明日の5時頃帰ると用件だけのメールを送ったのが昨日。そして何故か俺は今、あいつの大学の前にいる。
時刻は正午を回ったところ。
ある講義が何の予告もなく休講になってしまい、それを受けてからパリを発とうと思っていたので予定が崩れ、一本早い便での帰国になった。あいつに連絡を入れることも出来たが……何も言わずに大学まで迎えに行き、驚いた顔を見るのも悪くないと思ったのだ。
しかし、寒い。凍えそうだ。あいつはどこにいるんだ。
紺野も同じ大学なので2人に連れられてきたこともありここに来るのは初めてではないが、他の大学なんてどこに何があるのかさっぱり分からない。ここからあいつを探し出そうなんて無謀だったか。
諦めて連絡しようと携帯電話に手を伸ばした時、ベンチに座ったあいつの姿が目に入った。
――何故か紺野が一緒にいた。
何で?いや、仲が良かったから一緒にいたって不思議ではない。不思議ではないが……同じベンチに並んで座って笑う2人を見ると、何とも言えない気持ちになる。そこは俺の場所だろ、勝手に座るなよ紺野。
俺に気付かない2人は楽しそうに会話を続ける。俺以外の奴にそんな顔するなよ。
あざみが何かを言って俯いた瞬間、紺野があいつの頭を撫でた。くそ、もう見てられない。
「あざみ」
「聖司さん!?」
「設楽!?」
2人して同じように驚くな。
「あ、あれ、もう約束の時間……じゃないですよね。え、何で聖司さんがここに……」
「いたら悪いか。邪魔したか」
「え?え?」
時計と俺の顔を交互に見ては何が起きたのかを把握出来ていない様子のあざみ。
紺野はというと最初こそ驚いていたが、次第に状況を把握したのかにやにやしながら俺たちを見る。ああもう、その余裕な笑いがムカつくんだよ。
「いいから行くぞ」
「わ!……あ、玉緒先輩ごめんなさい、また!」
玉緒先輩、だぁ?いつからそんな呼び方をするようになった。またって何だ、またって。
「ちょ、聖司さ……!手、痛いです」
「……」
「聖司さんってば!」
いつもはお前に合わせる歩くスピードも無視して半ば早足であの場から立ち去り、大学の敷地内から出たところで痛いと訴えるその手を離す。
「紺野と何してた」
「何って、普通にお話してただけです」
「2人きりでベンチに座って?ふーん」
「……何が言いたいんですか?」
問い詰めるような俺の口調に次第にお前もムッとしてくるのがわかる。このままじゃまずい。頭の冷静な部分がそう告げても止まらない。
「別に。恋人が帰ってくるっていうのに呑気に他の男と遊んでるなんて、随分呑気なんだなって思っただけだ」
「5時には空港に迎えに行くつもりでした!まだお昼ですよ」
「どうだか。どうせ俺がいない間、紺野だけじゃなくいろんな男に愛想振りまいてたんたんだろ」
吐き捨てるような俺の言葉にお前の瞳が悲しみに染まるのが分かった。唇を噛みしめ涙を堪える姿に自分が言い過ぎたことを今更ながら感じた。
「……私って、そんなに信用ないですか」
「っ、あざ……」
何も言えない。走り去るあいつを追い掛けることも出来なかった。
あれから数日が過ぎた。あざみからの連絡はないし、俺からも連絡はしていない。俺から連絡するべきなのは分かっている。でも出来ない。素直じゃない自分が嫌になる。
帰国したのなんて、あざみに会うためなのに喧嘩なんてしてどうするんだ。
もどかしさから溜息を吐いた時、メールの受信音が部屋の中に響いた。
「今から聖司さんの家に行ってもいいですか?」
珍しく絵文字も何もない素っ気ないメール。いつもとギャップがありすぎて、差出人は本当にあざみなのかと疑うほどだ。怒っているのか悲しんでいるのか呆れているのか。無機質な文字の並びからは感情を読み取ることが出来ない。だからメールは嫌いだ。
了解の返事を送ってから数分後、家のチャイムが響いた。使用人に断りを入れて俺が迎えたあざみは難しい顔をしていた。
部屋についてからも突っ立ったまま黙り込む。空気が重い。
「言っておきますけど、私謝りませんから」
やっと口を開いたかと思えばそんな宣言。仲直りしにきたんじゃないのか。
「じゃあ何しに来たんだ」
「っ……仲直りのきっかけを、聖司さんにあげるために」
「なっ……」
