ズちゃんにビールを飲ませてみたら





 

それは、とあるバーで偶然にもシズちゃんの上司である田中トムと遭遇し、半ば強引に隣に腰掛けさせてもらったときのことだ。
同伴者がいないなら俺がお相手しますよ、と微笑めば、彼は最初はあからさまに作り笑いを浮かべ、それでも隣に居座ることを許してくれた。
「シズちゃんは…いないですよね。飲めないから連れてきても楽しくないでしょ?」
注文した酒が運ばれてきたところで、早速とばかりにトムに話しかける。彼との共通の話題と言えば、言わずもがなシズちゃんのことだ。わざわざシズちゃんのことを話題に上げるのも癪だが、他愛ない話でも俺にとっては時に有益な情報にもなりうる。
「そんなことはないぜ。アイツも飲むには飲むし」
「へえ」
ときにトムとともに飲みに行っていることくらい知っている。おそらく、サワーあたりをチビチビと飲んで、ウーロン茶で締め、といったところだろうか。
シズちゃんといえば、子供舌でビールが苦手だと、確かそんな話を聞いたことがある。ビール苦手とか、と初めて聞いたときには思わず吹いちゃったよね。
「でも、ビールは苦手って聞きましたよ。ビール飲めないなんてあの図体で子供っぽいですねぇ」
ビール美味しいのに勿体ないですよねぇ、と心にもないことを口にすれば、トムはあー、と苦笑いする。
「正確には飲めないっつうか、少しくらいなら大丈夫だ」
「そうなんですか?」
まあ、缶ビールにしたら二本くらいは大丈夫じゃねえかな、とトムは少し思案して。
「だけど、周りには苦手だって言っとけと言ったのは俺だ」
「え…?」
意外な事実を教えられて、瞳を瞬く。
ビールが飲めないわけではない?
確かに、苦手だと言えば無理に勧めてくる手合いも少ないことだろう。
だけれど、なぜわざわざそんな嘘をつく必要があるのだろうか。そこになぜか確固たる理由がある気がして、トムを伺い見れば。
「つうか、アンタ、もし静雄にビール使って嫌がらせとか考えてるんなら、やめておいたほうがいいぜ」
「……へえ?」
トムはもちろん、俺とシズちゃんがどういう仲なのかを知っている。シズちゃんを大事に大事にしているこの人のことだから、俺に苦言を呈したいのだろう。だけれど、そんなことよりも気になるところはひとつしかない。
「シズちゃんにビール飲ませたらどうなるんですかあ?」
もしかして苦い不味いとか言って泣いちゃうのかな、それウケるんですけど、と笑い飛ばせば、トムは神妙な顔つきで首を振る。
「いや…」
「……? もったいぶらないで教えてくださいよ」
「とにかく、悪いことは言わないからやめとけ」
半分ほど残っていたハイボールを傾けながら、トムは視線を前方へと戻す。そして、本気なのだとばかりに衝撃的なひとことを放った。
「アンタ、今度こそ死ぬぞ」
「……!!」
なになに、ビール飲んだら俺を殺せちゃうくらい人格変わって凶暴になるのかな。いやいや、もしかしたらものすごく恥ずかしいことになっちゃうのかもしれないね。だって、この人のことだからシズちゃんを庇ってあげているのかもしれない。
――ダメだよ、田中さん、それじゃあ逆効果だ。そんな情報聞いちゃったら確かめざるを得ないじゃないか。


