意、衝動、メルトダウン



※表紙:イトハラ様

来神シズイザ。
静雄に対峙すると震えるようになってしまった臨也と、そんな臨也を見て本心に気付く静雄の話。





「気安く呼ばないでよ」
血の匂いが混じる吐息に眉を顰めながら、吐き気がする、と吐き捨ててやれば、シズちゃんは瞳を細めた。
「…手前に一回聴いてみたかったんだけどよ」
「……なに」
改まって話しかけられるなんて、初めてのことかもしれない。
この状況下で、なんて今は瑣末なことで。
こうもあからさまに凝視されると逃げようがない。仕方なく、黙することで先を促してやる。
「――手前は何なんだよ」
「……質問の意味がわかんないんだけど?」
人語すらも不自由なの、可哀想。
そう、からかうことは容易いけれど、そこから先はどうしようもなく俺に不利な条件ばかりだ。
「……」
様子を見たところで、シズちゃんは答える気がなさそうだった。だったら、もう終わりにしたっていいだろう。
「はあ、今日は俺の負け。認めたげるからもういいでしょ、いい加減に離して」
自分で驚くほどに冷静な声音でシズちゃんを牽制する。
それでも、未だ開放されない左手にじわじわと更に加えられる力に、くちびるを噛み締めざるを得なかった。
無機質な壁に押し付けられた背筋をじっとりと汗が伝う。この状況に嫌な予感しかしないのに、ただ眼前のシズちゃんを睨み上げるしかないなんて、無様すぎる。それでも、これ以上の敗北を口にすることは許容範囲外だった。
「できねえって言ったら?」
「簡単でしょ」
「無理だな。…ここで見逃したらまたうぜえことすんだろ?」
当然だろう。思い通りにならないのならば、完璧に潰さなければ、俺の気は収まらないのだから。
「だから、殴り殺すって?」
「それでもいいけどよ」
気が変わった、とシズちゃんは静かに笑った。そう、見たこともないくらいに冷酷に。
ギシギシ、と軋む左の手首に、ミシミシと激痛が走り始める。
「ちょっ…と、痛い、痛いってば…!」
片手だけでこの力。だったら、いつもは手加減されていたの、なんて余計な勘ぐりをする余裕はなかった。
「手前の利き手は右手だったか?左手だったか?」
不穏なその問いかけに、息を呑んだ。


***


こちらに向かって新羅とともに歩いてくるのは、人間愛を自負する俺の唯一の例外。
とはいえ、胸のうちを隠して当のシズちゃんに笑いかけるくらいの余裕はある。
折られたばかりの左手が、ズキリと痛みを発するけれど気にしない。
「あ、臨也!もう出てきて大丈夫なの?」
おはよう、とにこやかに片手を上げる新羅とは対照的に、まるで汚物を見たかのように瞳が細められる。
予想できた反応だったけど、本当に失礼しちゃうよね。
だけれど、その瞳に射抜かれた、瞬間。ふるり、と膝が僅かに震えた気がしたのだ。
「……?」
シズちゃんに殺意を剥き出しにされることも、蔑まれることだって、慣れている。
向けられる、もはや当たり前のようになってしまった負の感情に反応する術だって、惰性へと成り下がっていたというのに。
気取られない程度に眉を潜め、取り繕うようにしてすぐさま笑顔を浮かべた。
「……一緒に登校するほど仲良かったっけ?」
「僻まないでよ。君のことだってちゃんと親友だと思っているさ」
安心しなよ、と苦笑する新羅に、どうだか、と肩を竦めてみせる。その間、シズちゃんは黙って俺を睨みつけるばかりだった。
「なに」
何か言いたいことでもあるの、と少し見上げながら、不敵に笑ってやる。それが挑発を兼ねていることなんて、これもまたいつものこと。
確かに、骨折した左手を抱えながらシズちゃんに挑むのは些か不利であることなんて承知の上だ。
それでも、昨日味わった屈辱は早々に精算、そして倍返ししなければ気がすまないのも事実。
「ちょっと、朝からやめときなよ」
新羅が嘆息混じりに俺たちの間に割って入ってくる。そして、クルリと俺のほうを振り返ると、こんこんと説教を垂れだした。
「あのねえ?君の左手は折れてるの。安静にして無茶しちゃいけない時期なの。だから静雄くんとの喧嘩も禁止!」
「はあ?左手が折れてるくらいで舐められちゃ困るんだけど?」
ほら、だって、シズちゃんヤル気満々じゃない、と、新羅の後ろで微動だにしないシズちゃんを指差して嘲笑う。
「骨折だってどうせ君の自業自得でしょ」
「酷いなあ…」
「臨也」
いつになく真剣な表情で遮られて、俺は不覚にも黙らざるを得なかった。
「……さらに悪化させたいっていうなら、もう僕は診ないよ?」
「……ちぇ、こんなときばっかり医者ヅラしてさあ…」
面白くはないが、新羅はこう見えて頑固で、一度決めたことは曲げない。
それに、どちらかといえば、こういうときはシズちゃん寄りだ。まあ、それはシズちゃんと俺の関係を見る限り、仕方がないのだろうけれど。
「命拾いしたねえ、シズちゃん?」
最後に厭味を忘れずに、俺は二人に背を向ける。
ひとことも発さずに、俺を睨みつけてばかりいたシズちゃんには正直、拍子抜けだ。
だから、先ほど感じた違和感のことなんて、すっかり忘れてしまっていたのだ。


