3センチ四方の恋心



【2】

玄関からドアが開閉する音が伝わり、ソファに腰かけてクッションを抱えていた臨也がゆっくりと振り返る。
「…おかえり」
「おう」
サングラスをかけたままの静雄が蝶ネクタイのフックを外しながら歩み寄ってくる。
チラリと手元を見るが、朝出て行ったときのまま手ぶらだ。
「シズちゃん、何も貰ってないの?」
「何が」
臨也のすぐ後方まで近寄ってきた静雄は端的に聞き返してくる。
皆まで言わなければ伝わらない相手に、臨也は小さく笑んで口を開く。
「今日、バレンタインデーだよ?」
「…ああ、そういうことか」
はずしたサングラスを胸元へと仕舞いながら、静雄はようやく合点がいったとばかりに頷いた。
「本当に気付いてなかったの?」
「特別意識するようなもんでもないだろうが」
「…シズちゃんならそう言うと思ったよ」
予想通りの返答に、臨也は苦笑を洩らすしかない。
誰からもチョコレートを貰わなかったことは正直嬉しい。
反面、今日一日の自分の徒労を思うと報われない気がするのだけれど、静雄に当たり散らしたところで理解されないこともわかっているからどうしようもなかった。
臨也の隣にドカリと腰かけた静雄は、胸元から煙草を取り出そうとしてその手を止める。
「おい」
「なに?」
てっきり煙草を吸うものだと思ってその指先を眺めていたから、突然に呼ばれた臨也は聊か驚いて顔を上げた。
呼びかけたきり無言になった静雄だったのだけれど、絡まる視線が雄弁に臨也に語りかけてくる。
変なところで鋭い静雄のことだ、悟られないようにしていたのにいつもは見逃されがちな
機微に気付いたのだろうかと思えば途端に居心地が悪くなって。
動揺を悟らせまいと口を開こうとしたところで、静雄に制せられた。
「…何拗ねてんだ?臨也」
「…っ」
静雄に的確に心情を言い当てられ、臨也は思わずピクリと両肩を揺らす。
だけれど、すぐさま態勢を立て直した臨也はいつもの皮肉げな笑みを浮かべて。
「何言ってんの、シズちゃん?俺が拗ねてるって?何に?」
「……」
逆に問い返してやれば、静雄は再び黙って。
そして、臨也から視線を外すと吸いかけてやめた煙草を取り出して銜えると火をつけた。
しばらく紫煙を燻らせた静雄は、わざとらしく大きく吐息を吐きだすと再び臨也を見つめ返して。
「なあ。もしかして手前、チョコが欲しかったのか?」
「な……」
臨也にとっての禁句をこともなげに言い放った上に、とんでもない勘違いをしでかした静雄が小首を傾げる。
「なんで、俺が…!」
「いや、なんとなくだけどよぉ…」
「ちょっと、なんとなくってどういうことなの?」
憶測だけでよくもそんな直球で言えるものだと、逆に呆れてしまうのだけれど。
「欲しいのはシズちゃんのほうでしょ?」
「…はあ?俺はいらねぇよ」
「………!!」
その言葉に愕然とした。
はっきりといらないと言われて、落ち込むなというほうが間違っている。
今日一日振り回されたことよりも、静雄にチョコレートを「いらない」と言われたことのほうが遥かにショックで。
自身の失態を誤魔化すためにちょっと驚かせてやろう程度にしか考えていなかった。
笑い飛ばされれば、性質の悪い冗談で済ませてもよかった。
しかし、心のどこかで少しでも喜んで貰えるのではないかと淡い期待を寄せた自分も存在して。
そんな自分が馬鹿だったのだ。
「…そう。そうなんだ」
小さく呟いた臨也は唇を引き結ぶと、勢いよく立ちあがってパソコンが置かれているデスクへと向かって。
引き出しから乱暴にビニール袋をひっつかむと、臨也の動向などさして興味もないとばかりに短くなった煙草を灰皿に押し付けている静雄のほうへと引き返し。
そして、その頭上で乱雑にビニール袋をひっくり返し、驚く静雄を一瞥し命令口調で言い放ってやった。
「おい、臨…也……!?」
「早く拾って捨ててきて」
勢いよく落下した何かが、静雄の頭部に当たり、もしくは掠ってフローリングの床へと散らばる。
床に転がった無数のものは、『チロルチョコ』。
「これ…?」
「いらないんだよね、チョコなんてね!」
啖呵を切った臨也は静雄から後退すると、足元に転がっていたチロルチョコを拾い上げて渾身の力で投げつけた。
「…ってぇな!」
「痛いのは俺のほうだよ!こんなにいっぱい買ってきて…っ、俺、ほんと必死でバカみたい…っ!」
完全な八つ当たりだってことは理解している。
それでも、止められなかった。
歯を食いしばって、震える両手を押さえようとインナーのシャツに皺が寄るくらい握りしめて。
睨みつけた先の静雄は、驚きに瞳を見開いていた。
「きっとシズちゃんは何にも貰えないと思ったから用意したんだけれど、やっぱり無駄になっちゃったってことだよね」
理想的なチョコレートが用意できなかったことを逆手に、自嘲的な笑みを浮かべて。
厭味混じりの言葉しか吐き出せない、そんなところも自分の性格を如実に現していていっそ笑いだしたくなる。
「いいんだよ、笑い飛ばしてくれて」
そう静雄に進めながらも、口元が戦慄く。
こんなにもショックを受けるだなんて思いもしなかった。
たかだかバレンタイン。
それなのに、男の自分が男相手に何をしているんだろうとすら思えてくる。