***


「なんだよ、シズちゃん、飲めないっていうからてっきりひとくちでやめるのかと思った」
「……正確には飲めねぇことはねぇ。つうか、トムさんからビール飲むなって言われてるから飲んでねぇだけだ」
「あ、そうなの?」
初耳だ、という風を装って、驚いた顔を作ってみせる。
「…飲めるみたいじゃない」
「そう、みたいだな」
そうだよね、なに素直に従っちゃってるの、この人。まるで忠犬だよね。ただ、シズちゃんも意外だったようで、うめえ、とか言いながら軽々と一本飲み干してしまった。
「もっと飲む?」
「…ああ」
くれ、とてのひらを差し出されたので、俺はほくそ笑みながら目の前のビールを手渡してあげた。
油断しすぎ。ほんと馬鹿じゃないのかな。
俺の胸中など知る由もないシズちゃんは、二本目もいい飲みっぷりを見せてくれる。怪しまれないように適度に俺もビールを口にしながら、つまみも勧めてあげることにする。
顔を合わせれば殺し合い、という殺伐とした関係を長年続けているとは思えないほどの、穏やかな酒盛りだ。俺が嗾けなければ、こうしてまるで友人同士のような関係を築けたのかな、と脳裏を過ったのだが、それもそれでどこかしっくりこない。
「ところでさ」
「あ?」
「その、ビールを田中さんに止められている原因はなんなの?」
そもそも、そこがわからなかったのだ。トムはあの調子で頑として口を割らなかったが、それなりのエピソードがあったはずだ。そして、それは本人が一番よくわかっているはずだから、正攻法で聞いてみることにしたのだ。
だが、やはりシズちゃんは一筋縄ではいかない。
「あー…、つうか知らねぇ」
「はあ?」
知らないってどういうこと?俺が訝しげに問えば。
「なんかあったらしいんだけど、すんごい酔っ払ったらしくてあんときのことは覚えてねえんだよな。後からトムさんに『覚えていないのならそのまま忘れて大丈夫だ』って言われたから聞いてねえ」
「……シズちゃん」
君さ、ほんとどこまでトムさんラブなの。だいたい、そこ大事なところだろう、と胸ぐらを掴んで言ってやりたい。そもそも、『なんかあったらしい』の『なんか』が気にならないのか、この人。その上、「周囲にビールは苦手だと吹聴しておけ」というアドバイスという名の忠告を鵜呑みにしているシズちゃんは、馬鹿じゃないの、のひとことに尽きる。
「で、聞いてないってこと…?」
「ああ」
あっさりと認めたシズちゃんに呆れはするけれど、だったら俺が確かめてやろうじゃないの、と再び好奇心がムクムクと沸き上がる。
「……まあ、今飲んでて何もないんだから、もう解禁にしてもいいんじゃないの」
「そうかもな」
もう何年も前の話だし、耐性ついてるのかもしれねぇしな、と都合良く納得してくれたシズちゃんに、俺も、そうだよ、と後押ししてやる。
たとえば泥酔して暴れたシズちゃんが飲み屋を半壊させた、とかならばさすがにトムもシズちゃんにわけを話すだろう。やはり、あれは俺からシズちゃんを守るための虚言だったのではないだろうか。
いいんだよ、それならそれで好都合だ。たとえば泥酔させて記憶のないシズちゃんの恥ずかしい写真のひとつでも撮れる絶好のチャンスになるかもしれないし。
「ほら、飲みなよ」
「…おう」
二缶目を綺麗に飲み干したシズちゃんは、とうとう三缶目を手にとった。飲めるとわかったせいか、シズちゃんのピッチは早い。うめえ、と言いながら缶を傾け続けるシズちゃんをじっくりと観察してみたが、顔色ひとつ変えることはない。せいぜい、少し気分がよくなっているせいか、手前も飲めよと俺にビールを勧めてくれるくらいか。
なんだよ。意気込んで来てみてがっかりだ。
俺は肩を落とし、これは早々に辞するべきだな、と思い出した。何も起こらないのであれば、シズちゃんと飲む理由なんてないからだ。
さてなにか口実でも作って帰るとするか、と腰をあげようとした、そのときだった。
「おい、ノミ蟲」
「……なに」
「手前よお…」
言いかけてやめたシズちゃんは、ユラリと立ち上がった。
何、なんなの、とシズちゃんを見上げれば、シズちゃんは俺の傍にしゃがみこんだ。そして。
「よく見たら…、可愛いのな」
「……!?」
とんでもないひとことを口にするシズちゃんの目は完全に据わっていて、そして見たこともないくらい真剣な表情をしていた。
その目を見て、これは逃げなければ、と瞬時に悟ったのだが、それでもすでに遅かった。
「……っ」
シズちゃんが俺の両肩を掴んで、そしてあろうことか、顔を近づけてきて。何をされるかなんて分かりきっていたことだったのに、情けないことに驚きのあまり硬直してしまった体はピクリとも動いてくれずに。
ちょっとやっぱり酔ってるの、今自分が何してるのかわかってるのかなあシズちゃん…!
シズちゃんにキスをされながら、俺は文字通り混乱の極みに到った。






to be continued…?



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