妻家の嫉妬



※タイトルを裏切るかのごとくシリアス
※特に静雄が別人
※「愛妻家の日常」続編








普段から静まり返っている昼間の廊下を、ズリズリ、と何かそれなりに重量のあるものが移動、それも引きずられている音が響く。
我が家は目前、ドアまであと数メートルだというのに、なかなか距離が縮まらない。
近所迷惑なのはわかっているから抱えてやるって言ってやったはずなのに、そんなことをされたら舌を噛み切って死んでやると脅迫なんだかよくわからないことをほざくものだから仕方なく手を引いてやることにしたのに。
「やだ、…っ、痛い、痛いってば…っ!」
ズルズルと腕を引っ張られる臨也が、引きずられながら、離して、とか細く喚いているが、軽く無視をする。
そんなの、臨也が悪いからに決まっている。
前に一度、あんまりに痛がるから手を離してやったら逃げやがった。だから、信用ならねえ。つうか、無駄なことをせずに素直に歩けばいいのにご苦労なこった、と呆れ果てる。
「うるせえな…」
ちらっと後ろを振り向けば、まだ強情を張って俺になんとか引きずられまいと踏ん張っている。くっ、と力を入れるためかくちびるを噛み締めて、ああ、そのままじゃ切れちまうんじゃねえかと心配になった。コイツのくちびるは柔かくて気持ちいいからな。もちろん、くちびるの傷口を弄って痛がる臨也を見る趣味は俺にはないしな。
「噛むな」
「え……?」
一瞬、何を言われたのかわからなかったのだろう。顔をくしゃくしゃに歪めていた臨也が驚いたように顔を上げる。
「くちびる、」
ちょうどいい。そこで掴んでいた腕を引き寄せ、一気にその細い体を抱く。
「や…っ」
突然抱えられたことでもがき始めた臨也を、落とさないよう注意を払いながら、ああ、やっぱり最初からこうすればよかったんじゃねえか、と些か後悔しながら、ポケットから鍵を取り出し、開錠したドアを潜る。
「ほら、帰ってきたぜ」
「……っ」
我が家に帰ってきたというのに、臨也は顔を引き攣らせた。そこは笑顔でただいまだろうがと思ったが、まあちょっと喧嘩したばかりだから無理だろうな、許してやる。
抱えていた臨也の足元をまさぐり、靴を脱がせてやる。その頃には臨也は抵抗を諦めたのか、俺に従順だった。玄関に降ろしてやれば、少しふらつきながらも壁伝いにしっかりと立ち上がっている。
その姿を見届けて、玄関のドアに鍵をかけると、視界の隅で臨也が小さく嘆息したのが見てとれた。
そうだよな、やっぱり帰ってきたら落ち着くよな。あれ、がなければいつも通り臨也と朝食をとっていたはずだったのだ。
「…あの男、次に来たら殺してやるから安心しろ」
「…ねえ、シズちゃん、」
「あ?」
「……ううん、………もういい」
よっぽどショックだったのか、俯いた臨也は肩をふるり、と震わせた。
そりゃ、あんな目に遭ったら嫌だし、怖いよな。しばらくは、外に出さないほうが賢明かもしれない。
「…きっちり、仕返ししといてやるから」
手前がわざわざ手を汚すまでもねえ、そう言って宥めるように髪を撫でてやった。慰めるなんて苦手で、これで臨也の気が少しでも晴れたらいいのにと願うばかりだ。
臨也を追い越し、先に室内へと入る。すると、トボトボと臨也が後をついてきた。
「飯の続き、だったよなあ?俺が作ろうか?」
「……」
洗面所で手を洗い、出てきたところで臨也に明るく話しかける。せっかくの日曜日、二人で朝食をと思ったのにとんだロスタイムだった。
臨也は返事もせずしゃがみ、床にバラバラに砕けて落ちている元はガラスのコップを拾い集め始めた。俺が直前まで牛乳を飲んでいたためか、白く濁ったそれらの輝きは鈍い。


