果の応報 サンプル




※表紙イラスト:イトハラ様
 

目を開ければ、未だ不明瞭な視界は薄暗い。
低い天井をじっと見つめ、じわじわと身体を侵蝕するのは冷たさ。
濡れたままのコートを身にまとっていたのが災いしたらしい。
ひとつくしゃみをすればようやくと視界が鮮明になってきた。木目が露わになった天井から視線を移し、ベッドのシーツの端やテーブルの椅子が九十度傾いた状態で視界の端に映る。
教会から運ばれたのか、ここは誰かの私室、恐らく俺を殴った彼の部屋なのだろう。どうやら直接床の上に転がされているらしかった。
「ああ、目が覚めたのか」
至近距離から匂ってくるのは煙草の匂い。聖職者のくせに、そんな嗜好は咎められないのかと思ったが、今の時代ならばその辺りは曖昧なのだろうと勝手に解釈する。
雨は上がったらしい。窓辺から差し込む弱々しい月光に、それでも煌く彼の金髪は美しいという形容がぴったりだった。
「……随分と貧弱な身体してんのな」
「それでも、君たちよりはずっと長生きしてるんだけどね」
呆れたような声音が頭上から降り注ぎ、苦笑しながらも皮肉めいた口調で返答した。
確かに、人間ごときに殴られた衝撃で気を失うだなんてヴァンパイアとしては失態だ。だけれど、彼の力は予想以上のものだった。
「君、すごく力が強いんだね」
馬鹿力って言われるんじゃないの、とからかいながらも身を起こそうとして途端に殴られた左胸が傷んだ。
「痛…っ」
「つうか、勝手に起き上がるんじゃねえよ」
確かに傷みは残ってはいるけれど、治癒力を使えばすぐにでも傷みは霧散していく。
拘束もされておらず、この身は自由なはずなのに、こうして彼に見据えられただけで途端に身動きがとれなくなる。
「……俺を殺すつもりかな?」
「さて、な」
ベッドが軋んだ音がして、彼がそこに腰掛けたのが判った。
いつでも俺に攻撃できる圏内。そして、彼が纏うのはヴァンパイアに対する明確な殺気。
だからこその問いかけだったのに、予想外の返答だった。
「俺はヴァンパイアだよ?」
俺もまた自らの正体を隠すことはなく認めた。
彼は、本来ならばすぐにでも抹殺するべきだった。正体を知られたのだから当然のことだろう。
今ならば俺の行動を拘束するものは何もない。室内を軽く見渡せば、聖水やら銀製品やらが並んでいるが、その程度ならば俺の力を抑制するまでに至らない。
ただ、人間と比べて遥かに長い寿命や強靭な肉体を持っているといえども、不死なわけではない。聖別された物によっては触れるだけで肌は焼け焦げ、その衝撃で動きは鈍るであろうし、心臓や頭部を潰されれば治癒力が追いつくはずもなく死を迎え消滅する。
しかも、今、俺は自らの意思とは別に「動けない」のだから、千載一遇のチャンスのはずだ。
それなのに、彼は俺へ攻撃してこようとはせずに、あいも変わらずに煙草をふかしながら見下ろすだけだった。
「……殺さないの」
俺にはそれが不思議でならなかった。彼は俺のことを『ヴァンパイア』という存在であるという一点において捉えているはずで、俺を抹殺しないでいる明確な理由が見当たらなかったし、事実、俺は覚悟した。
まさか、俺が「動けない」でいる理由も、抱えている想いも知る由もないはずだ。
そして、解せないのは殺さずにここに連れてきた、その理由。
俺が知りたいこと、確かめたいことを口に出したい気持ちはあれど、その前に彼と俺の関係は狩られる側と狩る側だ。なぜなら、俺の正体を一発で見抜いたのは、偶然でも、優れた洞察力の賜物でもなく、とある職業に就く者の必要不可欠な能力のせいだったからだ。
それは。
「だって、君、ハンターなんでしょう?」
