鬼滅短編 | ナノ
名もなき最期
初めて鬼を斬った時の事を、今でも鮮明に覚えている。
子供の鬼であった。鬼になったばかりの、未だ誰も食った事のない、少年だった。頸は当然の如く柔かった。最終選別の七日間を持ち前の逃げ足の速さと運の良さを武器にどうにか突破したばかりの新人であった己の刃でも、いとも容易く断ち切る事が出来るほどに。
ばつん、という肉と骨が両断される嫌な音がした。刀は血と脂で汚れ、斬り方が未熟であったからか返り血をもろに浴びて隊服は血染めになった。思っていたほど、達成感も高揚感も無かった。
傍にいた少年の母親は、泣き喚きながら私を詰り罵った。何故私の息子を殺したのかと深い憎しみを直に向けられた。鬼になったばかりだったが既に自我もなく、母親に襲い掛かろうとさえしていたが、それでも母親にとってはまだ"人"だったのだろう。私はそれに対して怒りも哀しみも理不尽も感じ得なかった。ただ転がった首と、消えゆく少年の体と、泣き叫ぶ母親をぼうっと眺めた。仕方がなかったのだ、鬼になったのだから。鬼は人を食う。醜く、悪意に満ちている。憎むべき存在であり、人にとっては紛れも無い敵。だから斬らねばならぬ。殺さねば、ならぬ。
でなければ自分が殺される。

この世には、奪うか奪われるかの二択しかない。生きたければ、奪う者にならなければ。圧倒的な身体的力量差があろうとも、心と体に負った傷が痕になって生涯残り続けようとも。
躊躇いがあれば死ぬ。弱ければ死ぬ。
私が足を踏み入れたのは、そういう世界だった。

その時から私は、只の人ではなくなった。鬼殺隊という、一心に鬼を斬る為だけに存在する兵士になったのだ。
ただ残念なことに私にはそれ程才能が無かった。
運良く二年生き延びただけ良く頑張った方だと自分でも思う。事実、鬼殺隊士数百名のうち最高位である柱の位につけるのは僅か九名、柱でなくとも上位の階級になれる者はほんの一握りの選ばれた精鋭達だ。それ以外は塵芥同然に日々呆気なく死んでゆく。
私も例外では無かった。

「…けほ、」

小さな咳の後に、ごぼりと口から血が溢れ出る。仰向けで吐血したからか酷く噎せた。腕も足も肋も…何処もかしこも折れている。もう動けない。内臓もやられているようだった。最早痛みすら感じない。
不意に、空からはらはらと白い塵のようなものが降ってくる。雪だった。痛みすら感じられぬ今の体では、寒さも冷たさも何ひとつ感じ取ることは叶わなず、ただ死を待つだけであったが、しかし不思議と恐れは無かった。
やっとだ。やっと死ねる。

かつて私にも確かに信念があった筈だった。
でなければ、わざわざ血の滲むような辛い稽古に耐えてまで鬼殺隊に入りはしない。それは、大切な者を全て奪われた怒りによる復讐心だったか、或いは他の誰かを同じ目に遭わせはしないという正義感だったか、憎しみだったか悲しみだったか。今となっては、もうよく覚えていない。
長い間、堪え難い恐怖に押し潰されそうになりながらどうにかこうにか死線を潜り抜け、数多くの仲間や罪の無い人々の命が蹂躙されるのを間近で見る内、いつしか色々なものが麻痺して、痛みは慢性化して感覚が鈍っていった。
殆ど惰性で刀を振るい、もう無理だと思っても他に行き場所が無い。
苦しいのかもよく分からなかった。
死なない為に戦ったが、その実、死にたくなかったのかと聞かれればそうではない。
もしも私に、人を守れるだけの才能があったなら。何にも屈せず、誰にも負けぬという自負があったのなら。死んでたまるかと、思えたのだろうか。もう、足掻くだけの気力が無い。疲れてしまった。

私の人生は、果たして幸福だったのだろうか。
…どちらとも言えないな。
落ちてくる白い雪を虚ろな目で眺めながら、自嘲めいた笑いを零そうとして、けれど筋肉は上手く動かず口を小さく開けて息を僅かに吐き出すだけで終わる。吐いた息が白かった。瞼が、ひどく重い。

「……生きてるか」

ふと頭上から掛けられた声に、瞼をゆるりと持ち上げる。誰…?
傍に片膝をつき、覗き込むようにして私を見つめるその瞳は、一寸の揺らぎもない深い青だった。
ああ。この方は。

「(…水柱、様)」

もはや声を発するのも億劫だった。視界は益々霞みがかり、音もどんどん遠くなる気がした。
ああ、私は間も無く死ぬ。
やり残したことが無いかと思い返してみれば、一点の悔いもないとは言い切れないが、だからといって鬼殺隊に入った事については後悔はしていなかった。私自身で選んだ道であり、私自身で選んだ死に場所であったのだ。

「…ここに居る」

水柱様は眉ひとつ動かさず、引き結ばれた形のよい薄い唇を少し開けてそう言った。水の底のような青い瞳は、ただ静かに私を見つめている。そうして、刀を握り締めたままだった私の右手に自分の片手を重ねてくださった。もうとっくに全ての感覚は無い筈なのに、不思議と添えられた手だけは温かい気がした。
嗚呼、最期まで、見届けてくださるのですね。
鬼殺隊にとっては取るに足らない、あなたにとっても名も知らぬ隊士の死である筈なのに。
鬼殺に従事している以上、死ぬ時に誰かにこうして看取ってもらえるなどとは思っていなかった。事実、辞世の句を告げる間も無く鬼に食われ、身体すら残さず散っていく仲間を何人も見てきた。そう考えれば、最期に温かな体温を感じながら逝けるだけ、私の人生は幸福であったのかもしれない。


「…よく、生きた」


目を閉じる直前、そう聞こえた気がした。


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