もう静雄を直視なんてできない。
静雄から放たれるのは罵りか怒声か、どちらでもいいやと半ば諦めた臨也は静かに瞑目した。
直後、静雄がユラリと動いたのを気配で悟る。
怖くて瞳を見開けなくて、それでも足が竦んで動けなくて、そんな自分を叱咤したくなったのだけれど。
「おい」
「…」
第一声がそれかよ、と負け惜しみのように心中で呟いて。
それでも瞳を開けない。
すると、再び気配が動いた気がして。
「臨也」
今度ははっきりと名前を呼ばれ、突き刺さる視線に耐えきれずにおそるおそると瞳を開けば。
静雄が拾い上げたのだろうチロルチョコをひとつ口の中へと放り込んだところだった。
「…うん、旨い」
「……捨ててって言ったはずだけど?」
「捨てられるか、ノミ蟲が」
そうして舌打ちした静雄がしゃがみこんでチロルチョコを拾いだす。
「今はいろんな種類があんだなぁ…。俺、ミルクしか知らねぇ」
感心したかのように拾い続ける静雄に毒気を抜かれた臨也は、呆れたような表情を浮かべて。
「ねぇ、この状況わかってるの?君ってほんとさ…」
「ありがとな」
詰ろうとしたところを遮ったのは静雄の謝意。
「…え」
「……嬉しいって言ってんだよっ」
見れば、乱暴な口調の静雄は気恥ずかしそうに視線を逸らしながら、手にしたチロルチョコの包みをいそいそと開けている。
どういうことなのだろう、と臨也が眉を顰めれば。
「俺は手前から欲しかったから。だから、嬉しいって言ってんだ」
「…俺から?」
「ああ」
思いがけない告白に、臨也にしては珍しく拍子抜けしたような顔つきとなり。
「チョコなんていらないって…」
「手前から以外のなんていらねぇに決まってるじゃねぇか」
「え…、さっきの、そういう、意味…?」
「なんだと思ったんだよ?」
恨みがましく睨まれ、途切れ途切れに聞き返した臨也は柄にもなくたじろいでしまう。
完全に自分の誤解だとか、そういうことを言われているのだろうか。
「でも…!特別意識するもんでもないとも言ったよね?」
「…手前なら言わなくても何か用意してくれるって、そう思ってたっていう意味だよ」
「な…!?」
今度こそ臨也は二の句が継げずに絶句させられる羽目になる。
「どんだけ自意識過剰なの…!」
まんまと静雄の思惑に嵌ってしまった自分が悔しい。
これならば面と向かって催促されたほうがまだマシだった。
「シズちゃんなんて…!」
絶対に静雄が悪い。言葉足らずで誤解を生み出す静雄が悪い。
「あ?」
「大っ嫌いだ!俺の一日を返せよ!」
「おいおい、聞き捨てならないこと言うんじゃねぇよ。せっかくのバレンタインなのによぉ…」
「言わせてるのは君だろ!?」
赤く煌く瞳を吊り上げ、ズンズンと静雄のほうへと歩み寄った臨也は、再びチロルチョコを拾い上げては静雄に投げつけようとした。
ナイフで切りつけようだなんて思いもしなかった。
それほどまでに、恥ずかしくて恥ずかしくて。
嬉しくて、そう、腹立たしいほどに嬉しくて。
「これはキナコモチで季節限定だよ、ちゃんと食べてよね!」
「おいっ」
「こっちは君の好きなミルク味だよ!多分5個くらいしか残ってなかったから貴重だよ、せいぜい這い蹲って探せば!?」
ご丁寧に各チョコレートの説明までしながら手当たり次第に投げつける。
きっと耳朶まで真っ赤になっているに違いない。
羞恥を隠そうとして逆に取り乱していることにも気付けずに。
だけれど、それも静雄に腕を掴まれて終焉を迎える。
「…あっ」
「聞けよ」
振り上げたままの腕を掴まれ、否応なく見下ろされる。
そして、静雄の顔が近づけば条件反射のように瞳を閉じてしまって。
「…ん」
小さく洩れるのは吐息。
チョコレート味の舌先が滑りこんできて、強引に臨也の舌を絡め取る。
腰に回された静雄の掌が臨也の背中を滑って。
思わず背筋を震わせれば、気をよくしたのだろう静雄がますます口づけを深めてくる。
「ふ、ぁ…っ、ふぅ…」
チョコレートの甘さに負けないくらいの甘いキスを堪能して、静雄を見上げれば。
静雄がついと指先で臨也の頬を擽ってくる。
「手前はよ…」
「…?」
「チョコレートよりも甘いよな」
「へ?」
わけのわからないことを呟いた静雄は、そのまま臨也をひょいと抱き上げて。
「足りねぇから手前を食わせろ」
「え、ちょっとちょっと…!?下ろしてってば!」
肩に担ぎあげられれば臨也に逃げ場などない。
だけれど、突然のことに当然のごとく抵抗しようと両手で背中を叩いてやるのだけれど、静雄は気にすることもなくリビングを横切り階上へと続く階段を上り始める。
「チロルチョコなんかじゃ足りるわけねぇだろうが。それにそんな顔されちゃたまんねぇ」
「…!!」
物騒な宣告をされた臨也だったのだけれど、チョコレートが蕩けるように愛してもらえるのかと思えば悪い気はしなくて。
「……残したら許さないから」
そう、ボソリと呟くのが精一杯だった。


END




チロルチョコしか渡せなくて歯ぎしりする臨也が書きたかったのです。
勝手に一人で悶々悩む臨也と、揺らぎなく臨也を愛しているシズちゃんが大好き。

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