鬼滅短編 | ナノ
幽かに香る
「ところで、君は今年でいくつになるんだったかな。義勇」

刀を二、三度すばやく振って、日輪刀に付着した鬼の血液を飛ばすと、青藍色の刀身が露わになる。そのひと…名字名前は、それを納刀しながら背後を振り返り、唐突に問うた。
問われた本人、冨岡義勇は突然の質問に反応が遅れ、暫し黙したのちに「…十七ですが」と返す。しかし当の名前はその間に既に興味を失っていたようで、「は?なんだいそれは、何の話かな?君は時々会話の脈絡が無いな。それではいかん、人との会話を上手く成立させる為には…、」と尤もらしく講釈を垂れた。なんとも理不尽である。話の脈絡が無いのはどちらだ、と義勇は思ったが口には出さず、不満げに眉を顰めるにとどまった。
義勇のその表情を見て、名前はひどく愉しげに、それでいて満足げに目を細め、ははは、と声を上げて笑った。ああ、揶揄われた、のか。義勇は漸く理解した。

「すまんすまん、君の齢の話だったね?ふぅん、そうか、十七、へぇ」

愉快げに細められた目尻はそのままに、その青い硝子玉のような瞳で義勇をじぃと見つめる名前の白磁のような肌が、月明かりを浴びて青白く光っている。

「…何なんです」

義勇は、このひとはまた何か、俺を揶揄って遊ぶつもりだろうかと声に警戒心を滲ませた。名前は特にそれを気に留めた風でもなく、肩から掛けている白い羽織の片側の衿元を反対側の手でつぃと掴んで、首を傾ける。その折れそうな首の上に乗っかった美しいかんばせは、やはりこの世ならざるもののように思えた。

「いいや?別に。ただ、私は君くらいの頃には既に、嫁いでいたなと思ってね」
「………」

この、名字名前という女性がこうして自分自身の事について僅かでも語るのは、初めての事である。少なくとも、義勇が覚えている限りでは。
義勇は思わず目を丸くし、ぽつりぽつりと、まるで他人の事のように淡々と語り出す己の師を、何も言わずに見つめた。

「正確には、十六の時だったか。私が嫁にいったのは。まあ、珍しくも何とも無い話さ。親が持ってきた縁談だったわけだが、それでも、旦那は優しい人でね、それなりに幸せだったよ。その翌年には、女児も産んだ」

子供が、いたのか、このひとには。信じられぬ思いであったが、義勇はやはり何も言わずに、静かに次の言葉を待った。名前が何を思って、今こうして自分にそんな話を語って聞かせるのか、義勇には分からなかったが、けれど不思議と、彼女のことを知りたいと、否、知らねばならぬと、そう思った。けれど、その話をそれ以上に深掘りする気は、はなから名前には無かったのだろう。じぃと見つめてくる義勇の瞳から、僅かでも期待のようなものを感じ取って、名前はフンと一度鼻を鳴らして、言った。

「ま、みんな死んだがね」

淡々と言い放たれたその言葉からは、少しの感情の揺らぎすら垣間見えなかった。それこそ、夏の暑い日に腕にとまった蚊を潰して「あ、死んだ」と言った時と全く同じ声色であった。そうして、そのまま踵を返して歩き出した名前を、義勇は堪らず「師範」と呼び止めていた。緩慢な動作で振り向いたそのひとは、もう、先ほどの話など気にも留めていない風だったので、義勇は、それが何故だか苛々するのだった。

「なんだ。どうした」
「……いえ、何でもありません」

しかし実際には、かける言葉など到底見つかる筈もなく、結局、膨れた苛立ちは直ぐに小さく萎んでいった。こういう時、自分がもっと会話の上手い人間であったなら、もっと気の利いた返しが出来ていたのだろうか。そう考えれば、先程の、彼女が垂れた講釈をちゃんと聞いておけばよかったのかもしれない、と義勇は思った。まあ、名前のことだから、どうせ適当な事を言ったのだろうが。

「ははは、何だ、その顔は」

途轍もなく変な顔だな、そう言って口の片端だけ上げて笑う彼女は、どうしてか泣いているように見えた。

「なんだ、君、生意気に同情でもしているのか。言っておくがね、私は君ごときに可哀想がられるほど、脆弱な精神ではないつもりだよ」
「……では、何故俺に話したんですか」

