「おじゃましまーす」
ずかずかと先へ進むコウちゃんの背中を見ながら、玄関先で挨拶をしてから靴を揃える。コウちゃんはいつもいちいち言わなくていいって言うけど、最低限の礼儀だもんね。
静かな室内。実家暮らしの私は、彼と付き合うまで一人暮らしの家の中がこんなに静かだとは知らなかった。
コウちゃんも今まで琉夏くんと一緒だったから一人暮らしを始めてからは、少し寂しそう。口には出さないけれど。
「コウちゃん、私今日はミルクティーがいいな」
「んー」
リビングのソファーに腰を下ろし、キッチンにいる彼に声をかける。コウちゃんは紅茶より珈琲が好きなのに、私のために紅茶を常備してくれている。こんなことで彼女扱いされていると感じる私は単純だろうか。
コウちゃんは私を甘やかすのが上手。だから私はコウちゃんの前ではちょっとわがままな女の子になっちゃっているかもしれない。
「ほらよ」
「ありがとう!」
引っ越し祝いを兼ねてお揃いで買ったカップはコウちゃんには可愛すぎたかもしれない、と彼からそれを受け取りながら今更思った。
口に運べば温かいミルクの甘さが体に染み入るようだ。猫舌の私のために温めにしてくれている優しさと共に、私の体を温める。
「コウちゃーん」
「うぉ!お前なぁ……危ねぇだろ」
「えへへ」
えへへじゃねぇよ、という彼の文句は聞こえない。
隣に座るコウちゃんの首に腕を回し飛び付けば、熱い珈琲の入ったカップを持った彼に怒られた。胸元に顔を埋め、すりすりと甘えると大きな手が頭を撫でる。
コウちゃんに甘えてる時が一番好き。
「コウちゃん」
「?」
「チューして?」
上目遣いでおねだり。
彼がそれに弱いことを知っている。
僅かに頬を赤くしたコウちゃんは、乱暴に自分の頭をかく。そして近付く唇。
「ん……」
珈琲はブラック派なコウちゃん。私はミルクや砂糖を入れなきゃ飲めないから、彼のキスはとても苦く感じる。
そのほろ苦さが気に入っているのだけど。
次第に深くなる口付け。
苦しくなってきた。
ふ、と素肌にコウちゃんのゴツゴツした手を感じる。
素肌?おかしいと思い瞳を開くと私の服の中に彼の手が侵入しているのが目に入った。
「コ、コウちゃ……!」
慌てて彼の腕に、制止の意味を込めて触れる。しかしがっしりした彼の腕は私の両手の力をもってしても、びくともしない。
再び乱暴に唇が合わせられ、彼の舌が私の口内を犯す。
「んっ、や!」
やだ。こんなの嫌。
怖い。こんな乱暴なのコウちゃんじゃないよ。
「やだぁっ……!」
胸の膨らみに到達していた彼の手が、私の大きな声で止まるのが分かった。
「や、やだ……何で、こんな、いきなり……」
思わず自分の服を握り締めた手が震える。混乱する頭。
コウちゃんに触れられるのは好きだったはずなのに。それが性的な意味合いを含むだけで、こんなに嫌だと感じるなんて。
「……いきなりじゃねぇよ」
「え?」
「好きなやつといたら触れてぇって思うだろうが。何でそんなに嫌がんだよ」
「コウちゃ、」
「嫌なら無防備に甘えてくんじゃねぇよ。こっちのことも、ちったぁ考えろ」
我慢していた涙が溢れる。
コウちゃん、女の子が泣くの嫌いなのに。
どうしよう。何て言えばいい?更に混乱するばかりで、考えがまとまらない。
そんな私を見てコウちゃんが舌打ちをする。その音と私のすすり泣く声が、静かな部屋に響いた。
「……今日はもう帰れ」
コウちゃんの言う通り、きっとそれが一番いい。冷静になれそうになんてなかった。頷いて手早く身支度を整える。
「お、送ってくれなくても大丈夫」
「……おう」
いつも家まで送ってくれる、優しいコウちゃん。
今は一緒にいない方がいいことを分かっている彼は複雑な表情で頷いた。
ブーツを履いて玄関先で見送ってくれるコウちゃんを振り向く。
「俺はお前の兄貴でいりゃあ良かったのかよ」
問いかけるわけでもなく、自嘲気味に呟かれた言葉がやけに耳に残った。
家に帰って、ご飯を食べてお風呂に入って、そんな風にいつも通りに過ごしているうちに冷静な思考回路も戻ってきた。
ベッドに仰向けになり、天井とにらめっこしながら考える。
コウちゃんは私の彼氏。
お兄ちゃんなんて思ったことは一度もない。
付き合っている以上、体の関係を持つのは当たり前なのに私は今までそれが全く頭になかった。それは何故か。
コウちゃんが考えさせないようにしてくれていたんだ。私を怖がらせないように。私はそれに気付かず彼の優しさに甘えて半年以上一緒にいたんだ。
私が何も考えずに傍にいる時、コウちゃんは何を思っていたんだろう。ずっと、我慢していた?
