れしくって抱き合うよ


※『臨也愛されweb企画』様への提出作品です。



「あっ」
「大丈夫か?」
静雄よりも一歩前を歩いていたヴァローナが小さな声をあげて背中から倒れこんできた。
どうやら躓いたようだった。
珍しいことではあるが、その訳にすぐに合点がいく。
彼女が手にしている雑誌は甘味特集のページ。
次の休みにはトムも入れて三人で出かける約束になっており、そのリサーチに夢中になっていたのではないだろうか。
「すいません先輩。前方不注意の上先輩に迷惑をかけるとは不覚」
「気にすんな」
すぐに体を離したヴァローナは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
慰めるかのようにくしゃりと頭を撫でてやれば気恥ずかしいそうに微笑む。
幾分か幼い表情はひどく可愛らしいものではある。
「大丈夫かー」
「はい、問題ありません」
更に先を歩いていたトムもまたヴァローナに声をかけ無事を確かめる。
「お前も静雄もほんと甘いもの好きだよなー」
「甘味。栄養補給とストレス発散に最適。さらに見目麗しくさながら芸術として賞賛されるべき作品多数」
「ははっ。お前も女の子だもんなー。暗殺とかなんか殺伐としてるよりそっちのほうがずっといいさ」
「私は生物学上女ですが?」
「日曜が楽しみだよなってことだよ」
「それは激しく賛同します」
上司と後輩が甘味で盛り上がる側で、静雄は胸元の辺りで広げたままの両手の掌を見つめていた。
(違う…)
背中から抱き留める形になった、触れたヴァローナの肉体は柔らかく。
現在は静雄たちと行動を共にしているものの、殺しを生業としてはいた割には柔らかい肉体。
慣れない感触だ。
それにいつも抱きしめている肉体はもっと骨張り固い。
ああ、女だからかと思い至る頃には、静雄は路上で立ち竦んでいた。
「先輩?どこか痛いですか?」
少し離れたところから、静雄がついてきていないことに気付き振り返ったヴァローナが首を傾げている。
「あ、いや、なんでもねぇ」
(俺は今誰と比べた?)
ヴァローナに笑いかけながらも、静雄は脳裏に浮かんだ後ろ姿を打ち消す。
ヒラヒラと揺れるコートの裾。
またねと厭味でしかない言葉を残して、振り返ることなく先に部屋を出ていく男。
会えば激しく抱き合うのに、別れる頃にはその名残すら想起させようとはしない。
だけれど、なぜかあの痩身を不意に抱きしめたくなった。
「おい、静雄どした?行くぞ!」
「あ、はい」
静雄は宙に浮いたままの両手をしばし見つめると握りしめて。
今度こそトムに従うべく、少しズレていたサングラスを指先で直して必死に欲望を打ち消す。
だけれど、両手には甦った感触がいつまでも消えずにいた。