「……」
沈黙こそが肯定と同義だった。
彼は間違いなくヴァンパイアハンターだった。ヴァンパイアハンターとは、その名の通り対ヴァンパイアの暗殺を生業としている人間たちである。
それぞれが得意とする戦闘スタイルを余すことなく発揮し、ヴァンパイアたちを追い詰め殲滅せんとする。
俺が生まれた頃にはすでにその存在は同族の間でも認知されていたし、俺も実際に遭遇したことはある。
ヴァンパイアも今では残り少なくなったとはいえ、未だ存命ものは多数居るし、新たに誕生し続けているのが現状だ。
今も昔も、獣のように手当たり次第に人間を襲う低俗な連中もいるし、血を求めるがあまりに理性を失う者もいる。各地で出没するそうした連中たちを狩るために、ヴァンパイアハンターもまた存在し続けるのだろう。
彼のように一見神父風を装っていながらも裏稼業として任命もしくは請け負っている者もまた、この世界では珍しくはないのだ。
「うるせえな」
沈黙を破ったのは、そんな理不尽なひとことだった。獲物の前では饒舌な俺でも、必要なこと以外は口を開いていないというのに失礼極まりない。
「手前こそ、俺のこと殺す気ないくせに。…ヴァンパイアの手前だったら、その凶暴な牙で俺を咬み殺すなんてお手のモンだろうがよ」
その気になれば瞬殺じゃねえのか、と、生意気にも俺に意趣返しを仕掛けてくる。ピッと指先で指し示す挑発的な仕草は、逆に俺を嗾けているかのようだった。
「そんなに殺されたいの?」
「別に死にたいわけじゃねえけど」
吐き出した紫煙の行方を目線で追いながら、俺には余裕ぶっているようにしか見えなかった。
じゃあ、遠慮なく、そう簡単に話が進むのならば俺はすぐにでも身体が動かせただろうに。
「はあ、…じゃあどうしろっていうの」
「俺だって判んねえんだよ」
「……そんなこと俺に言われても、ねえ?」
ゆっくりと身を起こして、またひとつ嘆息。両手を後ろについて自重を支え、彼の前にこちらには殺気がないことを改めて示してやる。
俺の人間に対しての破格の扱いだ。
それは、君だからなのだ、と。そう宣言できたらどんなにかよかっただろう。
「俺には手前を殺せねえ」
「……え?」
彼はもどかしげに口元を小さく動かしたのち、そんな言葉を搾り出した。
何を言い出すのかと思えば、選ばれたそれは矛盾に満ちたものだった。
「手前、どうやったら死ぬんだよ?」
「……君、ハンターなんでしょ?」
先ほどの問いかけを繰り返す。
いやいや、と言葉を切った次には、乾いた笑いしか溢れない。
なんの冗談かと思ったものの、彼は仏頂面を崩すことはない様子が、彼が嘘などをついていないことを雄弁に物語っていた。
俺の抹殺方法なんて必須知識であり、それを知らないままにハンターを名乗ろうというのだろうか。
単なる自殺祈願者としか見なされず、ハンターとしての名声を得られないどころか、遠からず餌食になってしまうだろう。
そう忠告してやろうとすれば。
「馬鹿にすんじゃねえよ。そういう意味じゃねえ」
つうか、さっき一通りやってみたから、と苦々しく口にする。
「へえ?」
一応の知識はあると判ったとはいえ、そんな曖昧な否定を投げられても、一向に謎は解けないままだ。
「動けなくしてから、さくさく殺してやるつもりだったんだよ」
なんとも稚拙な方法だけれど、合理的とは言える。普通のヴァンパイアだったら、身動きがとれないような傷を与えられたところで心臓に銀を打ち込まれれば一貫の終わりだ。
だけど、とそこで彼は苦々しげに言葉を切った。
「心臓の位置が、判んねえ。手前、実はかなり強いんだろ?」
「ご名答」
