鬼滅短編 | ナノ
熱幻
耳元を掠めた虫の羽音で目が覚めた。未だ蒸し暑い残暑の夜であった。名前は仰向けに寝ていた頭を倒し、視線を天井から自分の隣で静かな寝息を立てる男へと向ける。少し癖のある黒髪が枕の上で広がっている。伏せられた睫毛は長く、横顔がうつくしい男だと思った。

同期の冨岡義勇と褥を共にするようになったのはいつからだったろうか。確か共に鬼狩りの任務をこなした後、泊めてもらった藤の家紋の家の一室でそうなったのだと思う。正確な事は名前にはもう思い出せないが、とにかく気付いたらそういう関係になっていた。
二人の間に愛は無かった。少なくとも一番初めにそうなった時から現在まで、お互いに好きだとかそういった類の言葉を交わした事は一度だって無い。行為の最中でさえ。戦闘の後で妙に気持ちが高ぶり熱を持った身体を鎮めるために行為に及んでいる。ただそれだけだった。それだけの、筈だった。

それなのに、いつからだろう。
名前の中で、この行為に何がしかの意味を持つようになったのは。


すっかり目が冴えてしまった。体ごと横を向く。肌と掛け布団が擦れる音がやけに大きく聞こえた。起こさないように息を潜めて冨岡の寝顔をじぃと観察する。よく眠っている。起きる気配はない。冨岡がこれ程までに安心した顔で深い眠りに落ちるのは隣に寝ているのが名前だからということに他ならないが、それは名前も、冨岡本人ですら気付いていない事だった。
ふと、冨岡が寝返りを打ち、向かい合う体制になった。顔が先ほどよりも近付いたことに名前は一瞬どきりとする。

「…冨岡」

小さく呼んでみる。それでも起きない冨岡に僅かに悪戯心が芽生えて、人差し指でそっと彼の薄い唇に触れる。そこが見た目以上に柔らかい事は、もう知っていた。それから暫く指で唇を押したり軽くなぞったりして弄んでいると、不意に手首を掴まれた。視線を唇から少し上げると、冨岡の切れ長の瞳と目が合った。

「…起きてたの」
「今起きた」

短くそう交わして暫し見つめ合う。それから、どちらからともなく唇を重ねる。次第に深くなっていくそれに吐息が漏れ、名前は再び自分の身体の中心が熱くなるのを感じた。
冨岡は優しい。最中の言葉数は普段通り少なく、余計な言葉も甘い言葉も囁かないが、けれど触れる手付きや口付けはひどく優しく、いつだって名前を甘やかした。まるで、愛しい人にそうするみたいに。恋人同士かのように錯覚してしまうほどに。実際には恋人でも何でもなく、ただ時々体を重ねるだけの関係であるにも関わらず、だ。
けれど、冨岡のこんな姿を知っているのは自分だけなのだと思うといつも言いようのない優越感を得た。
名前は何度も自覚する。いつしかこの関係に名前をつけたがっている自分がいることを。

「ねぇ冨岡」
「…なんだ」
「私たち、」


「…ううん。なんでもない」

そして今日も、何も言えず、何も聞けずに、ただ求めるままに身体を重ねるのだ。






二人のどちらかに少しばかりの勇気があれば、何か結末が変わっていただろうか。
今となっては確かめようのない事だ。名字名前はもうこの世にはいない。
あの蒸し暑い残暑の夜から程なくして、名前は鬼との戦闘で命を落とした。常に死と隣り合わせの鬼殺隊士が死ぬ事は珍しい事では無いが、けれど冨岡義勇にとっては、そこはかとない絶望を伴う大きな喪失だった。

言葉無き歪な関係性であったが、それは紛れもなく愛だったのだ。


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