「おい」
「君ね…今何時だと思ってるの?」
「うるせぇ。早く入れろ」
こんな日に限って急に立てこんだ仕事がようやく終わりを告げたのが二十二時過ぎ。
それから新宿の臨也の自宅に向かって今に至る。
だから怒られるのは無理もないことなのだけれど。
だけれど我慢できなかったのだから仕方がないではないか。
そんな胸中の思いを吐露することはせず半開きのドアから訝しげに顔を出した臨也を無言で凄めば、臨也は嘆息しながらもドアを開いて中へと入れてくれた。
「全く、こっちの気も知らないで自分勝手なんだから」
何やら文句を呟きながらも臨也は静雄に背を向ける。
だから広い玄関先で靴を脱ぐや否や、衝動的にその細腕を引いて。
「な…、ちょっと…!?」
臨也にとっては不意打ち以外の何ものでもない。
殺せない勢いのまま否応なくグラリと静雄の胸元へと抱き寄せられる形になってしまった。
鼻腔を擽る煙草の匂い。
嗅ぎ慣れたそれを吸い込む暇すら惜しんで抗議の言葉を口にしようとしたのだけれど。
「やっぱりかてぇ」
「はあ?」
静雄の唇から零れた端的なそれは、臨也にとっては脈絡がないため意味不明なもの。
「柔らかくねぇの…」
静雄の吐息に臨也の黒髪が揺れる。
続いて紡がれた言葉にようやく静雄の意図の断片を手繰り寄せることができた。
「あのさあ…いきなり抱きしめておいてそれはないんじゃない?」
「黙って抱きしめさせろよ」
静雄が臨也の抗議に耳を貸すことなく、ますます距離を縮めようとするから、臨也は腕の中で静かに表情を消し去った。
しかし、本当にいいタイミングで来てくれたものだ。
自分は、静雄に対して最高に腹を立てていたところだったのだから。
静雄は気付いてはいないのだろうけれど、このままそう簡単に抱きしめさせるわけにはいかないと、そう決意して。
「本当に失礼だよね」
「……!」
静雄は首元に冷たい感触を覚え、臨也を抱きしめる力を弱めて。
ゆっくりと眼下の臨也を見下ろせば、その手にはナイフが握られていた。
「柔らかいのがお好みなら男の俺じゃなくて女の子でも抱きしめたら?」
「…何言ってんだ?」
ナイフを突き付けられたまま、静雄は器用に首を傾げた。
自分はただ臨也を抱きしめたくてそうしただけなのになぜ怒られるのかがわからない。
「…誰と比べてんの」
ようやく聞き取れるかというほどの小さくぶっきらぼうな声音。
相変わらず皆まで言わなければ伝わらない相手に、臨也は唇を軽く噛んだ。
ふて腐れた臨也の表情を見て、静雄は瞳を瞬いて。
こんな臨也の顔は初めて見るからだ。
「比べるってなんだ?俺は…」
「よかったね。可愛い後輩とできてるんだって?ネットで噂になってたよ。昼間に抱き合ってたって。白昼堂々とだなんて君もずいぶんと大胆になったものだね」
静雄の言葉を遮った上に口早に厭味たらしく捲し立てられる。
加えて、静雄を歪んだ笑みを浮かべながら見上げてくる臨也はそれでもどこかこちらの様子を窺っているかのようだった。
後輩、昼間…と連なるキーワードを元にしばし思考に耽り、ようやく臨也の言わんとしている意味を理解する。
そして。
そこまで言われてようやく気が付く。
これは純然たる嫉妬心だ。
しかし、たった数秒の触れ合いを勘違いされ苦々しい思いになる。
それに相変わらず臨也も耳聡い。
だが、その事件こそがこの衝動のきっかけ。
誰よりも臨也に触れたいとそう思ったのに。
「馬鹿にしないでよね」
無言を貫く静雄をひと睨みして牽制すると。
突き付けたナイフを音もなく折りたたみ、臨也は背を向け俯いた。
噂は噂でしかないのだろう。
それくらいわかっている。
きっと、偶発的な出来事であり、静雄に他意はなかったに違いない。
静雄はけして恋愛に器用ではないからだ。
だけれど、静雄にとっては無意識の何気ない言動が臨也をひどく掻き乱す。
そして掻き乱されているという事実が、臨也にいらぬ感傷を想起させるのだから悔しくて仕方ない。
「話最後まで聞けよ」
無防備に曝されたままの臨也の背中を見つめ、静雄は責めるでもなく諭すかのように言葉を紡いだ。
臨也相手にこんなに優しい気持ちになれるだなんて不思議なのだけれど。
ますます臨也が愛しくなったのだから仕方がないと思う。
「俺は手前が好きだ」
「…っ」
本心を言葉にすれば、臨也の背中がピクリと揺れた。
自分はひどく不器用で言葉足らずであることが多いらしい。
少ない語彙で直球でしか伝えられないけれど、この捻くれまくっておまけに天邪鬼な恋人にはそれがときに有効であることも最近ようやくわかってきた。
現に臨也は呆然としているのだろう、いつもならすぐさま返ってくる回りくどく煩わしいくらいの反論がない。
「俺は手前がいい」
そうして、ナイフを持つ手に手を添えれば臨也は幾分か焦ったように構え直そうとしてやめた。
それでも構わずに背中から抱きしめてやれば今度は臨也は身じろぐことなく。
「シズちゃ…」
「黙れ。まだ俺がしゃべってる」
「ひど…」
ようやく口を開いたかと思えば、中途半端な状態で再び口籠ってしまう。
だから、どれだけ自分が臨也を求めていたのか知らしめたくて項に顔を埋めながらそれでもちゃんと聞こえるように宣言する。
「手前の温もりを思い出して居ても立ってもいられなくて会いにきたんだよ。俺が抱きしめたいのは手前だけなんだよ。…悪いか」
「………。悪…くない」
「……わかったんならいいけどよ…」
逡巡の後に、小さく頷いた臨也はそれどころではなかった。
いつだって自分の思い通りにいかない静雄が腹立たしくて仕方がないのだけれど、それ以上に悔しいことがある。
こうして独占欲を露わに求められることに悪い気はしないというところだ。
どれだけ静雄のことが好きなのかを思い知らされれば羞恥に頬が染まり始めたのがわかった。
「臨也?」
「煩いな」
慌てて突っぱねようとする臨也の項がみるみるうちに桜色に染まる。
如実に臨也の胸中を伝えようとする項を撫でれば、臨也は静雄の手を叩き落として睨みつけてきた。
「ムカツクから触らないで」
なんとも臨也らしい反応をするものだから、静雄は思わず口角を引き上げて。
それが照れ隠しだとわかっているから。
そんなところが愛しいだなんて思っているのだから。
「そんなに疑うなら毎晩抱きしめに来てやるよ」
「疑ってないから毎晩来ないで」
「分かった、来る」
「シズちゃん、日本語わかってる?」
そこで話が途切れたのは、静雄が後方から臨也へと強引に口づけを迫ったからだ。
臨也の甘い唇を貪りながら、口づけだけでは物足りないと早くも疼き始める体を持て余した静雄は自嘲的な笑みを浮かべたのだった。
 

END

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