鬼滅短編 | ナノ
風光るこの場所が選びとった未来(上)
 こどもの頃からしばしば見ていた奇妙な夢の正体が、自分が"死んだ"ときの記憶なのだということに、わたしはきっと最初から薄々勘付いていた。

 昔から、たしかにどちらかと言えば占いやおまじないの類がすきであったし、幽霊だって、見たことがないけど信じていたし、前世や輪廻転生だって、もしかするとあるのかもしれないと思っていた。けれど、その夢はそういう次元の話ではなくて、本能のようななにかであったのだと思う。これはわたしの"前世の記憶"なのだと、そうとしか思えなかった。
 そうして、じぶんの前世というものの存在を認めたとき、"わたし"という概念は途端に曖昧になり、わたしは時々、"わたし"が誰であるのか、わからなくなる。わたしはわたしであって、別のわたしでもある。それは不思議で、奇妙な感覚ではあったけれど、決していやな感じではなかった。


 深い眠りの沼の底、とろとろとした曖昧な意識のなかでみる、やけに鮮烈なその夢で、わたしはいつも鮮やかな赤い血を流して倒れている。背中にはかたくてつめたい地面があって、動くどころか、起き上がることすらままならない。もちろん夢であるから、実際に現実のような痛覚があるわけではないのだけれど、鈍く熾烈で重い痛みが、絶えずからだを突き破ろうとしている。そう錯覚するほどの、重傷を負っている。
 わたしは、もはやどうすることもできずじっとその場にからだを横たえて、そのすぐあとに確実に訪れるであろう死というものを、ただ待っている。暗く、陰惨な、一見すると救いのない夢である。
 けれども不思議なことに、その夢を恐ろしいと感じたことは一度もない。ただ、ひたすらに懐かしい。その懐かしさが、奇妙だった。
 血だらけのわたしの右手には、日本刀らしきものが握りしめられている。わたしは、柄巻の感触をたしかめるように、指をすこし動かしてみたりする。そうすると、生まれてこのかた日本刀など触れたことがないはずの私の手に、それは不思議なほどに馴染む気がした。まるで、長きにわたって慣れ親しんできたかのような、自分のからだの一部であるかのような。その感覚がおそろしくリアルで、やっぱり、奇妙だった。
 霞む視界の中に、やわらかく鮮やかな緑の葉とちいさな白っぽい花をつける樹木があって、名前のわからないその木の梢の隙間から、澄んだ、青い空が見える。昇ったばかりの太陽は未だ東の空の低い位置にいるのに、それでも燦然と降り注ぐ朝日はわたしの目には眩しすぎて、たまらず目線をついと傍へ流す。すると、そこにはいつも、男がいる。
 顔や、からだや、腕のあちこちに傷痕のある、白髪の、若い男である。その眼光は切れ味のよいナイフよりも鋭利で、とてもおそろしく見えるのに、けれどもわたしに向けられているその視線の内部から感じられる光は、不思議なほどにあたたかい。
 男は、いつも、なにも言わない。じっと、死にゆくわたしを見つめている。けれど、よくよく観察していると、わたしを見つめるその瞳には、悲しみや怒りや絶望といったものが、ほんの僅かにだが、隠しきれずに滲み出ている。
 わたしは、男になにかを言おうとするのだけれど、なにも言うことが出来ない。たぶん、映画やドラマやなんかで死にかけているひとが長台詞を残して死んでゆくのは、フィクションならではの演出なのだと思う。実際には、ほんとうに死にかけている時、言葉を発することは容易ではないのだと、わたしは夢のなかで身をもって体験している。