殴られて昏倒してしまったのは油断していたからのひとことで棚上げしたとしても。俺は確かにそこらの下級の同族と同様の殺し方では死ねない。ただ、それでは逆に自分が殺されてしまうとは思わなかったのだろうか。
「とはいえ、頭潰されたら死ぬよ、俺でも」
「だから、やろうとしたって言ってんじゃねえか」
「ますます意味が判らないんだけど」
顔を顰め、発するべき言葉を探して考え込む様は、またしても羅列すべき言葉を惑わせる。要するに、口下手なのだろう。
カソックの中に片手を突っ込んで取り出したのは銃だ。
「いざ、手前の頭に銀をぶち込んでやろうとしたところで、」
銃を突きつけられ咄嗟に身構えたものの、銃口から銀製の銃弾が飛び出してくることはない。
「引き金を引くのを躊躇ったってわけだ」
銃をしまいこんだ彼は、その理由を探しあぐねて、俺を殺し損ねたと言いたいらしい。
「ここに連れてきたのは、仕方なく、だ」
仕方なく、を少しだけ強調しているのは、意地を張っている証拠なのだろう。そんなところもまたどこか微笑ましい。
「それで?なぜだか殺せない俺をここに連れてきた理由は見つかったの」
「気になることはある」
「うん?」
「『シズちゃん』ってなんだよ?」
「……あー、えっと」
なるほど、耳ざとく拾われていたというわけか。
確かに、俺は意識を失う直前に思わずその名前を口にした覚えがある。
それでも、彼が気にかける必要はないし、逆に殺されるかもしれない敵を前にして殺さなかった理由にはならないというのに。
「どうして君がそれを気にするの」
訪ねた声音が無意識に僅かに震えた。
容姿こそ瓜二つとはいえ、彼が彼だという証拠はないし、あくまでそうだったらいいのにという俺の願望でしかない。
彼もまた、俺に対する態度に疑問は残るとはいえ、記憶がないことは確かだった。
それでも。その名前に反応してくれるというのは存外に嬉しいもので。
「気になるから、としか言いようがねえな。あれって俺に向けて言ったんだよな?」
誰かと間違えたのか、とどこか不機嫌そうに問われる。先端が紅く灯って、瞬時に灰と化していく。それはまるで、ヴァンパイアたちの最期を模しているかのようだ。
「……そうだよ」
「俺は『シズちゃん』って奴じゃねえけど」
「……うん」
そんなことくらい、百も承知なのだと。チクリと胸を刺すのは、確然とした彼との距離。物理的にはこんなに傍にいるのに、手を伸ばせば触れられるのに、近くて遠い、そんな存在。
「だからどうして?」
返答によっては打ちのめされることも覚悟して、それでも。彼が静かに吐息を吐き出すその間ですらももどかしいとばかりに。
「判んねえけど、無性に腹がたったんだよな、あのとき」
「ふはっ」
眉を寄せて、これ以上ない程に不機嫌を露わにしたから。
行き場のない腹立たしさを、ついにほとんどが灰と化した煙草に当たることにしたようで、勢い良く灰皿へと押し付けている。
「そんなことを確かめたいために、わざわざ運んできたっていうの?」
「うるせえな」
何度も見覚えのある彼の怒り顔そのままで、思わず笑ってしまう。
シズちゃんと呼ばれたその意味合いに、自分がそう呼ばれたからか、それともほかの誰かと間違えたことに対してなのか、釈然としないとはいえ。
「何が可笑しい」
「別に」
ひとしきり笑い終えて、うつむく。
俺は静かに瞑目して、そして気づかれないようにまたひとつ小さく笑った。
「……君はさ」
――そんなところも、以前の君と変わらないんだね。
目の前の彼を小馬鹿にしながらも、去来する懐古の情と、胸をざわめかせる確かな歓喜。
確信した。君は、どこでも君だった。
君はやっぱり、「君」なんだね、そう問いただしたいけれど、まだ時期尚早だろう。