義勇は殆ど無表情のまま、名前を真っ直ぐに見据える。最近ぐんと背が伸びて名前の身長を追い抜かした義勇の、その凪いだ水面のような深い青色の双眸を、そのひとは幾らか低い位置からやや上目遣いで見つめ返した。それから一つ溜息をついて、至極つまらなそうな顔で「さァな」と言った。

「ただの気紛れだよ。何の意図も無いさ。そもそも家族を鬼に殺されたなんて話、珍しくも何とも無い、ありふれた出来事じゃないか」
「……」

その時、ふと、風に乗って嗅ぎ覚えのある香木の香りがした。名前は、ゆっくりと瞬きをすると、一瞬だけ、哀しげな顔をした。いつになく儚げで、今にも消えて無くなってしまいそうに見える。けれど直ぐにまた紅い唇を吊り上げ、これは何の匂いだったかと首を傾げる義勇に向かって、言った。

「白檀だよ、義勇。この近くにな、墓があるんだ」
「……墓」
「私の、家族だったひとたちも、あすこで眠っている。…実家がこの辺りだったのさ」
「!」
「数年ぶりだな、この辺に来るのは。なにせ、意図して近寄らなかった」

名前は、やはり何の感慨も滲ませない声でさらりと言い放ち、全く表情を動かさぬまま、また歩き出した。白い羽織に包まれた、ひどく儚げな背中の、その少し後ろを義勇が付いて行く。
白檀が、先程よりも強く香っている。その香りの存在に気付いたからなのか、それとも実際にその香りの元が近付いているからなのか、それは分からないが、鼻から皮膚から、身体中に白檀が染み込んでくるようだった。身体中をぐるぐると包み込むようなその強い香りに義勇は思わず足を止め、どうしてかその場から動けなくなった。まるで、目に見えない、沢山の死者の魂が白檀の香りと共に墓地から抜け出して、己の身体に巻き付いて縋り付き、この世ならざる何処かに連れて行こうとしているかのような、そんな錯覚に陥った。
名前の娘、夫、両親…、自分の両親、蔦子姉さん、…錆兎。
嗚呼、ああ…出来ることならもう一度会いたい。自分も一緒に、連れて行って欲しい。本当なら、自分がそちらに行くべきだったのだから。


「…おい、おい。義勇」

肩を掴まれ、ハッと我に帰る。前を見れば、名前が片眉を上げて怪訝な顔をしていた。

「…師範」
「さっきから何なのだ、君は。いつにも増して変だな」
「……」

いつにも増して、ということは、いつも変だと言いたいのだろうか。相変わらず失礼である。自分が変だとすればそれは、そもそもの原因は大概名前にあると思うのだが。義勇が少しムッとすると、名前の目がまた愉しげに細められた。そして、白い手が義勇の頬へ伸びてきて、少し強めに擦った。死人のように冷たい指先であった。

「いやなに、さっきからずっと、血が付いているのが気になってな」
「…もっと早く言ってください」
「ははは、変な顔で面白かったのだ。だがもう飽きたから拭いてやったぞ、ほら、感謝したまえ」
「……有難うございます」
「ははっ、素直でよろしい」

私は君のそういうところを気に入っている。そう言って目を半月型にきゅうっと細めて、柔らかく口元に弧を描く名前が、普段よりずっと人間らしく美しく見える。義勇は何故だか胸がざわざわと落ち着かない気持ちになって、真っ直ぐに射抜いてくる名前の硝子玉のような瞳から逃げるように視線を逸らした。

「それから、君の事が心配だよ義勇」
「……?」
「君は、時々危うい」

何が、と聞こうとして再び視線を彼女に向けた時には既に、名前は義勇を向いていなかった。

「なぁ義勇よ。君は…私のようにはなるなよ」

それだけ言って、今度こそ踵を返して足早にその場を後にする師匠を、義勇は慌てて追いかける。すぐ斜め背後に追いついた義勇が、先程の言葉はどういう意味なのか、と、そう問おうとしたがその前に「腹が減ったな」と話題を変えられてしまった。

「屋敷に戻ったら先ずは飯だな」
「俺が、作ります」
「やめてくれ、君の作る料理は驚くほど不味い!」
「………」
「私が作るさ。そうだな、鮭大根がいい、今日はそういう気分だ」

ああ、まったく、このひとは。弟子の好物を知っていて、こういう言い方をする。
思わず名前を見ると、名前も此方を見て柔らかく微笑んでいたので、義勇はまた訳もわからず胸のあたりが騒めいて落ち着かない気分になるのだった。


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