私は楽しいばかりだったのに彼はそうではなかったんだ。私がそうさせていた。
彼女なのに何も気付かなくて……情けない。
涙が滲んできて腕で顔を隠すと視界が暗闇に覆われた。
私はどうしてさっき、嫌だと思ったんだろう。
きっといきなりでびっくりしたから。まるでコウちゃんじゃないみたいに感じてしまった。
コウちゃんだって、エッチなこととか考えるよね。男の人だもん。
その点に関しては私コウちゃんに甘えてた。でもお兄ちゃんだなんて思ったことないのは本当だよ。
ちゃんと大好きな男の人だよ。
会いたい。触れたい。
もう怖くなんかない。
もう我慢なんてさせない。
ダメダメな彼女だけど、まだ間に合うかな?
起き上がり着替えてお母さんにはコンビニに行くと伝え家を出た。
はやる気持ちが抑えられず、コウちゃんの家へと駆け出した。
夜に出歩くなって、きっと怒られちゃう。それでも今会って、この気持ちを伝えたいと思うんだ。
コウちゃんの家に着いた時にはすっかり息が上がってしまっていた。震える手でチャイムを押す。心臓がばくばくする。
「……あざみ」
出てきたコウちゃんが息をのむのが分かった。どうしよう。勢いで来ちゃったけど、こんな夜遅くにやっぱり迷惑だったかな。
「き、来ちゃった」
「お前……来ちゃった、じゃねぇだろ。とにかく上がれ」
誤魔化すように冗談めかして笑ったけれど、引きつってしまった。コウちゃんは呆れたように溜息をつくと私を家の中へ招いた。
彼の姿を見ていると堪らなく切なくなり、靴を脱ぐことも忘れコウちゃんに抱きついた。
「ごめんねっ……!」
しがみつきながら謝ると、彼の大きな手が私の頭に降ってきた。
「別に、お前は悪くねぇよ。俺の方こそ、なんか焦ってたみたいで悪かった」
優しい優しいコウちゃん。
コウちゃんが悪いことなんて、何もないのに。子どもな私が悪いのに。
胸が締め付けられる。
コウちゃんの胸元の服を引っ張り、思いっきり背伸びをしてキスをする。彼は背が高いから、背伸びというよりはジャンプに近かったかもしれない。
不恰好なキス。子どもな私には精一杯な口付け。
「コウちゃん……大好き、だよ」
大好き。こんな子どもな私だけど、コウちゃんは呆れずにまだ同じ気持ちでいてくれてるかな。
「まだ、私とエッチしたいって思ってくれる?」
直球な言葉に、コウちゃんは頬を赤く染めて目を逸らす。
「当たり前だろ、馬鹿」
それだけの言葉が、とても嬉しい。求められるのってこんなに幸せなことだったんだ。コウちゃんと一緒にいるとたくさんの初めてと出会う。嫉妬とかマイナスな感情もあるけれど、多くは幸せな初めて。
「……しよ?」
彼の手を取り、指を絡めながら誘いの言葉を紡ぐ。
目は合わせられない。きっと顔は真っ赤だろう。
女の子からこんなこと言うなんて、恥ずかしい。嫌いにならないかなって、不安もある。
だけど私から言いたいと思ったんだ。さっきはコウちゃんの気持ちに応えられなかったお詫びの意味も込めて。
「怖いんじゃねぇのかよ。無理すんな」
「さっきはびっくりしちゃっただけ。大丈夫だよ」
「本当かよ?」
「コウちゃんのこと大好きだから、平気」
はにかんだ笑顔で彼を見上げる。うん、コウちゃんはコウちゃん。
今から男と女になって、知らない表情もたくさん知るのだと思う。それでも私も彼も変わるわけじゃない。
大好きなコウちゃん。それは変わらない。だから大丈夫。
「……そうかよ」
柔らかい彼の微笑み。
長い夜の始まりもコウちゃんと一緒だから怖くない。
そう、思った。
end.
今までにない、ある意味女の子女の子したバンビになってしまいました…!
コウちゃんは甘えたくなる感じですよね^^