゃいけない系な話だったと思って」

「お前だって軽々しく聞いちゃいけない系だろ」

「私はいいんです、別に今はもう落ち込んでないし」

「俺だってそうだよ。それに俺には弟がいたし、幼馴染も仲間もいたしな」

「アルフォンスさんとウィンリィさんね」

「そう」

「アルさんとウィンリィさんは初めから両想いだった?」

「どういう意味だ?」

「や、だから…エドワードも、ウィンリィさんが好きだったとか」

「……………」


ビシッと漕ぐ足を止め、私の顔を注視する。その表情を文字化するなら『もしかして、』って感じだろう。実際、もしかして、と話し出したから。


「もしかして、や、や、ヤキモチ?」

「え?なに?ヤキモチって?なにをどう焼く感じのアレですか?肉?魚?」

「いやだから、嫉妬っていうか」

「誰が誰に嫉妬を?」

「お、おおおお、おまえがウィンリィに。俺をめぐる感じのアレで、」

「はいいい?」

「すいませんゴメンナサイ調子乗りました」

「分かればよろしい」


私は性格が悪い、いつもこんな感じだ。それでも、エドワードは下手に出つつも最後は笑ってその場を和やかなものにしてくれていた。ありがとう、あなたは私にとってとても良い友人の一人です。
二人でひとしきり笑い合って、エドワードの子供の頃の話を聞いた。子供の頃に見た映画の話とか、学校がつまんなかった話とか、弟の方が背が高く喧嘩も強いこと、ウィンリィさんは機械オタクで何でも作れてしまうこと、羊の毛刈り大会で優勝したことがあること、家を自分達兄弟だけで設計したことや旧友に背が伸びたことを腰を抜かして驚かれたことなど、本当に沢山のな話をしてくれた。


「たい…、いや、ロイ・マスタングって知り合いがいるんだけど、俺の仕事の上司みたいな人で、世話になったけど嫌味な奴で。最後に会った時にはもう俺の方が背が高くなってて、マジで腰を抜かしてたからな、奴は」

「そんなに背が低いの気にしてたんだ」

「低いって言うな。ちょっと小柄だっただけだ。今は186センチあるからな!」

「分かってますって」

「もうちょい伸ばそうと思ってる」

「いやもう成長期止まってるでしょ」

「いや、意地でも止まらせん。まだまだ俺の成長は止まらない」

「あはは、なんだそりゃ」


それだけ高けりゃもう十分でしょうに。鼻息荒くして、未だ身長を伸ばしたがるその熱意にお腹が痛くなるほど笑った。笑い過ぎて瞳に涙がにじんだ。たぶんエドワードも笑ってる。ふと、にじんだ視界、足元に黒い輪が見えた。夕刻を過ぎているので辺りは暗いが、公園の街頭で足元の灯りは確保されている。ブランコに座る私の足元、靴の先辺りに黒い輪、髪を縛るゴムが落ちていた。泥にまみれておらず、落としたてといった具合だった。それをひょいっと拾って、軽く土を払い、次に私がしたことと言えば、黒ゴムをエドワードに差し出し、「これエドの?」と尋ねることだった。


「…………」

「あ、エドなわけないよね。誰かの落とし物だね、どこか分かり易いところに置いておいてあげよう」


注意、エドワードは金髪の襟元くらいまでの長さの短髪だし、何より男性だ。髪を留めるゴムなんて必要ない。なのに、どうして、私は、


「どうして、」

「ん?」

「今、俺に、それ」

「あー、なんでもない。エドが使うはずないのにね、なんか流れで」

「…………」

「でも、エドは髪が長くても似合いそうだね。なんか、想像できる」

「想像?」

「背中までくらいの長さで一本縛りとか。ああ、あとは三つ編みとか?」

「…………」

「顔立ちがキリッと系だから、似合いそう」


それだけ。これも雑談の一つ、深い意味も意図もない。少なくとも、私にとっては。それでも彼には違ったのかもしれない。それとも私のお世辞に近い誉め言葉を真に受けたのか、彼は髪を伸ばすと言い出した。待って、そこまでしてくれなくていいよ、自分の意志で選んでよ。