「…また、いつか」

 わたしが最期のちからを振り絞ってどうにか放った声はひどく掠れていて、そのせいか自分で思っていたよりもずっと低く、近くにいる男にさえ届いているのかあやしいほど小さい。もっと他に言いたいことがあったはずなのに、意味のよく分からない一言だけを漏らすので精一杯で、それ以上はもう、なんにも話せなくなってしまう。よく考えてみれば、またいつか、なんておかしい。だって、わたしは間もなく死ぬのだから。また、があるはずないのだ。だけれども、その時のわたしには、それしか言いようがなかった。死後の世界を信じていたわけでも、来世での再会を夢みていたわけでもない。それでも、わたしは「また」と言った。
 吹き抜けた暖かな風が、男の白銀の髪をやわらかく揺らして去っていく。
 男は、たった一言「あァ」とだけ言った。素っ気なく、簡素なひとことだった。けれどもその時のわたしにとっては、最上のことばだった。それこそが、夢の中のわたしと、夢の中にあらわれる男が交わした、最初で最後の約束だと思えてならなかったし、そう信じていたかったのだ。
 男は、さいごまで泣かなかった。笑いもしなかった。ただうすい眉を強く寄せて、奥歯を噛みしめていた。怒っているようにもみえたし、泣くのを我慢しているようにもみえた。

 夢は、何度もなんども繰り返し見た。毎晩のように続くこともあったし、何か月…ときには一年以上も間をあけて見ることもあった。毎回同じワンシーン、浅く、おぼろげで、それでいて所々がやけに鮮明な、そうした夢の中でわたしは何度も死に、何度も約束をし、目を覚ますといつも泣いていた。
 そうしていつも、彼に会いたいと、そう思わずにはいられない。死後の世界を信じていたわけでも、来世での再会を夢みていたわけでもない…はずだったけれど、その実わたしはきっと心のどこかで、淡く、うすく、期待していたのだと思う。傷だらけで目つきの悪い、誰とも知れぬあの男と"また"会えるのを。





 まどろみの中にあった意識が、ふいに現実に引き戻される。ゆっくりと瞼をあけて、何度か瞬きをし、それから重たい頭を持ち上げると、頭の下敷きになっていた腕が濡れていた。一瞬、涎でも垂らしたのかと思って慌てて口元に触れたけれど、濡れていたのは口元ではなく、頬だった。――泣いていたらしい。
 また、あの夢を見た。昔から繰り返しみている、わたしが死んだときの夢。あの奇妙な夢に現れる、白銀の頭髪をした狼のような男が、もしかすると前世でわたしの恋人だったんじゃないのかな、なんて思い始めたのはつい最近のことだ。べつに根拠があるわけではないけれど、死際に約束めいた会話をしているなんて、とくべつな関係だった気がしてならないし、それに、そうであった方が面白いし、なんかロマンチックだし。
 視線の前方で、文字を黒板に書きつける教授の薄くなった後頭部が見える。この講義は、出席しているだけで単位がもらえるのだと先輩に聞いたから受講しているだけで、はっきり言って内容にはあまり興味がない。だからつい、居眠りなんてしてしまった。べつに、いつも不真面目なわけではないのだ。
 結局、ろくにノートも取らないまま、講義の終わりを告げるチャイムが鳴った。まだ頭がぼうっとしている。
 わたしは、目の前に広げるだけ広げて使われることのなかったノートとペンと教科書とを適当に鞄の中に放り込み、緩慢に立ち上がる。ずしりと重量のあるバッグを肩にかけると、持ち手のところが肩に食い込んで、ちょっと痛かった。
 つばのついた帽子を被りなおす。普段、あまり帽子は被らないのだけれど、最近見た雑誌の中で好きなモデルの女の子が被っていたキャスケットがかわいくて、つい買ってしまったのだ。自分で言うのもへんだけれど、意外と似合っている気がしている。
 外に出ると、うららかな春の太陽がわたしを照らす。室内よりもいくぶんか暖かくて、夏の空気よりも刺激的でない、どこかやさしい空気が瞬時にわたしのからだを包み込んだ。こちらが萎縮してしまうほどの、かんぺきな、雲ひとつない、晴天である。
 春は、きらいではない。むしろ好きだ。でも、春は、わたしの心を落ち着かなくさせる。
 なぜなら、わたしが"死んだ"あのときも、春だったからだ。東の空からなめらかに昇った日輪の、あたたかくやわらかな陽射しが鮮やかな緑の葉やちいさな白い花を照らしきらきらと輝かせ、ときおり、吐息のような微風が吹いて肌を撫でつける、そんな生命力に満ち溢れた春の或る日に、わたしは死んだ。
 そう、たしかに死んだのだ。
 けれどもこうして今、わたしは生きている。