自分は謝らないけど俺は謝れと?こんなこと言うやつだったか。何でこんな強気なんだ。
「……素直になってください、聖司さん」
「……」
「今回のことは聖司さんが悪いと思います。私は聖司さんしか好きじゃないのに……あんな風に言われたら悲しいです」
知ってるんだ。
俺がお前を想うようにお前も俺を想ってくれていること。お前を置いて留学してしまった俺を待ってくれていること。変わらない笑顔で俺を迎えてくれること。
でもそれらは当たり前じゃないから失うのが怖くて。優しくしてやれない俺からいつか愛想を尽かすんじゃないか。今だって悲しませて。
ああ、俺は俺のことばかりだ。お前が今日ここに来るのにどれほどの勇気がいっただろう。俺は何をしているんだ。今素直にならないでどうする。
「……悪かった。俺はお前を1人にして傍にいてやれなくて。そんな時に紺野と仲良くするお前を見てたら、不安になった」
俺の言葉を真剣に聞いてくれていたお前の瞳から一筋の涙が伝ったかと思えば、そのまま座り込んでしまった。どれほど気を張っていたかが分かる。
「っ、ぅ……!」
泣きじゃくるあざみを抱きしめる。せっかく帰ってきたのにくだらない意地のせいで抱きしめることも出来なかったなんて。腕の中にある小さな体に安心する。
「せ、いじさんのば、か……」
「うん」
「わた、私が好きなのは、聖司さんだもん……」
「うん、知ってる」
「せっかく帰ってきて、くれたのに、無駄になっちゃう……!」
「明後日まではいるから、ずっと一緒にいよう」
先程までが嘘みたいに穏やかな気分だ。泣かせていることは申し訳ないと思うけど、何でかほっとしてる。
いつもの俺たちだ。
「お前、紺野とはよく2人で会うのか?」
「挨拶はしますけど……この前みたいなのはあまりないですね」
あざみが泣き止んで落ち着いてから、足りなかった分を埋めるように抱き合った。傷ついた分の謝罪と愛情を込めて。
行為後の微睡みの中、気になっていたことを尋ねれば腕の中のお前はあっさりそう答えた。
「じゃあ何でこの前は2人でいたんだ」
「……言わなきゃダメですか?」
「お前頭撫でられてたんだぞ!?理由聞かなきゃ納得出来ない」
今思い出してもムカムカする。紺野のやつ、恋人でもないのに気安く触って。
「聖司さん、もうすぐ誕生日だから。プレゼント何がいいかなって相談してたんです」
「は?何で紺野に聞くんだよ。俺に聞けばいいだろ」
「それじゃあサプライズにならないじゃないですか!」
俺が欲しいものを紺野が分かるはずないじゃないか。何でそこまでサプライズにこだわるんだ。
「いいから、俺のことは俺に聞け」
「うー……あんまり納得出来ないけど、聖司さんが嫌ならそうします」
「そうしろ。それから他の男にベタベタ触らせるな」
「……はい」
唇を尖らせて俺の話を聞いていたあずみだが、次第ににやにやし始めた。何だ気持ち悪い。
枕にしていた俺の腕から起き上がると上から俺の顔を覗き込む。にやにやしたままで。
「聖司さんってヤキモチやきですよね」
「そんなことない」
「じゃあ私これからも玉緒先輩に頭撫でられちゃうかもしれないー」
棒読みのその言葉は確実に嘘だって分かる。分かる、けど。
「ああそうだよ、お前が俺以外の男といるとこなんて見たくないし触られたくないよ!」
「えへへ」
「これで満足か」
「はい!」
素直に認めてやれば満足そうに笑う彼女。嫉妬なんてされて嬉しいものなんだろうか。
「聖司さん」
先程までと違った穏やかな笑顔で名前を呼ばれる。返事の代わりに目で先を促す。
「おかえりなさい」
柔らかい笑みとともに温かい言葉。
「一番に、私のところに来てくれたんですよね。なのに言えなかったから……」
帰国する度にお前のおかえりの言葉を聞いて、笑顔を見てほっとする。お前の元に帰ってきたんだって。
そうだな。くだらない嫉妬も全部ただ一番にお前の「おかえり」の一言が聞きたかっただけなのかもしれない。
「――ただいま」
end.
時差は考えない方向でお願いします。バンビまた泣いてる…!キャラ崩しは分かっててもなだめる場面で聖司さんに「うん」って言わせたかった。
優希さんからのリクエストで紺野先輩絡みの設楽先輩嫉妬話でした。紺野先輩空気でごめんなさい…。
リクエストありがとうございました!