SSS
過去拍手、小ネタ置き場
::花添えの愛言葉 1(雲雀+10)
花添えの愛言葉
この花屋には、最近とても綺麗な人が来る。
「綺麗」と言っても女の人ではない。
そろそろかしらと横目で時計の針を確かめながら、今日が結婚記念日だということを忘れていた、と夕暮れ時にスーツ姿のまま駆けこんで来たおじ様に、出来上がったブーケを手渡した。
季節感と花言葉を考えて丁寧に包んだ向日葵。
おじ様はそれを見て目を丸くすると、次の瞬間「綺麗だな」と言って笑ってくれた。
その笑顔を見て、私はニコニコと精算を済ませながら内心でガッツポーズをする。
花屋で働く一番の理由は、そりゃあ花が好きだからだけれど、だからこそこの笑顔を見るたび、「ああ、このために働いているんだなぁ」と常々思う。
あ、このおじ様の笑顔だけのため、という訳でなく。
普段花になんて興味のなさそうな人、特にこういう男の人なんかが、大切な誰かのためにこうやって頑張って花屋に来て、溢れんばかりの色彩と芳香に目移りしながらも、その人のために花を選ぶ。
そして出来上がったブーケを見たときの、それこそ花が咲いたような嬉しそうな顔が、私は大好きだった。
その上今のおじ様のように「綺麗」なんて言ってくれたら、花屋にとってもうそれ以上の賛辞はない。
「ありがとうございました」
そんな訳でほくほくしながら店先でおじ様を見送った。
向日葵を大事そうに抱える後ろ姿が、帰宅する人たちの間に紛れて、やがて見えなくなる。
奥さん、喜んでくれたらいいな。
そして今日という特別な日に1つでもアクセントを添えられたのなら、今日の私は満点だ。
……が、それでも1人の女性としては物足りない。
だって今日はまだあの人が来ていないから。
店先の花の様子を見る振りをしながら、行き交う人混みの中にその姿を無意識に探してしまう。
「(……あっ、)」
見慣れたスーツ姿の彼が真っ直ぐにこちらに歩いてくるのを確認して、急いで何食わぬ顔をして花に向き直った。
この時間はスーツを着た人が多く通るのだけれど、彼だけは何故かいつも一目で見つけてしまう。
周りの人とは違う、なにかとても洗練された、神秘的と言ってもいいような雰囲気を纏っているからなのか。
それともただ単にその整った顔立ちと威圧的な存在感が目立つというだけなのか。
まぁ要するに、それだけ特別な人なのだ、彼――――雲雀恭弥さんは。
「やぁ」
すぐ背後にまでコツコツと心地よい革靴の足音が近付いてきて、いつものように声を掛けられる。
それだけで嬉しくて心臓が暴れ回った。
けれどそこであからさまに尻尾を振って迎えないのは、こんな別世界にいるような人に対する、私なりの大人の対応……に見せかけた、子供っぽい意地なのである。
「あら、雲雀さん。こんばんは」
今初めて気付きました、と顔に貼り付けて振り返り、いつものように笑って頭を垂れる。
顔を上げた先にいた雲雀さんは今日もやっぱり綺麗な顔をしていた。
うーん、いつどこでどんなシチュエーションで見てもカッコいい。
……いや、まぁ、この夕暮れ時にこの花屋で、店員とお客様というシチュエーション以外で見たことは、残念ながらないけれど。
でもきっと、本当にどんなTPOで見ても綺麗なんだろうな、この人は。
艶のある黒髪はさらさらと風に揺れていて、触ったら気持ちよさそうだ。
長い睫に縁取られた切れ長の瞳は、見たこともないくらい美しく澄んだ色をしている。
肌も白くてすべすべしていそうだし、お腹の奥まで染み渡るようなテノールはもう美声と言う他ないだろう。
これで職業がモデルでも俳優でも歌手でもないと言うのだから、今日の芸能界は惜しい存在を見逃しているわ。
「どうぞ、今日は夏の花がたくさん入ってきたんですよ」
「ああ」
