テラ 6







夜になっても気温は下がることはなく、蒸し暑い。そういえば今晩も熱帯夜だと朝のニュースで気象予報士が言っていたっけ。
窓を開けると湿気を多分に含んだ空気が流れ込み、部屋の中の人工的に冷やされた空気と混ざりあう。
逸る気持ちを抑えてバルコニーに出れば、眼下の道路には会いたいけれど会いたくなかった相手、シズちゃんがこちらを睨みつけていた。
遅ぇ、とひとつ吐息を零し、開きっぱなしだった携帯をジーンズの後ろポケットに仕舞う。シズちゃんは、シャツにジーンズ、という至ってラフな格好。闇夜にも金髪が綺麗に浮かび上がっている。うっすらと汗ばんでいるのは、もしかしたら俺を呼び出すまで、この外気温の中佇んでいたからなのだろうか。
「おい」
不遜に呼びかけられて、俺はバルコニーの手摺りに凭れかかりシズちゃんに笑いかけた。けして大きくはないシズちゃんの声は、張り詰めた空気の中でもよく通る。
「…ただでさえ目つきが悪いんだから、不審者扱いされて通報されるよ?」
こんなときでも笑ってしまう俺は本当にどうしようもないと思う。
だけど、本当は足は震えているし、凭れていないと身体は今にも崩れ落ちそうなのだ。こんなときばかりは、虚勢を張るのに長けていてよかったと思う。
「うるせえ。通報すんじゃねえ。手前に用があったから来てやったんだよ…!」
「…ふうん、何の、用…?」
足と同様に震える声音はシズちゃんにバレてしまわないだろうかと冷や冷やする。
どんな酷い罵声を浴びせかけられるのだろう。近所迷惑だし、いい笑い者になるなあ、と頭の片隅で要らないことを考えてしまうのは怖いからだ。
きっとシズちゃんは告げに来たのだ。
――別れを。
「一度しか言わねぇから、よく聞け」
うん、最後だもんね。甘んじて受けよう、そう思った。電話でもメールでも『別れる』、そのひとことで済む用件をわざわざ会いにきてくれたのだから。
「俺はごちゃごちゃ考えるのが苦手だ」
…うん、それも知ってる。君は本当に単純で。本能だけを頼りに生きているようなものだよね。
シズちゃんのことは俺が一番よく知っている。だからこそ、俺の裏切り行為を許せないのだろうし、言い訳したところできっと余計に嫌われるだけだ。
「だから…」
そこで言葉を切ったシズちゃんに、俺は堪らなくなって目を閉じた。これ以上シズちゃんの顔を見ていたらきっとみっともなく泣いてしまう。
「手前は、とりあえず俺のモンになったらいい」
「――え……?」
覚悟を決めたはずなのに信じられない言葉が聞こえた気がして、涙が貯まっていた瞳を見開いた。
今、シズちゃんは何て言ったのだろう。聞き返すのが怖い。
「え、じゃねぇよバカやろう。ていうか、なっちまえ。そしたら、俺は堂々と手前は俺のモンだから手をだすなって言えるだろ」
「俺のものって…」
そんなの、何を今更だ。俺はとっくにシズちゃんに何もかもを奪われているというのに。
付き合うことになったあの瞬間から、俺は俺だけのものでなくなった、そう思いたかった。
だけれど、こんなふうに、所有宣言をされてしまえば、もう。
これ以上、何を奪うつもりなの、と口にしたくてできなかった。
「付き合うってったって、そんだけの口約束じゃ俺は満足しねえし、情けねぇけど自信が持てねぇ」
「……それって…」
満足しないとか自信がないとか、何を言ってるんだろう。
「それだけ言いたかった」
だけれど、身を乗り出せば、言いたいことだけ言ったシズちゃんは、夜に悪かった、帰る、と顔を背けて。
「え、ちょっと…っ!?」
引き止めるべく慌てたところで、シズちゃんはもういなかった。
――こんなときは俺よりも逃げ足が早い。
ムカつく。
でも、まだ何も伝えられていないのに。



「どうしろって言うの」
そんな大事なところで帰るの、と脱力。恥ずかしい。羞恥に耐え切れなくなった俺の身体はあっさりと崩れ落ちた。
全てを許すような、そんな熱烈な告白をされて、どんな顔をして会えと言うの。
そんな、途方に暮れた俺に、追い打ちをかけるように再び携帯が着信を知らせてきた。
シズちゃんからだ。
ヨロヨロとベッドに戻り、携帯を開く。



「明日も迎えに来い」



シズちゃん、エスパーなの。
そんなこと言われたら、今すぐにでも飛んでいきたい気持ちになる。



「………!」
そして二通目のメール。


『来なかったら、     』



「ねえ…」
「どうしろって言うの」
俺の逃げ道塞いでどうしたいの。
だけど、こうやって、いつだって俺の予想も逡巡も軽々と覆してくるんだ。
そんなところも…。



「大嫌い…!」



俺はここにはいないシズちゃんにぶちまけて。
携帯を握りしめたまま、眦に貯まる涙を乱暴に拭い去った。






next…?






来なかったらどうなるかなんて、言わずもがなですね。


2011.9.20 up



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