◇◆◇


少し前から俺の中に芽生えていた、このしっくりとこない感覚。

違和感は日に日に増してくる一方で、俺になんの応えも与えてはくれない。
臨也に対する殺意の形が、殺意でなくなってきたというか、うまく言えないのだが、とにかく殺したいけれど殺したくない、そんな矛盾する気持ちに支配されて、はっきりと言って気持ち悪い。
自分では判らなかったから、臨也を捕まえたあのとき、チャンスだとばかりに聞いてみることにしたのだ。
「手前は何なんだ」と。
どうしたって、臨也限定のこの気味が悪い感覚。
どうせ考えたって答えが出ないのならば、当の本人に聞くのが一番だろうと、そう思ったのだけれど。
「質問の意味が判らない」と、逆に突き返されて、落胆が半分、吹っ切れたのが半分。
ただ、原因は臨也だと判っていたただけに、どうやら歯止めが利かなかったらしかった。
簡単に言ってしまえば、八つ当たりに近かったのかもしれない。
細い手首は、思いのほか簡単に折れてしまって、正直呆気ないほどだった。あんなに脆いものなのか、と少しがっかりしたことは秘密だ。
臨也が骨折を癒している間は、つかの間の小康状態。その間、違和感とともに俺を襲ったのは飢餓感だった。
一体、なんだってんだ、と思わず掴みかかってやりたかったが、とりあえず、何も言わず聞かず、幾度となく裏でこそこそと企んでやがるみたいだったが、様子を見ていることにした。
まあ、予想通り、臨也は復活するやいなや、性懲りもなく俺に挑んできやがったわけだが。
絶対敵わないって判っていても嗾けてくるその意気込みだけはさすがノミ蟲と、今度は俺が褒めてやる番だった。
ところが、事態が思わぬ転機を迎えることになるだなんて、俺自身も思いも寄らなかった。