 大学からの帰り道をすこし逸れると、長く大きな川があって、そのかたわらに同じようにずうっと先まで続く土手がある。この時期、花見に訪れた地元民で普段よりもにわかに活気付くその土手の上を、わたしは歩いていた。吹き抜ける風によって、白やうすい桃色をした桜の花弁が舞い上がる。
 わたしは、春が来ると毎年、懐かしいと思う。それはあの夢が、とおい昔に生きた"わたし"の記憶だと知っているからだけれども、実際には、わたしが知っているのは夢の中のワンシーンだけで、その他のことはなにも知らないのだった。そう思うとすこし寂しく、もっとよく思い出したいとも思うし、思い出すのはすこしこわい気もしている。
 ざあ、と強い風が吹く。枝先についているものや、地面に落ちているもの、あらゆる桜の花弁が宙に舞って、あたり一面に舞い散る。風は、わたしの髪を強くなびかせ、被っていた帽子を攫っていった。
 わたしはなびく髪を手で押さえつけ、ふわりと空に舞い上がった帽子の行方を追うように体ごと後ろを向く。帽子は数メートル後方まで飛び、風が弱まると同時にかるい音を立てて地面へ落ちた。

「…あ、」

 落ちた帽子を、男が拾い上げる。男は、帽子についた砂を手で軽く払って、視線をこちらに向けた。
 顔や、からだや、腕のあちこちに傷痕のある、白髪の、若い男であった。
 わたしは彼のことを、ようく知っている。血や、肉や、細胞や、そういったわたしを構成するすべてのものが、彼を知っていると叫んでいる。会いたいと、そう思わずにはいられなかった、夢のなかのあの男に、今目の前にいるこのひとはそっくりだったのだ。いや、そっくりなのではなく、この男こそが彼本人なのだと、わたしは本能でそう確信していた。
 男はゆっくりとわたしに近付き、手に持っているわたしの帽子を差し出した。切れ味のよいナイフよりも鋭利な視線は真っ直ぐにわたしを射抜き、わたしは、その瞳から目が離せなくなる。そうして、まるで石のように全身が硬直して、しばらくの間動けずにいると、男は「オイ、お前のじゃないのか」と訝しむように眉間に皺を寄せた。

「…ありがとう、ございます」

 わたしがようやく帽子を受け取り、ひりつく喉から声を絞り出すと、男は首に手をあててちょっとぶっきらぼうに「あァ、どういたしまして」と言った。そうして、その鋭い三白眼を一瞬だけ優しげに緩めた。
 その姿のあまりの懐かしさに、わたしは何だか泣きたいような、叫び出したいような、たまらない気持ちになった。
 けれど男は、わたしのそんな気持ちなど知らないとでもいうように無言で立ち去ろうとするので、わたしは慌ててその背中に声を掛ける。すると男は振り向き、「…あ?」とやっぱりちょっとぶっきらぼうに答えた。
 容姿も口調も、一見すると粗野で粗暴で、こわいひとのように見えるのに、けれどもわたしにとって彼のすべてに、懐かしさこそあれど恐ろしさはすこしも無かった。実際には初対面であるにも関わらず、まるで旧知の仲であるかのような安心感さえ覚えるのだった。

「わたしたち、どこかで会ったこと、ありますよね」

 胸の前で帽子をぎゅうっと抱え持ち、真っ直ぐに彼を見つめて、意を決してわたしは言った。このまま別れれば、もう二度と会えないような気がしていた。そうなれば、わたしはきっと一生後悔する。
 暖かな春の微風が肌を撫で、彼の白い髪を柔らかく揺らしていく。
 男はしばらく何も言わずにわたしを見つめていたけれど、少し間を置いて、口の端を片方持ち上げてわらった。


「…なんだァ、ナンパか?」


 それがわたしと、不死川実弥という男の出会いであった。


_

prev top next


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -