槿花一日。






20



ただただ荒い呼吸をするばかりだった。麦藁くんの喉を狙ったナイフを握る右腕は、私自身の左腕によって止められていた。なんでだか、両手が震えていた。


「なぁ、」


麦藁くんが口を開く。


「何で止めたんだ。」

「何、でって、」


声を発すると同時に固まっていた身体が動き、ゆるゆるとナイフを引っ込めた。首筋冷や汗が伝う。視線を上げると麦藁くんが真っ直ぐに私の目を見ていた。


「決闘なんだろ??どっちかが死んだっておかしくねぇ。大体何で最初からナイフ出さなかったんだ??お互い打撃が効かねぇってのは知ってたんだろ??」


彼の正論に、返す言葉もなく、視線を落としてナイフをしまった。


「おめぇ、俺に負ける気だったんじゃねぇのか。」

「それは無い!!」

「なら、どうして使わなかったんだ。」


その問いに答えることが出来なかった。なんだか、ナイフを使うことが卑怯な気がしたんだ。だって、私が断絶有利になってしまうし、だなんて思ったのだが、そんなの理由になってない。別に、使っちゃいけない理由にならない。なら、なんで私は、


「なぁ、おめぇどうしたいんだ。」

「どう、って、」


再び視線を上げる。


「お前はさ、しなきゃイケナイってばっかりでよ、何がシタイんだ??お前がシタイことはなんだ??」

「したい、こと。」


ただ立ち尽くして譫言のように、彼の言葉を繰り返した。


「なぁ、終わらねぇもんなんてねぇぞ。なんだっていつかは終わる。それでもおめぇは旗を掲げ続けたいのか??」


さっきまで爆笑していた癖に真剣な顔で首を傾げる麦藁くん。何か言い返せばいいのに、余りに核心を突く言葉に何も言い返せなかった。
そんな私をしばらく見つめて、麦藁くんは私の腕を掴むと、半ば引きずるように彼の船の方に連れていく。


「サンジ、パス。」


甲板に着くや否や、私をサンジに押し付けて、


「ナミ、チョッパー、」


そう端的に言った麦藁くん。それを受けてクルー達が何を言われるでもなく動き出す。


「な、に。」


ただでさえ頭の中がぐちゃぐちゃなのに、更に今の彼らの行動が分からずキョロキョロする私。


「今に分かる。」


サンジはそう言って、軽く頭を撫でてくれた。


「ね、私さ、」

「ん??」


サンジを見上げると、笑いかけてくれたけど、困ったように眉を下げた。


「なんつー顔してんだ。」


そう言ってぎゅうっと抱きしめてくれた。なんて顔と言われても私が今どんな顔してるかなんて分からない。なんだかモヤモヤと宙ぶらりんな気持ちで、おとなしく抱きしめられた。


「で、なんだ??」

「や、なんでもない。」


思わず口をついて出てしまったが、「私、どうしたらいいんだろ。」だなんてサンジに聞くべきじゃないくらい承知だ。


「そうか。」

「うん。」


何と無く、私の心境を察してくれているんだろう、サンジはそれ以上聞かなかった。
何がシタイか、が無いことを年下に指摘されるなんて、私なんて情けないのだろう。言われてみれば仕方ないっちゃ仕方ないのだ。幼少からそう育ってきたのだから。シタイこと、を上手く回らない頭で必死に考えた。




Ж





恐らく、結構なダメージだったのだろうと思う。無意識だろうけど、かつて無かったくらいに強く俺にしがみついてくるマコに、何も言ってやれないのがもどかしい。が、何か言ってやるような問題でもないのが事実。
生まれた時から、次期船長候補の肩書きをぶら下げているのだ、と彼女は以前言っていた。きっと刷り込みのごとく彼女の心に刻まれているのだろう。


「おし、出港だ!!」


ルフィが叫んで、微動だにしなかったマコが弾かれたように俺を見上げた。不安で不安で不安で仕方ないという目で。


「な、んで、」

「大丈夫だ。すぐこの島に戻っから。」


余計に混乱したのか、さっきと同じようにキョロキョロする様は、迷子の子供のようだ。いや、実際心境はそんな感じなのだろう。固定観念という親と逸れてしまった子供。


「どこ、に、」

「船長様がマコを連れていきてぇ場所があんだとよ。」

「私を??」

「そ。このまま島離れたりなんてしねぇから。大丈夫。」


大丈夫、大丈夫。と繰り返して笑いかけて。そんな気休めで心が晴れるなんざ思ってねぇけど、少しでも安心してくれるように。
それから、ポスンと小さな音を立てて、俺の胸に頭を押し付けてくるマコを撫でながら、ルフィの案に一抹の不安を覚えていた。今更言っても仕方ないが。
サニー号は曇り空の下ただ快調に進むばかりだった。



Ж




一時間もしない内に着いたのはただ何の変哲もない、海の上だった。


「ここ??」


訝しげな顔をしてマコはルフィに話かけた。


「よし、行くぜ!!ついて来いちびっこ、ついでにサンジ。」

「本気でスクラップにするぞ変態サイボーグ。」


フランキーを睨みつけるマコの腕を引いて、地下のドックに向かう。


「潜水艦……??」


乗り込もうとしたのはシャークサブマージ3号。マコの足が止まった。見ると、その顔に表情は無く、ただシャークサブマージ3号を眺めて、


「まさかさ、ここ、沈没地点じゃないよね??」


呟くように、そう言った。






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