事の始まりは、宅急便が届いたことだった。
朝一番にインターフォンとともに、平和島さん宅急便です、の呼び出しがドア越しに寄越された。
ちょうど冷蔵庫から取り出した牛乳を飲み干したところだった俺が、程近い玄関へと向かう。臨也は俺が向かったのを確認して、キッチンで朝飯の準備を再開する。
ドアを開ければ、荷物を抱えた男性配達員。制服に身を包んだ若い男だ。ここにハンコかサイン下さい、と男が伝票を指し示したところで、印鑑を持っていない俺は、サインを選択した。
ペンを、と言いかけたところで、俺の後方からすっと印鑑が差し出された。言わずもがな、臨也だ。
「ああ、…サンキュ」
印鑑を受け取り、指定箇所に判を押そうとしたとき、俺は気付いてしまった。荷物を支えている男が、臨也に熱い視線を送っているところを。そして、臨也もまたその視線に応えるように、見つめ返していたのだ。
「……っ、臨也っ!」
思わず声を荒げた俺は、臨也を背に隠し、そして荷物を引ったくる。
「さっさと帰れ!」
眼前の男を殴らなかったのは奇跡に近い。一喝してやれば、男は慌てて逃げるように去って行った。
「なんなの」
大声出してみっともない、ポツリ、冷たい声音が背中越しに響く。俺はゆっくりと振り返り、臨也の存在を確認して安堵した。そして、頭に血が昇る、よく知る感覚が俺の全身を支配した。
「いつも、ああなのか?」
「はあ…?」
考えてみればそうだ。これまでもきっと何度かあっただろう、今日と同じことが。たとえば、この前、ケータリングで夕食を注文したとき。それに、俺がいない間に幽から衣服が届いたことだってあった。それもこれも全部。
油断ならないと思った。結婚前の臨也は情報屋なんて胡散臭いことを仕事にしていたし、男と一緒に歩いているところを何度も見たことがある。男に色目を使われることなんて手慣れているだろうし、無駄に聡いコイツのことだから、向けられるあからさまな感情には敏感なはずだ。それすらも、利用してきたに違いないのだから。
一気に飛躍した考えが頭の中をグルグルと回り、俺の怒りを加速させる結果になる。
「ふざけんな…っ」
臨也を睨みつけ、俺は歯ぎしりした。
「アイツ、殺してやりてえ…」
見るな、触るな。臨也は俺だけのものだ。誰にもやらねえ。
「シズちゃん…?」
「手前は俺の妻だ。他の男なんて見るんじゃねえ…!!」
慟哭に似た俺の怒りをぶつけられた臨也は一瞬目を丸くして、そして、すっと紅い目を細めると。キッチンに戻り、テーブルの上に置かれたままだったコップを掴むと、勢いよく俺に投げ付けてきた。
ガシャン、と俺の真横の壁に叩きつけられたコップが砕ける音が響き、俺の頬をヌルリとした液体が伝う。飛び散った破片が頬を掠めたらしい。
バタン、と乱暴に玄関のドアが閉まったことで我に返れば、臨也はすでに飛び出して行ったあとだったのだ。


「少し休めよ」
無言で拾い集めたガラスを紙袋に放り込む臨也の傍にしゃがみ、俺も手伝うことにした。
結局、ものの数分で臨也を捕まえたが、追い掛けている間はなぜ臨也が飛び出したのかがわからなかった。ただ、事態が終息し冷静になって考えてみれば、俺も言い過ぎたかもしれないと反省した。被害者は臨也なのだ。
だけれど、いい機会だから言い聞かせておかなければと思って。
「あー…、臨也」
「なに」
「手前はよ。無駄に色気あんだよ。だから、あんな輩が出て来る。手前も気付いてんなら、対処しろ」
「…何言ってんのかわかんないんだけど」
「…とにかく、俺のいない間に誰か来ても出んな。あと、しばらく外にも出ねえでおけ」
「……」
そこでピタリと手を止めた臨也は、ゆっくりと俺のほうを向いて、くちびるを戦慄かせた。
「…シズちゃんはやっぱり何もわかってないんだね」
臨也の指先から摘んだはずのガラスが落下し、床に叩きつけられて粉々になってしまった。


