ラックシークエンス サンプル





思いつきを実行するには準備の時間が少なすぎたが、それでも近くのコンビニに行けば、必要なものは全て揃えることができた。ここに来たとき同様、足音を忍ばせて寝室へと戻れば、シズちゃんは変わらずに寝息を立てている。
狭いベッドの上で頭部を浮かせるように固定して、シーツを汚さないようにシートを敷く。室内を明るくするわけにはいかないという枷があるものの、夜目がきく俺にとっては大した苦にはならない。
「ふんふん、ふーん」
いつになく上機嫌の俺は、シズちゃんを起こさないように細心の注意を払って彼の髪を染めていく。
触れたことがないわけではない。逆にシズちゃんは俺の髪に好んで触れる。たとえば、キスの直前。労わるように触れられるてのひらを追想するのは悪い気分ではない。
シズちゃんの髪は、思ったよりも剛毛ではなく、どちらかといえば細い髪質。単に傷んでいるだけらしい。髪を梳きながら、こんなに本格的にシズちゃんの髪に触れたことがなかったことに思い至った。
「サービスいいよね、俺ってばさ」
毛先の傷んでいるところだけをナイフでそぎ落とす。ナイフを持ち直した右手を、このまま目か口にでも突き刺してやれば、シズちゃんは死ぬのかな、そんなろくでもないことを余裕で考えてしまえるくらい、シズちゃんは熟睡している。とはいえ、今目を覚まされても困るのだが。
「もう少しだからね」
だから、大人しくしていて。
目を覚ましたシズちゃんの反応など容易く予想できるが、これは想像以上だ。金色を主張していた髪が、徐々に闇色に同化していく。
「さて完成、と」
まだしっとりと濡れた髪を満足げに見下ろす。
簡単に片付けをしたあと、立ち上がって蛍光灯のスイッチへと手を伸ばす。パチリ、と音をたててスイッチを入れればすぐに室内が明るくなり。
「ん………」
突然の光の刺激に、今度こそシズちゃんが煩わしそうに瞼を震わせた。
俺はベッドの傍でそのときを今か今かと待ち侘びた。それでもシズちゃんはまぶしそうに寝返りを打っただけで。
「寝汚いとか…。そろそろ起きなよ、ね」
俺はとうとう我慢できずに右足でシズちゃんの肩先をドカリと蹴ってやった。
「うぁ……!?」
肩先への衝撃にさしものシズちゃんも目を覚まし、慌てて飛び起きてきた。
「おはよ、シズちゃん」
「……なんで手前がここにいやがる?」
その質問には即答せず、シズちゃんの眼前に屈みこんでとびっきりの笑みを浮かべてみせる。寝起きのシズちゃんへの嫌がらせのひとつだ。
「だから、なんでいやがるって聞いてんだけど?」
「なぜと言われると、そうだねえ…」
首を傾げながら、答えを探すふりをする。これもまた、当然予想できた質問だったけれど、明確な答えは未だ用意できていないからだ。いや、正確には、言いたくない、が正しい。
まだ気づいていないシズちゃんに、含み笑いを零せば、訝しげに見上げられた。思ったよりも似合っている。というか、新鮮だ。
「つうか、怒ってんじゃねえのかよ」
シズちゃんは、どうやら、都合のいいように誤解してくれたようだった。
「どうだろうねえ。……シズちゃんは?」
「別に」
手前がもう怒ってねえなら、別にいい。そんな格好良いことを言って、俺へと手を伸ばしてくる。
勝手に拗ねてシズちゃんを怒らせたのは俺のほうなのに。どうして、そう簡単に赦そうとするのだろう。そういうところが、今でも嫌いなのだと吐き捨てられればどんなに楽なのだろうか。
「ごめんね」
殊勝にも微笑み、謝罪の言葉を搾り出す。そして、俺は、大人しく身を預けようとしたのだが、どうにもこらえきれずに吹き出してしまった。
「ふ…っ」
「……んだよ?」
シズちゃんが訝しげにこちらを見上げてくる。改めてゆっくりと観察してみれば、黒髪もよく似合っているが、やはりトレードマークでアイデンティティーのひとつと化している金色が失われているだけで、雰囲気が全く異なる。
「なんていうか…ねえ」