「殺せなかったからといって見逃すわけにはいかねえのはハンターとして当然だろうが」
「それで俺は囚われの身ってわけね」
生かされているけれど、逃すつもりはない、と。
「あのさ、今すぐに君は俺を殺す気はないんだね?」
実際に俺を殺せるかどうかは別として、と付け加えて。彼が俺を殺せない理由は、彼が意図しない部分、つまりは心の奥底で何らかの不条理に囚われているとしか思えないが、それすらも確証があるわけではなく、俺の願望でしかない。
つまりは、記憶はなくとも、想いは死んでいなかったのだ、と。
「今のところは、な」
現に、悔しげに金髪をかき乱しながら肯定する様は、心外なのだと体現していた。
しかし、それならば、当面の利害は一致だ。
「だけど、この先は判んねえ」
「当然だろうね」
それなりに共存していた昔とは違い、闇夜に紛れ息を潜めてその永遠の生を孤独に生きるしかない存在。
あくまでも俺は人間とは相容れない存在であり、被害が出ている状況では、本来ならばヴァンパイアだとバレてしまえば即刻殺されるしかないことは理解しているし、彼が仲間に引き渡そうならばすぐにでも殺されてしまうだろう。それに、なにより、彼が俺を「殺せるようになる」かもしれない可能性だって高いのだから。
「その前に俺が君を殺す可能性だってあるけど、どうする?」
「……さっき、目が覚めたと同時に俺を殺さなかったのは、俺のことを『シズちゃん』だかなんだか知らない奴だと思い込んだことと関係してるんだろ?それに、今でも疑ってる」
だから、俺を殺すつもりはねえんだろ、と不遜なまでの態度で言い放つ。
否定も肯定もすることのない代わりに、案外鋭いんだねえ、と称賛を送る。もちろん、褒め言葉だ。記憶がなくとも、こういう機微には敏い男だったのだから。
「……まあ、たとえ君が俺を殺したくなったとしても、ただで殺されてやるつもりはないけどね」
まだ死にたくないし。そう笑いかけて、反動をつけて立ち上がる。
彼との身長差である二十センチほど真下から見上げるようにその整った顔を初めてじっくりと見た。
紫煙が静を好む彼を守るようにたなびき、鳶色の瞳は俺だけを映す。俺の紅とは正反対の眩しいまでの瞳は、俺が大好きなもののひとつだ。
俺のことを「俺」だと認識しないその瞳に一抹の寂しさを覚えるのだけれど、今はまだそれでもいい。
君の傍に居られるのなら、それ以上に望むことなんて俺にはないのだから。
「信じられないかもしれないけれど、君は俺がずっと待っていた人の生まれ変わりなんだ」
「……?」
訝しげに瞳を細める彼は、やはり前世の記憶はないらしい。それでも、俺の脳裏には一瞬にして、過去の宝物のような日々が想起される。
 あの頃のように、名前を呼んで抱きしめて欲しくて。
「……それ以上、近づくな」
「なんで」
絡んだ視線を強引にはずそうとされれば、天邪鬼な俺はますますその視線を独占したくなる。
「殺すぞ」
「えー、君にできるの?」
からかい交じりにまた一歩彼のほうへと踏み込んで挑発を繰り返す。
瞬間、彼は身構え、両の拳を握り締めた。僅かに浮いた両手の先端はギチギチと嵌められたままの革グローブが締め付けられている。
心地よいまでの殺意と相反する執着が見え隠れする。それでも、きっと彼が俺を殺すことはないのだろうという根拠のない推測の裏には無意識の安心感がある。
彼が囚われている不条理が、彼が彼であるが故にだったらいいのに、とそんなことを思いながら。



to be continued……



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