いつもと変わらずにそんなことを考えながら、彼を店内へ促した。
雲雀さんは毎日決まって夕暮れ時にこの花屋を訪れる。
正確な日時までは忘れたけれど、確か春の終わり頃から来てくれるようになった。
彼が初めて来店したとき、私はきっとこの人も好きな女性に贈る花を買いに来たのだろうと思った。
一世一代の告白にこんなしがない小さな花屋を頼ってきてくれたのだと、それだけで誇らしく感じたのをよく憶えている。
だからこそ、少しでも彼の恋のお手伝いができるならと、私は精一杯の技法と気持ちを込めて花を寄せた。
そして出来上がった渾身の一作は、確かオダマキのブーケだった。
「どうぞ」と手渡した時、彼は「ああ」と素っ気ない反応を返したけれど、その瞳が満足げに、そしてオダマキの花言葉さながらに強い決意を滲ませていたのが今でも忘れられない。
それだけ相手の方のことが好きなんだろうな。
当時はそんな風に微笑ましく、そして少しだけその相手を羨ましく思ったりもした。
だって考えてみろ、この人に花束を差し出されて、真っ直ぐに見つめられながら「きみが好きだ」なんて言われるわけだろう。
まさか断る女性がいるだなんて想像もできないし、その時の私は彼の告白はきっと成功するはずだという、確信に近い予感を抱いた。
そしてこれ以降は彼女の誕生日とか、2人の記念日にブーケを頼みに来て下さるくらいの付き合いになれたらいいなぁと、花屋らしくぼんやり考えていた。
……それなのに、なんてことなのだろう。
その翌日の同じ時間に、彼は同じようにこの花屋に来店したのだ。
そしてやっぱり同じように、私にブーケを作ってくれと言ってきた。
ああ、きっと渡せなかったんだ。
それはそうか、どんなに綺麗な人だって、好きな人に想いを伝えるなんてそう簡単にできることではないだろうし。
あの時はそう思って、そしてまたこの花屋を頼ってきてくれたのが失礼ながらも嬉しくて、もう一度誠心誠意、彼にブーケを作った。
夕闇に消えていく彼の背中に、頑張れ、と心の中でエールまで送った。
――――が、次の日、雲雀さんはまたここに来た。
しかも2日連続で告白し損ねた人には見えないほど、涼しい顔をして。
そうでなくとも連日同じ花屋に男性が1人で来るなんて、それだけで鋼の精神を持ち合わせているということはわかっていたから、こうなったら彼が想いを告げられるまでとことんお手伝いさせていただこうと、私は心に決めたのだ。
そしてそれから早3ヵ月。
雲雀さんはまだこの花屋に通っていて、私はすっかり彼専属のコーディネーターになっていた。
「向日葵はいかがでしょう? 夏らしいですし、先ほども買われていかれた方がいらっしゃるんですよ」
「それもいいけど……あまり草食動物と被りたくないな」
雲雀さんの言う草食動物とは、世間で言うところの一般人のことらしい。
それだけでも不思議な方だけれど、引くどころかますます惹かれてしまうのは私が変わっているからなのだろうか。
まぁとにかく他人と被りたくないというお客様もいることにはいるし、動揺することもなく「それじゃあ」と店内を見渡して他の花を探す。
……それにしても、本当に熱心だなぁ。
たまに海外出張だとかで何日か日を跨ぐこともあるけれど、そうでないかぎり雲雀さんは本当に毎日ここへ来る。
1ヶ月を過ぎたあたりで、もしかしたらすでに恋人がいて、その人のために毎日花を買っていくのかしらと考えを改めかけたこともあった。
けれど、さり気なく聞いてみたところによると、「そんなのいないよ」らしい。
雲雀さんが何のお仕事をしているのか詳しくは知らない。
けれどきっと社内か取引先にでも、この人が告白をまごついてしまうほど可愛らしい方がいらっしゃるのだろうな。