想定以上の変わりっぷりに、うまく言葉にならない。言葉を商売道具のひとつにしているというのに、情けないほどだ。
一番近い表現は、可愛い、だろうか。年齢よりも幼く見えるのだ。それは、シズちゃんは金髪であるという固定観念が取り払われたためだろう。
そのままを伝えれば、シズちゃんが怒り狂うのが目に見えているので黙っておくが、変貌を遂げた髪を見たシズちゃんは一体どんな顔を見せてくれるだろうか。
「……シズちゃん、ちょっとこれ見て?」
「……ああ!?」
笑いを押し殺せず、傍に用意していた鏡を取り出し、シズちゃんへと差し出す。その鏡面に映った自分自身を目の当たりにして、シズちゃんは瞠目し、そして「うお!?」なんていう大仰な声を上げた。
「あはっ、ね、びっくりしたでしょ?」
鏡を割らんばかりに握り締めたシズちゃんは、鏡面を見つめたままだ。珍しいものでも見たかのような表情に、俺は自分自身の思いつきに自画自賛する。
「俺と同じ色だねえ、シズちゃん!似合うよ!」
「黙れ。……俺が寝てる間にこんなことしやがってよぉ…」
なんのつもりだ、と根元まで漆黒に染まってしまった毛先を摘んだシズちゃんは顔を顰めた。
想像内の反応だが、しかし、いまひとつ物足りない。だから、俺は急いでコートのポケットの中から携帯を取り出すと。
「シズちゃん」
「あ?」
素直にこちらを振り向くと同時に、シャッターを切る。パシャリと硬質なシャッター音が響き、手元の画面を確認すれば、シズちゃんの怒ったような、驚いたような表情が映し出されている。
「手前、何撮ってやがるっ」
「ふふ、君の間抜けな寝顔のひとつでも撮ってやろうと思ってたんだけど」
ちょうど、よかった。
取り上げられる前に、と少し距離をとって携帯を構え直す。
「もう一枚、撮らせて」
画面に映し出されたのは、不貞腐れた表情のシズちゃんだった。鬱陶しげに目を細め、こちらを睨みつけているのは普段となんら変わりはないが、何よりも黒髪であることが斬新で雰囲気が全く異なる。
「……気は済んだかよ」
連写し終えた携帯をコートにしまうと、シズちゃんはガシガシと乱暴に前髪をかき混ぜ、そしてかきあげる。指の合間から零れ落ちるのは、黒。その仕草ひとつに、不思議な高揚感。普段と髪の色が違うだけなのに、別人のようだ。
「やっぱり、新鮮だね。しばらくこのままで居たら?」
「落ち着かねえ」
「だろうね……」
それこそ、十年以上金髪で過ごしているのだ。似合う、似合わないの問題だけではなく、もはや金色が一部となってしまっているのならば見慣れない自分の姿が落ち着かないのは道理だと言える。
「おい、すぐに戻せ」
「やだなあ、せっかく染めてあげたんだからせめて朝までこのままでいてよ」
貴重な画像をしっかりと保存し、シズちゃんに向けて、どうかな、と微笑む。
「……何を企んでやがる?」
「あはは、嫌だなあ、企むだなんて人聞きの悪い。言い直してくれる?」
「それ以外の言い訳でもあんのか?」
だって、こんなシズちゃんは知らない。きっと、知っているのは俺だけ。だから、独占した証を残したい。
――シズちゃんのことは俺だけが知っていればいい。今晩だけの、俺だけの、特別なシズちゃん。
「ふふ」
笑って受け流し、携帯を後ろ手にシズちゃんへと近づいていく。ベッドへ乗り上げても、シズちゃんは俺を拒絶したりせずに、黙って動向を探っているようだった。
「別に、ただの思い出作りだよ」
「思い出だぁ…?」
「だってさ、どうせ君のことだから朝までが関の山でしょ?」
明日はシズちゃんは仕事だ。黒髪のまま行ったら相手に舐められるとか本気で思ってそうだから怖い。そもそも、このまま仕事に行かせるつもりも毛頭ないわけで。
「だから、今しかできないことをしようと思って。……付き合ってよ、シズちゃん」




to be continued……


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