妻家の日常



※タイトルを裏切るかのごとくシリアス
※特に静雄が別人










唐突だが、俺は愛妻家ってやつだ。アイツが傍にいねえと気が狂いそうになるくらい好きだし、大切に大切にしてやっている。アイツはちょっとばかり反抗的だが、なんだ、その、マンネリ防止ってやつか、刺激があったほうが楽しいし、これまでのアイツとの因縁を考えれば正しくあるべき姿だと言える。
そして、今日もまた、愛妻を迎えに行くことから俺の一日はスタートすることとなりそうだった。


「おい、臨也」
ほんの一メートル先で、毛を逆立て威嚇態勢の猫のごとく臨也に、できるだけ優しく呼びかけた。対しての反応は、それはそれはかわいくないものだった。
「気安く呼ばないで」
ふー、ふー、と荒ぶる吐息をなんとか収めようとしているが、華奢な両肩は上下に揺れていて、まだ時間がかかりそうだった。最初は余裕ぶってノミ蟲の名前をほしいままにぴょんぴょん跳ねて逃げ回っていたが、長年付き合っているおかげで弱点くらい知っている。
コイツは持久戦には弱い。
朝から街中を捜し回って一時間ほど、見つけて追い掛け袋小路に追い詰めたところで、臨也はとうとう根を上げた。
「なんで…追い掛けて、来るの…っ」
俺はもう帰りたいの、とそれでも臨也はくちびるを震わせながらも強気に笑みを浮かべてナイフを構えている。ナイフの切っ先が少しだけ震えているのは、怒りのせいか、それとも腕を上げているのも辛いせいか。
追い詰められているくせに、力づくでも通る、そんな気概だけは立派だが。
「帰るって、どこにだよ?」
静かに、努めて冷静に問い返せば、すかさず睨み返してきた。俺が恨めしいって目だな、コレは。もう慣れちまったけど、とひとつ嘆息する。
「あー、とりあえずナイフしまえよ」
俺もコレ降ろすからよ、と手にしたままだった標識を薄汚れた路地に突き立てた。ズン、と地響きがしてすぐに、ピシビシリと路面がひび割れた音が続く。標識は元からそこに存在していたかのように聳え立ち、俺は手を離した。地面に擦りつけたり振り回した上部が歪んでいることはこの際気にしない。
「は…っ、相変わらず化け物…!」
一連の動作を見守っていた臨也が小さく吐き捨てた。聞き捨てならないその言葉にも、サングラスを押し上げ、慣れた高さにまで戻すことで、聞き流せた。昔の俺なら即座に切れていただろう、だが今の俺は少しばかり気が長くなったと思う。そうでなけりゃ、コイツと付き合っていけねえし、とひとり納得したところで負けじと笑ってやった。
「そんな化け物と結婚したのはどこの誰だよ?」
今すぐ名前呼んでやろうか、なあ、と我ながら意地が悪いとは思わなかった。それは当然、こんな些細なことくらいで臨也を逃がすつもりなどなかったからだ。
「……っ」
否定しやがらねえ、つうか事実だもんな、と俺はほくそ笑む。
「クソ…っ」
取り繕う余裕すらないのだろう、笑みを消し去り、くちびるを噛み締めながらも、臨也はナイフを構え直した。
最後の抵抗か、それもいいだろう。けど、勝てた試しもないくせによ。つうか、ナイフ全部取り上げてへし折ってやったのにいつのまに手に入れやがったんだ。ナイフの切っ先を眺めながら、次々と過ぎるくらいの余裕はある。
…ふん、まあいいか。
サングラス越しに目を細める。視線は少しばかり斜め下。そのナイフを握る左手の薬指には、陽光を淡く反射する指輪が嵌まっていた。まだそれを嵌めている段階で、コイツは俺と別れるつもりなんてないことを確信する。
それだけで、なんとも言えない感覚に襲われた。
…あーうぜえ、…うぜえくらいに可愛いじゃねえか。
俺は、思わずその場で唸りそうになるのを我慢するのに必死だった。


最初から臨也のことが好きなわけではなかった。昔は四六時中寝ても覚めても臨也のことばかり考えて、どこにいても何をしていてもどうしても消せない存在自体がうざくてしかたなかった。けれど、臨也を目にしない日は妙に苛立って、何もかもがうまくいかない。どちらにしろ悪循環で、出口のない迷路に迷い込んだような、かつて経験したことのないような混乱。
けれど、それが恋だと気付いた瞬間、俺の世界は一転した。
差し込んだ光明に導かれ、出口に達したあとは気分は爽快だった。むしろ、今まで俺はなんでこんな大事なことに気付かなかったんだろう、何年損したんだよと、傾けていた牛乳パックからドボドボと中身が零れても気にならないほどに呆然としたものだ。
『手前に傍にいて貰わないと困る』
そう、臨也に意を決して伝えたのは数週間前のこと。
珍しくゆるゆると耳たぶを赤く染めた臨也は少し考えて、俺は君が世界で一番嫌いだ、と言った。
なんだよ、それはお断りってことかよ。それだけは許せなかった。いなけりゃ落ち着かない眠れない、そんなヤバイところまで来ていたからだ。
だから、無理矢理俺のものにしてしまうことにしたのだ。…だっていくら口で好きだと伝えたって、臨也は首を縦に振らないだろ?