朝飯が終わっても、臨也の機嫌は直らなかった。一応は謝ったけれど、それはなんの謝罪なの、と取り合ってもくれない。
昼過ぎになり、臨也がキッチンにたつ。怒ってはいても、飯は作ってくれるらしい。
「なあ、昼からは昼寝でもしようぜ」
疲れてんだろ、と労るように臨也の背に話しかける。その間も臨也の両手は淀みなく動かされ、食欲を誘う匂いが立ち込めてくる。
昼飯はオムライスらしい。
「…はい。食べて死んで」
「ああ、サンキュ。つうか死なねえから」
だから何度も言ってるじゃねえか、殺す気なら本気で来いよ。まだ怒っている証拠なのだろう、受け流して皿を受け取り席に着けば、臨也も自分の皿を手に向かいに座る。目も合わさないのはいつものことだけれど、とため息をついてスプーンを手にする。せっかく作ってくれたのに冷めたらかわいそうじゃねえか。
ふわふわのオムライスにスプーンを差し入れれば、カチリと小さく音がした。大方、皿にスプーンが掠ったのだろうと気にせず口に運ぶ。
「……?」
珍しく臨也が俺を窺い見て、すぐにまた食事を再開した。なんだってんだ、と訝しみながら咀嚼した途端。
「…シズちゃん、俺は君を許したわけじゃないんだからね」
ジャリ、と有り得ない音が口内で響き、続いて広がるのは血の味とジンとした痛み。
「…ってえ…」
一度口に含んだそれらをてのひらの上に吐き出す。唾液が絡んで少し溶けたオムライスに混じっているのは、キラキラとしたガラスの破片。そのガラスの破片が咥内の粘膜に傷をつけたらしい。
おそらく、これは臨也が割ったあのグラスの成れの果て。
チクチクとした痛みをやり過ごしながら臨也を見上げ、そして努めて優しい笑顔を浮かべてやった。
俺が全く怒っていないせいか、臨也は小さく舌打ちしたようだった。
怒ったりしねえよ。俺だって悪かったと思ってるしな。こんなことくらいで気が済むなら安いもんだ。つうか、可愛いじゃねえか。俺の反応を確かめたかったんだろ。気を惹くつもりだったんだろ?
そうだよな、仲直りしたいなら、俺も誠意を示さねえとな。
俺は、愛しい妻に手を伸ばす。
「だから悪かったって。……今日は一日抱きしめていてやるから、そんなに怒るなよ」
ガタリ、立ち上がった臨也の腕を掴む。
また逃げるつもりかよ。つうか、一日に二度も走り回ったらさすがに疲れるだろ。…もちろん、臨也が。ああ、どうせならその体力はセックスに回せばいい。俺だけしか見えないようにドロドロに溶かして、外に出る気なんて起きないくらいに抱き尽くしてやる。いい考えじゃねえか。
くちびるまで滴ってきた血を舐めとる。咥内でケチャップと混じりあったそれはすぐに消えてわからなくなった。
「……いらないっ」
「拒否んじゃねえよ」
さすが、俺の妻。誘い方も心得てやがる。嫌だといいながらも、目元が紅い。
「ああ、ちゃんとベッドで抱いてやるよ」
満足するまで抱いて、可愛がってやる。


「オムライス、勿体ないけど、あとで、な」
先に手前な、と腕の中に閉じ込めた臨也の耳元で甘く、囁いた。







END





2012.2.10 up

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