つまり私は部外者で、私の知らないところで私の知らない人に想いを寄せる雲雀さんは、比喩なんかではなく本当に別世界に生きる人なのだ。
……そんな人に、気付いたら恋に落ちていました、なんて古臭いメロドラマみたいだとは思ったけれど、それでも自分の思い通りには止められないのが恋愛ってものなのだろう。
別にいいんだ。
こうやって花を吟味している真剣な横顔を知っているのは私だけなのだから、それだけで贅沢ってものだろう。
私の恋は叶わなくたって、雲雀さんの恋が叶うなら。
雲雀さんの人生に、ほんの少しだけでも居ることができるなら、それでいいんだ。
商店街の片隅にあるしがない花屋の店員には、そのくらいがちょうどいい。
「そういえばきみ、この前1人暮らしだって言ってたよね」
「え? あ、ええ」
突拍子もなく振られる話題に目を瞬かせていたのも、最初の内だけだ。
花を選びながら、雲雀さんがこうやって他愛もない世間話を持ち出してくるのも、今ではもうお馴染みの習慣なのである。
そして、彼の意識が花から――――片想い中の女性から私に移るこの僅かな時間が、同じく片想い中の私には堪らなく幸せなひと時だっだ。
「じゃあ、一通りの家事はそつなくこなせるわけだ」
「ええと……人並みにはできていると思いますが……要領がいいかと言われると自信はありません」
「……きみは謙遜するからイマイチあてにならないな」
「まぁ、ひどい」
好きな人の興味を独占できていることに優越を感じ、同時に虚しくも思いながら、それでもいつものように正直に答えてくすくす笑う。
そんな私を見た雲雀さんも、「褒めてるんだよ」と息を吐くように上品に笑った。
王子様みたい、なんて年甲斐もなくメルヘンなことをごく自然に考えさせるこの人の笑顔は、本当にずるいくらいカッコいいから困る。
バッドエンドが確定している恋だというのに、こんなんじゃどんどん好きになってしまう一方だ。
まったく先が思いやられる。
「料理は? 和食と洋食のどっちが好きなの」
「そうですね……どちらも好きですけれど、どちらかといえば和食の方が好きです。やっぱり日本人はご飯じゃなくっちゃ」
内心で苦笑する私の気持ちなんかつゆ知らず、雲雀さんはその答えを聞いて嬉しそうに目を細めた。
どうやら雲雀さんも和食派らしい。
うん、でも、何となくわかる気がする。
だって雲雀さん、和服とか着たら絶対に似合いそうだもの。
そりゃあいつものスーツ姿だって素敵だけれど、日本的できりっとした端整な顔立ちをした彼からは、どことなく「和」の気色を感じるのだ。
和服を粋に着こなして、座敷の部屋で日本酒なんかを煽る姿がぴったりだ。
「じゃあ、ハンバーグは好きかい」
「ええ、好きですよ。使うお肉によって舌触りも変わってきますし、ソースもバリエーションがあって楽しいですよね」
そう答えると、雲雀さんは今日一番の満足げな表情で「へぇ」と頷いた。
一見ここが花屋とは思えないような会話だ。
世間話は先ほど言った通りいつものことだけれど、それにしてもなんだか今日はお見合いみたいな質問が多いなぁ。
雲雀さんはハンバーグが好きなのかしら、なんて新しい発見にまた頬を緩ませながらも、口と一緒に手と頭もしっかりと動かした。
「あ、これはどうでしょう? 爽やかな青色で、花言葉も素敵なんです」
「ん……ああ、うん」
会話をしながら、それでも花屋としての職務は忘れまいと紫陽花の花桶を引っ張り出す。
雲雀さんは話を遮られたと思ったのか、微笑む私とは対照的にムッと眉を寄せる。
けれど同時に自分がここに来た理由も思い出したのだろう。
彼はふぅっと息を吐き出すと、会話に一区切りつけて花桶を覗き込んだ。
2015.10.14 (Wed) │ ほのぼの
comment(0)
←|back|→