最初は嫌だ嫌だ誰が君なんかと、と駄々をこねた臨也も、一度抱いてやれば観念したようにおとなしくなった。口が動くほどに回復した臨也は強姦だと散々喚きやがったが、最後のほうなんて、もうダメイきたいの、なんてエロいこと言って俺を欲しがって誘って、奥のほう突いてやったらよだれ垂らして喘いでたんだから合意だろ、合意。
その翌日、これで既成事実もできたしな、と恭しく薬指に結婚指輪を嵌めてやったときの臨也の絶望に満ちた表情は今でも忘れられない。
もしかして君は俺のことが好きなの、と今更なことを聞いてきやがったから、抱きしめることで応えてやった。
そして、最初から素直に俺のものになっておけばよかったのによ、と耳元で囁けば、ひくり、と全身を揺らしていたのが記憶に新しい。
とはいえ、臨也はそんな指輪ひとつで他になにもしないで留めておけるほどおとなしいタマではない。だから、改めて思い知らせる必要があった。
−どこに逃げたって手前の甘い匂いは消せねえんだ、と。つまり、俺だけが辿れる匂いがあるってことだ。こんなところは俺のこの忌ま忌ましい体質に感謝しなければならない。
そう告げれば、目を見開き、そして涙に塗れた睫毛を震わせながら赤い目を隠した臨也を見て、ようやく欲しかったものを手に入れたと喜んだ。
この一言で臨也を俺の傍に留めておくことに成功したというわけだ。


仕事から帰ればアパートに臨也がいる。
それだけで、これがまたどうして、信じがたいくらいに幸せな毎日だ。
一緒に住み始めてからというもの、逃げられないと悟った臨也はあの手この手を使って俺を殺そうと企んできた。性格まんまだよな、歪んでやがる。まあそれも照れ隠しなんだと思う。
たとえば、別に飯の用意をしなくていいと言ったのに、臨也は懲りずに用意しやがる。たいていが毒入りだったりするわけだが、効かねえと言っても聞きやしねえ。
そんな俺も大量の睡眠薬を盛られて、−多分疲れてたんだろうな、昨日は仕事忙しかったし−、迂闊にも眠りこけてしまい、今朝目が覚めたら臨也が逃げ出していたってわけだ。逃げられねえってわかっててなんのつもりなんだか。別に鎖で繋いでいるわけでもねえし、外に出ようと思えば出られるわけだしな。ちなみに逃走された回数はもう忘れてしまったが、結果からして成功率はゼロ。
当然だな。


「おら、怒らねえから帰るぞ」
そうやって手を差し延べてやっても、臨也は後退るだけだ。背後の壁に、トンと背中がぶつかる。
「嫌だ…!」
今日こそは帰らない、と強情を張る臨也にそれでも諦めずに一歩近付く。
「俺を試してんだろ?」
「はあ…?」
訝しむ臨也に、首を傾げて。
「安心しろよ。どこに逃げたって必ず捕まえてやるし。あと、手前のこと嫌いになんて絶対ならねえからよ」
どんなにひどい罵声を投げつけられたって、殺そうとされたって、結局何をされたって、嫌いになんてなれない。向けられた負の感情は、臨也が好きだという感情の前では、全てが麻痺する。だいたい、表面上とはいえずっとそんな間柄だったじゃねえか。
「だから俺に追い掛けて欲しくて逃げんの、もうやめとけよ」
「な、ふざけるな…っ!」
なんで俺がわざわざ、そんなこと、とそこで臨也は口をつぐむ。
わかってる、図星なんだよな、臨也くんよ。
「なあ、あとさあ…、わかってんだろ?」
「な、なにが」
声を絞りだす臨也に、結局よお、と嘲笑う。ほんとコイツは胸糞ワリィくらい嘘が上手いよな。
「本当はなにから逃げたいのか、なんて言わなくても気付いてんだろ…?」
「……っ!!」
さっさと認めちまえ、そんで目を、そらすな。
至近距離まで近付いた臨也は、表情を無くしていた。
握りしめたナイフに手をかければ、呆気ないほど簡単に手が離されたから、宥めるようにその手を優しく握ってやって。
「まだ朝は冷えるよなあ…」
上気してピンク色だった頬はすっかり色を無くしている。柔らかく冷たい頬を空いたほうのてのひらで撫でてやりながら、かさついた唇にキスをする。
「早く帰ろうぜ」
俺がすぐに温めてやるよ。お誂え向きに今日は遅出だ。こんなところまで計算して逃げたなんて、出来た妻だよな、と感心しながら臨也を見下ろす。
臨也は、指輪を嵌めてやったあのときと同じように、まるでこの世の終わりのような表情を浮かべている。小さく小さく死ねとか嫌いとかお馴染みのことを口にした気がするがどうだっていい。
「暖まったら朝食だな」
俺、フレンチトースト食いたい、と痩身を抱えながらリクエストする。首元に鼻を埋めれば、甘い、甘い匂い。まるで空腹感が満たされるような、そんな感覚。
「…毒入りだって構わないぜ?」
言い忘れたな、とクスクス笑えば、うなだれたままだった臨也が身体を強張らせたのがわかった。
…本気で俺を殺すつもりならいくらでも手段はあるはずだしな。
選択権を臨也にやっているところがまた、最高の愛情表現だろう、と満足しながら、抱きしめる腕に力を込めた。





END





2012.2.2 up

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