鬼滅短編 | ナノ
世界樹
自宅の裏山には樹齢数百年にも及ぶ大樹がある。巨大な幹は一周ぐるりと歩くだけで時間がかかる程で、その背丈は天にも届くのではないかと錯覚するほど高く、枝は何処までも広がり世界全体を包み込んでいるように見える。

"世界樹"

その大樹の事をそう呼んでいた隊士の事を、俺は今でも時々思い出す。
変な女だった。口にすることの大半は意味不明で理解に苦しみ、だからまともに会話を続けられた記憶が無い。しかし彼女は俺が返事をしようとしまいと関係なく、いつでも自分の空想の話を至極楽しそうに俺に語って聞かせた。

冨岡さん、私はね、この樹が好きなんです、ほら、こうしてね、幹に耳を当てると、ふふっ、大地の音が聞こえるんですよ、この樹はね、世界なんです、この世のあらゆるものがこの大樹に繋がっていて、枝は空を包み込んで根はずうっと先まで大地に根付いて、空も海も大地もこの樹を通して繋がっているんです、ね、そう思いませんか、冨岡さん、そう思うでしょう、ユグドラシルって知ってますか、ずうっと北のほうの国のね、神話に出てくるんですよ、あれ知らないですか、そうですか、世界樹ですよ、知りませんか


「五月蠅い」


頭の中の彼女が俺にとめどなく話しかけてくるのを、刀を握っていない方の手で振り払うようにして無理矢理に追い出す。目の前の鬼の頸の事だけを考えなければ、そう思うのに、気づけば彼女のことを思い出している。くだらない。大樹が、なんだというのだ。仮に本当にあの樹が世界を表しているのだとして、だから何だ。忌々しい鬼を消し去ってくれるわけでもなく、ただそこに在る、それだけだ。確かに驚くほど大きいが、大きいだけの、ただの樹だろう。

そりゃあそうですよ、世界樹は、神様じゃないですもん、ねえ冨岡さん、私が死んだら、死体はこの樹の根元に埋めてくださいね、そうすれば、私はこの世界の養分になれるでしょう、ね、そうしてくださいね、私なんかでもね、ちゃんと世界に存在してたって、思いたいんですよ、灰になって無くなっちゃうだけじゃいやなんです、だから…約束ですよ、冨岡さん、私とあなたの、約束ですからね



***



「あら冨岡さん、珍しいですね」

蝶屋敷で傷病人の手当てをしていた胡蝶が俺の姿を見て目を丸くする。俺は胡蝶の言葉には返事せず、自分の用件だけを簡潔に伝えた。

「名字名前は来ていないか」

すると胡蝶は眉根を寄せて、それから憐れむような視線を向けた後、はあ、と長い溜息をついた。

「…冨岡さん。もう、二年ですよ。いい加減諦めて、前に進んでください」
「諦める?何を」
「継子を失ってつらいのはわかりますけど、名前さんが消息不明になってから、もう二年も経つんです…それがどういう意味を指すのか、分からないわけじゃないでしょう」

胡蝶は俺の目を真っすぐに見つめている。

「分からない」

俺がそう言うと、胡蝶は今度こそ呆れと憐れみを隠そうともせずに「そうですか」とだけ言って踵を返した。それを俺は特に何の感慨もなくただぼうと見送った。

名字が鬼狩りの任務に赴いたまま消息を絶ってから、間もなく二年になる。それがどういう意味を持つのか、俺だって理解できない訳ではない。鬼に食われてしまったら体も残らないし、明確に彼女の死が確認されていなかったとしても死んだと考えるのが自然だ。事実名字は鬼殺隊内では死亡扱いとされている。しかし、俺にはどうも、あの女が死んだとは思えなかった。何故かは分からない。なのに、名字名前はどこかで今も生きている、と、そう思えてならなかった。俺の頭の中に時々現れる彼女の声とは別に、俺は確かに彼女の気配を、息遣いを、感じていた。

名字名前は俺の継子であったが、飛びぬけて才能があった訳ではない。何日も何日も継子にしてくれと頼みこまれて根負けしただけだった。後々分かった話だが、毎日のように俺の自宅の裏山にあるあの大樹を見たいからと、継子になったのはそんな理由だったらしい。
彼女は別段鬼への恨みも憎しみも持ち合わせてはいなかった。いつだったか鬼殺隊に入隊した理由を尋ねてみたことがある。けれど彼女の返答は相変わらず理解不能であったから、今ではもうよく覚えていない。

理由?そうですねえ、改めて聞かれると困ってしまいますけどね、ただ何となく、ここにいて刀を振るっていれば、いつか自分は世界の為に死んでいけるのかなって、そう思ったんですよ、"世界"って何かって?ははあ、難しいことを聞きますねえ、実を言うとね、私にもよくわかってないんですよ、ただね、漠然と、大きくて偉大で崇高で神聖なものだと思ってますよ、あの樹を見てると、何となくですけど、"世界"が何かわかる気がするんです、冨岡さんもそう思いませんか、よくね、私は自分の頭の中に小さな世界を作るんですよ、こんな閉ざされた狭い国なんかじゃなくて、もっと多種多様な人種が大きな樹の下でそれぞれの集落を作って暮らして、鬼なんかいなくて…あれ、ちょっと冨岡さん聞いてますか、ねえ、冨岡さん、わかるでしょう、私が言ってること、わかりますよね、というかこの煮物すっごく美味しく出来たと思いませんか、私って実は料理上手なんですよ、ふふ、知らなかったでしょう



「…世界樹、か」

もし仮に、胡蝶の言うように彼女が既に亡くなっているのだとすれば、俺は彼女との約束を果たしていないことになる。
果てしなく巨大な、彼女が愛したその大樹を見上げる。ここに来るのは随分と久しぶりだ。彼女がいた頃は、よく無理矢理連れ出されて共にこの樹を見上げたものだが。
太く固い幹にそっと手を触れて、名字がよくそうしていたようにゆっくりと耳を近付け目を閉じる。そうしたのはこれが初めてだったが、なるほど確かに彼女の言う「大地の音」も何となくわかるような気がした。無意識のうちに彼女を理解しようと、分かったふりをしているだけなのかもしれなかった。結局のところ、俺は最初から最後まで彼女のことを理解できなかった。けれど、理解したかった。
もしかすると、好きだったのかもしれない。


冨岡さん、私ね、冨岡さんのこと好きですよ、愛してますよ、本当です、こうして何だかんだ私の話聞いてくれるところとか、私が鬼にやられそうになると何だかんだ助けてくれるところとか、そのどこか絶望したような目とか…ああ、理解してくれなくてもいいですよ、ただね、いつか思い出してくれたらいいんです、私っていう人間がこの世界に存在してたこと、あなたの事を愛してたってこと、だから私はこの樹と一つになりたい、あなたを包み込む小さな世界と一つになりたい、ふふ、それが私のたった一つの望みです。


閉じていた目を開けると、樹の根元に視線がいった。絡み合う太い根の間に、小さな白い何かがある。心臓が早鐘のように鳴っていた。ゆっくりと深い呼吸をひとつ零して、恐る恐るしゃがみこんでそれを手に取る。人の骨であった。

その瞬間、俺は全てを理解し、そして心のどこかで安堵した。

嗚呼、彼女は…名字名前は、この巨大で小さな世界樹と一つになった。
たった一つの切なる望みを叶える事が出来たのだ。


彼女はこれからも、この樹とともに生き続けるだろう。



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