わらないものなんて、ないの サンプル




※表紙イラスト:イトハラ様
 



「……さて、どうしようかな」
クラスメートと談話するシズちゃんの横顔を、改めて見つめた。三十半ばを目前にしても、相変わらずの金髪。しかし、場にそぐわないかと思われるそれは、彼の声のトーンや振る舞いがやけに静かなためか不自然さや威圧感を感じさせない。それに、遠目から見ても、心なしか精悍になった気がする。言うまでもなく、喪服までもがさまになって見えた。
かつてのクラスメートほどではないが、シズちゃんと会うのも随分と久しぶりのことになる。
最後に会ったのは、五年ほど前のことになる。ある日のある出来事を境に別れてそれきりだった。
いや、『別れた』という表現は正しくはない。だいたいにして、俺たちの間に恋人関係というものは存在し得なかった。
確かに身体の関係はあった。出会った当初、セックスとは、名ばかりの暴力行為でしかなかったものが、二十代の後半あたりからだんだんと変化し始めたのだが、恋人同士のそれとは程遠い。
それに、その頃にはすでにシズちゃんがその膂力をむやみに行使しなくなっていた。それは、俺との諍いにおいても同様だった。思えば、あの頃にはすでに俺たちのそうした曖昧な関係は終焉に近かったのかもしれない。
さらに正確に言うならば、甚だ不本意なことではあるが、関係が途切れたのは俺が逃げ出したせいだった。今では、なんと子供じみたことをしたのか、と思い返すだけでも恥ずかしい。
とにかく、それ以来、主に新羅からシズちゃんの動向を一方的に聞かされることはあっても、俺のほうから探るようなことはしなかった。
結果、平和島静雄という人間と出会ってから、これほどまでに長期間顔を合わさずにいたことは初めてのことになった。
俺が意図的に避けたせいもあるだろう。元々、連絡を頻繁に取り合うような仲ではもちろんなく、意図的に避けようとすればたとえ池袋に足を踏み入れようとも遭遇する機会は激減し、当然のことながらシズちゃんの姿を発見しようものならば顔を合わすことのないように、と回避した。ついでに言うならば、別れた一件について、シズちゃんから俺に連絡をとったり、ましてやマンションに押しかけられるようなことは一度もなかった。
こんなにも簡単に離れられるのならば、最初からこうすればよかった、と味気ない思いをしたとともに、自身の決断に自画自賛したものだ。今では、いい頃合いだったのかもしれないと、すでに過去のこととして精算しようと努めていたというのに。
このまま立ち止まらなければ、視界からシズちゃんが消失する。別れ際が別れ際なだけに、わざわざ声をかける義理もないし、必要性も感じなかった。だから、そのまま素通りしようとしたというのに。
運悪く、としかいい様がないが、不意にシズちゃんがこちらを振り向き、そして驚いたように瞳を見開いた。
にっこりと微笑んでしまったのは、条件反射のようなものだった。シズちゃんがまだ半分以上残っていた煙草を灰皿へと押しつけ、談話相手のクラスメートには見向きもせずにこちらへと足早に駆け寄ってくる。
「……おいっ」
当然、シズちゃんに追いかけられれば逃げたくもなるというもの。
「マジで追いかけてくるとかさ、何考えてんの」
衆人環視の中、それも葬儀場でチェイスをやらかすわけにはいかない、程度にはさすがに弁えている。反して、相手は言わずもがなだ。とにかく、相手の必死の形相を見てしまった手前、走るしかなかった。
捕まえてどうするつもりだ、殴るつもりなのだろうか、と、それでもしばらくすれば諦めるに違いないという認識は甘かった。
門外へ出て、豪雨の中を走りながら舌打ちする。スーツ姿では走りにくいばかりか、水滴が滴る前髪が額や頬に張り付いて鬱陶しい。狭くはないが広くはない、人気がない道路に出て左右に見回し、タイミングよく向かってきたタクシーを捕まえようと手をあげかけたところで、とうとう追いつかれて逆の空いている手を掴まれてしまった。
「……っ、痛いっ」
「……なんで、手前がここにいやがる?」
「久しぶりだね、シズちゃん」
傷みに耐えながらも、とりあえずは形ばかりの再会の挨拶をする。そんな殊勝な態度をとってやっているにも関わらずに、シズちゃんは「だから、なんでいやがるんだ?」と問い詰めてくる。
「……あのさあ、君が呼ばれて、俺が呼ばれないわけがないでしょう?」
一瞬減速したタクシーだったが、乗車することが出来なくなったことを悟ったのか、見切りをつけたように目の前を走り去っていく。
「そういや、そうだな」
「理解してくれたようで何よりだよ。それにしてもさあ、」
タクシーが見えなくなるまで見送ったところで、大仰に嘆息する。
「………せっかくの俺の好意を、ねえ?」
できれば再会したことをなかったことにしてあげようという俺の厚意は無惨にも砕け散ったことになったわけだ。
それでも内心では、掴まれたその手の力強さに、柄にもなく取り乱していることを隠すのに必死だった。