あの臨也が、震えていた。
俄かには信じられなかった。
どんだけ詰って殴って蹴って痛めつけても、不屈だった臨也が、だ。
今も、思いもよらない形で抱きしめることになった臨也の身体は小刻みに震えながら、拒絶を露わにしている。
「返事は……、まあ、別に必要ねえか」
臨也の意思など知ったことではない。
今まで散々好き勝手されてきたのだから、今回からは俺の好き勝手にさせてもらうことにする。
よし、決めた。
とりあえずは、この疼きをどうにかしてもらおうか。
「おい」
「……っ!?」
目に見えて肩を震わせた臨也を拘束から解いてやりつつも、繋いだままだった左手は絡めたままだ。
逃がさない、という意味も込めて少し力を込めてやれば、臨也が勢い良く俺を睨みあげてきて。
改めて見れば、紅みかかった両目も綺麗じゃねえか、と柄にもないことが浮かぶ。いくら周りが綺麗だ丹精だともてはやす顔つきも、俺にとっては忌々しいだけにしか映らなかったはずなのに。
なんだか、不思議な感覚だった。
「…こっち、来いよ」
「や……っ」
繋いだままだった左手を引っ張ってやれば、案の定、弱々しく拒絶しながらも俺の為すがままだった。
グラリと傾いた臨也を、難なく引っ張りながら、正面玄関を通過していく。
繋いだ左手は、人質のようなものだった。なんとなく、臨也が抵抗できないカラクリにも気づいたものの、敢えて指摘してなんてやらない。
「痛い、痛いってば……っ」
顔を顰めながら悲痛にも訴える臨也に、そうだろうな、と漠然と同意する。遠慮なく引っ張っているのだから、当然だろう。
「大人しくついてきたら肩が外れなくて済むんじゃね?」
口にしてから、脅しも同然じゃねえか、と自嘲した。
臨也は、結局、それっきり押し黙ったまま、それでもその瞳には抵抗心がありありと見て取れた。
そうでなくちゃ、面白くねえよな。
クツクツと笑みを噛み殺しながら、すっかり無人となった薄暗い廊下を進む。
目的地が目前へと迫って入る。廊下の電球が切れかけてチカチカと点滅している真下、そこが目的地の空き教室だ。
「おらよ」
「……う、わ…っ」
閉じたままだった扉を勢い良く開けると、連れてきた臨也を汚れた床へと放り投げるように解放してやる。
床に転がった臨也に立ち上がる暇を与えず、そのままその細い身体に伸し掛った。
「ねえ…、一応聞くけど」
息苦しいのだろう、軽く咳き込んだ臨也を見下ろしながら先を促す。
「なんだよ」
「俺に、何する気?」
「……いちいち口にしなきゃ判んねえのかよ?」
ハッ、と嘲笑うようにして、学ランに手をかける。
俺の手を、臨也の冷たいてのひらが遮るようにして掴む。
「俺のこと、犯したいの」
「まあ、簡単に言えばそういうことになるか」
まるで他人事のように返答できる自分自身に驚いた。あんなにも、臨也に対しては剥き出しの感情で対峙していたというのに、この落ち着きぶりは逆に異常だ。
だけれど、そんなことよりも、どうしようもない飢餓感を埋めたくて仕方がない。
それに、腹立たしいことに、これは臨也でないとダメらしいことくらい自覚している。
「……や、だっ」
「……無理」
今更止められるか、と呟きながら、学ランをむしり取るようにして脱がす。破らなかったことを褒めて欲しいくらいだ。
だって、破ったりしたら、きっとコイツうるせえからな。
「離せ……っ」
学ランの下、真っ赤なシャツをぐい、とたくしあげてやれば、臨也が身を捩って抵抗を繰り返す。
薄布一枚への力加減なんて、そんな器用な真似ができるはずがないことくらい判っているだろうに。
「おいおい、暴れたりしたら」
破れちまうぜ、と言おうとしたところで手遅れだった。ビリッと無惨にも音を立てて裂けてしまえば、その綻びを起点にしてただの布切れへと戻っていく。
「あーあ…」
結局、胸元まで裂けてしまったから、これもまた学ラン同様に用済みとばかりに取り去ってやる。
墓穴掘る、って言葉知らねえのかな、コイツ。
「だから言ったじゃねえか」
ほとほと困ったとばかりに嘆息しながら見下ろせば、臨也がくちびるを小さく震わせながら視線を逸らしていた。
多分、悔しくて堪らないのだろう。
気持ちは、判る。
「怒るなって」
「どの口が…っ」
途端にこちらを向いた臨也に気を良くして、床に爪を立てている左手に触れる。
くちびるが目に見えて戦き、続いて、未だ屈辱に燃える瞳が動揺するように揺れ動いた。


to be continued……
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