おかえりなさい | ナノ
杞憂 - If the sky falls we shall catch larks -

結局、ピアーズは起きなかった。
仕方ないから、書いた紙を分かりやすい机の上に置いて、家を出た。
だけど、片腕で大丈夫だろうか。
もしもバイオの世界で亡くなって、すぐにこちらの世界に来たのなら、片腕だけの生活は不慣れなはず。
せめて私の携帯番号を教えて、家からでも連絡が取れるようにするべきだっただろうか。



「いらっしゃいませー」



入店する際に鳴る音が聞こえて、レジに居る私はすぐに反応した。
一人で来たであろう男性のお客さんは、私に目を合わせることなく、スタスタと店内の奥へと歩いて行く。
なんてことない日常の一部。
だけど今日は、ピアーズのことでそわそわしている自分がいた。
初めてなのだ、彼を一人家に残すことは。杞憂かもしれないけど、心配だ。




 ***




店が閉店し、いつも通りの時間で帰路につく。
ただ、いつもと違って足取りは早い。
OLの紅葉は残業が多く、帰りはいつも私の方が早い為、ピアーズのことを紅葉に頼むことが出来ない。
つまり、私が早く帰って、ピアーズの安否を確認しなければならない。
……安否っていうと物騒か。



「ただいまー」



あたかも平然と、心配を表に出さないように、玄関のドアを開けながら中に向かって言う。
すると部屋のほうから、ひょこっ、とピアーズが顔を出した。
私の顔を確認すると、笑みを浮かべる。
っ、そ、その顔は反則……。



「Welcome back」



ピアーズの言葉に、私は靴を脱ぐ動きを止めた。

「おかえりなさい」と言われるのは、久しぶりのことだ。
実家を出て紅葉と暮らし始めて、もう何年も経つ。
OLの紅葉は、出勤は私より早く、帰宅は私より遅いことのほうが圧倒的に多い。
だから、「いってらっしゃい」は私のほうが多くて、「おかえり」も私のほうが多い。
久しぶりに言われた「おかえりなさい」は、私の心を温かくするには充分だった。

「Humika?」とピアーズに声をかけられて、ハッとする。
わ、私、靴脱ぎかけで何してるんだろう。



「た、ただいま!」



慌ててそう言えば、ピアーズはフッと笑みを浮かべた。
その笑顔を見ると、疲れも吹き飛ぶ気がする。
靴を脱いで、ピアーズが居る居間に向かうと、なんだか良い匂いがすることに気づいた。
あれ、この匂いって……。
机の上には何も置かれていない為、キッチンへと視線を向ける。
そこには、朝私が出る時には無かった鍋がコンロの上に置かれていた。



「here」



突然、ピアーズが私の腕を取って歩き出した。
「えっ」と驚いていると、コンロの前で止まる。
私の腕を話したピアーズが、鍋の蓋を取ると、その瞬間、良い匂いが溢れ出てきた。
鍋の中を見ると、その匂いの正体が分かる。
シチューだ。



「I made it. Did I not have to make it without permission?」



……あ、やばい、何言ってるか分からない。
えっと、スマホ……、いや、朝に充電忘れて電源切れてるんだった。



「Thank you」



とりあえず、お礼を言う。
もしこれで違う話だったら恥ずかしいけれど、夕飯を作る手間が省けたことはありがたい。
私の言葉に、ピアーズの目が少しだけ丸くなった。どうやら驚いているらしい。
そのことに、「ふふ」と笑うと、ピアーズも同じように笑う。
あ、この雰囲気良いな。好き。

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