***




煙草を吸い終われば先にシャワーを浴びるつもりなのだろうと思っていたシズちゃんは、じっと俺を見据えたまま、相変わらず無表情でその真意は読み取れない。
仕方なく、煙草を吸い終わったタイミングを見計らって、手を止める。
「つっ立ってないでシャワー浴びてきたら?」
「……後でな」
「なあに、俺の着替え、みたいの?」
「別に」
「……相変わらず、わけわかんないね」
変わらないようで安心したよ、と、それならば好意に甘えることにしようと、シズちゃんの傍を通りすぎようとしたところで「待て」と制止の声がかかった。
そして、浴室へと向かう俺の後方から覆いかぶさるようにして抱きしめられる。
その行動に、再会した直後のように驚きはしなかったものの、全ての違和感が払拭されたわけではない。
「……どうしたのさ」
肩先へと鼻を押し付けたシズちゃんはそっと吐息を吐き出した。
スン、と匂いを嗅ぐ仕草は野生動物のようだ。ただ単に捕食した相手への恐怖を煽るものでも、優越感に浸るでもない。
「堪んねえな」
「なにが」
ため息のように小さく零されたその言葉の意図は判らない。
だから問いかけたというのに。
「……んだよ、文句あんのか」
「別にないけど」
それきり、無言の圧力でもってにらみ下ろされ、苦笑いを浮かべるしかなかった。
先にシャワーを浴びさせてもらえるだなんて本気で思っていたわけではない。
それでも、身体の関係があった、あの頃のようなガツガツとした獰猛さは見られなくて。
そう、戸惑っている、というのが正しいのかもしれない。また抱いて貰えるかもしれないことに期待して、自分の意思で着いてきたというのに、シズちゃんの真意が見えないことについて。
それでも構うことなく、シズちゃんの指先が俺の首元へと伸ばされ、きっちりと締めたままだったネクタイを緩めていく。
シュルリと乾いた音をたてて形を崩したネクタイは、あとは引き抜かれるのを待つばかりだ。
その手つきがやけに緩慢で、これからシズちゃんに抱かれるのだという緊迫感がない。思えば、最初の頃はシズちゃんに抱かれるという行為は、俺にとっては一種の暴力でもあったはずなのに。
「……ふふっ」
さまざまな矛盾点を洗いざらいに並べ立てて、突然笑いを零した俺を、シズちゃんが不審な目つきでももって先を促してくる。
「俺たちってさ、なんでヤってたのかな」
「……性欲処理だろ。……手前の言葉を借りるんなら」
「違いない」
まさか、恋人同士だったからだという返答は期待はしていなかったけれど、わざわざ地雷を踏んで少しだけ胸を痛めなければならなくなったことが癪だ。
「じゃあ、随分溜ってるんだ?俺を連れ込むくらいには?」
ネクタイが床へと落下していく軌跡を追って、悪戯めいた笑みを浮かべる。
「さあな」
後ろから丁寧にボタンをひとつずつ外されていく。半分ほど外したところで、スラックスからシャツを引き摺り出すその仕草ですら、どこか余裕があって癪だった。
「彼女、いたんでしょう?」
「さあな」
繰り返しはぐらかされて、今度こそ口を噤む。
考えてもみれば、知りたくもなかったシズちゃんの動向を探ってどうしようというのだろうか。
即答されないことに歯がゆさを感じて、また質問を重ねて、まるでどころか、これは純然たる嫉妬だ。
「別に、今付き合ってる奴はいねえよ」
「……ふうん」
その、好きなひととやらはうまくいかなかったのだろうか。それでも、とりあえずは相手の存在をきっぱりと否定されて、安堵している自分が居ることが嘆かわしい。
こうやって、いつまで経ってもシズちゃんを忘れられないでいるのは俺のほうなのだから。
そうして、平静を装いながらも、貪欲に誘導していく。
「結局、結婚せずにさあ。まあ、ひとりがいいなら、適当に女見繕うのもいいかもね」
「ひとりで生きていく決意はしてる」
「ああ、生涯独り身通すつもりなの」
「つうか、別に、ひとりがいいわけでもねえし、別に隣に誰かいたってうざくなんてねえよ」
その言葉に、ピクリ、と肩先を揺らしてしまう。
――なんだ、やっぱり、女がいいんじゃないか。
シズちゃんの隣に並ぶのだろう誰かを想像して、ナイフで引き裂きたくなる。
「そんな女の存在、俺が赦すはずがないじゃない」と、五年前に言い放った捨て台詞が蘇る。もちろん、それはシズちゃんに直接言い放ったわけがなく、ただただ自己嫌悪と自己卑下の材料となるばかりの苦い記憶だ。
いっそ泣きたい。こんな、茶番劇を再び繰り返したいわけではないのに。どうして期待してしまうんだろう。抱かれることで、今更シズちゃんの気持ちを手に入れられるわけでもないのに。
「おい」
「なに…?」
「また、変なこと考えてんじゃねえだろうな」
「変なことって、………冷たい」
「我慢しろ。ちょうどいいだろうが」
はだけられた胸元を手のひらでまさぐられて、その感触に小さく震えた。外気に曝された裸体は、指先から温もりを余すことなく享受しようとするけれど、肝心のシズちゃんの手のひらが冷たいからどうしようもない。
「……ん」
臍のあたりまで及んだ手のひらは、再び上昇して乳首を掠めた。微細な刺激でも、久しぶりの感覚に思わず声が漏れてしまう。





to be continued……



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