「昔はずっと伸ばしてたんだ。子供の頃…、10歳くらいから伸ばしてた。日本に来てすぐに切ったんだ。とにかく目立つし」


知らない話だった。確かに、彼の容姿でロングヘアは人の目を惹くだろう。ただでさえ目立つ風貌に、その美しい金色の髪だもの。もちろん、好意的な目線でも、彼の場合は集めて嬉しいものではないだろう。
彼は本当にその日から髪を伸ばし始めた。同時に、私はヘアゴムを探し始めた。男性用のヘアゴムはなかなか見つからず、シンプルに良質な黒いゴムを探し出してあげた。そんなに高いものではない。いつも彼がカフェで落としてくれるお金に比べれば雀の涙ほどの金額だ、いつもお世話になっているからお返しのつもり。これまた深い意味はない。けれど、エドワードはその贈り物を大層喜んで使ってくれた。髪を縛らない時は左手首にはめ、まるでお守りのようにいつも身に付けてくれるようになった。私はそれを純粋に嬉しいと感じるのと同時に、のどの奥が詰まるような感覚と心臓の重みにも気づいていた。私は具合が悪いのか、苦しいのか、つらいのか。彼が喜べば喜ぶほど、居心地の悪さも感じてしまう。

ああ、この男のいないどこか遠い世界へ。

頭はそう警告する。しかし、心臓はどくどくと高鳴って、離れることを拒んでいる。頭と心が別々の思考と行動を取っていた。私はこの謎の現象に苦しみ悩み、飲まなければいけない薬を飲み忘れたり、不眠に襲われたりととにかく不調に陥っていた。そして、その冬のクリスマスイブの前日、私はバイト先で倒れることとなってしまう。なんという体たらくだろう。目を覚ますと、そこは見慣れた病院の見慣れた病室だった。懐かしい病院の匂いだった。一つ見慣れないものがあるとすれば、瞳を開けたその瞬間に視界に飛び込んできた金色紙の青年。エドワードは目を覚ました私に飛びつかんばかりの勢いで近づき、具合など矢継ぎ早に尋ね、報告してきた。幾分早くて多くて聞き取れたのはほんの少しだった。「大丈夫か」「どこか痛いか」「何か飲むか」「どうして言わなかった」「しゃべれるか」「まだどこか痛むか」「しっかり休めよ」「食べれるか」「何か飲むか」……何か飲むかは2度目だ。それだけは分かった。


「はぁ、大丈夫だよ」

「大丈夫なわけあるか、丸2日も寝てたんだぞ」

「じゃあ今は、」

「クリスマスの夜だ。もうすぐ26日」

「ケーキ食べ損ねた」

「そんなこと言ってる場合か……」


ため息交じりに呟いて、がっくり肩を落として床に座り込んでしまう。その姿から疲労が伝わってくる。もしかしたらずっと寝ずの番をしてくれていたのかもしれない。いや、そんなこともないか。でも、私の左手を握るその手がかすかに震えてる。良かった、よかった、とにかく無事で良かった。繰り返されるその台詞に嘘は感じ取れない、心からそう思ってくれている。
こんな霧の中にいるようなぼんやりとした頭では、まともな思考が出来ない。よく考えず口からこぼれた言葉はなんとも自惚れたもの。


「そんなに私のこと心配してくたんですか」

「当たり前だろ」

「それじゃぁまるで、わたしのこと好きみたい」

「…すきだよ」

「………………」

「大好きだから、探しに来たんだ」


朝、山からもくもくと霧が生まれる。同じように、私の頭の中にももくもくと白い霧が生まれ、どんどん思考能力がかき消されていく。単純な言葉しか思い浮かばず、配慮ある台詞が言えない。


「わたしは、あなたを知らない」

「……………」

「想い人をかんたんにわすれて、すぐほかの女を好きになるようなあなたのことは、」

「……………」

「わたしは大嫌い」


覚えているのはそこまで。私は再び、深い眠りに落ちた。
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