A requiem to give to you
- 儚きトキの彩りと(2/2) -



三月某日。とある中学校では卒業式を迎えていた。

暫くすると、この年の卒業生達が長い式を終えてまばらに桜の舞う校門を出てくる。その中には、宙と涙子の姿もあった。いつも一緒にいる男子二人はまだ校舎内に残っているらしく、暫くは出て来なさそうである。

宙はグッと一度伸びをすると一際大きい校門前の桜を見上げた。



「いやー遂にあたし達の中学生ライフも終了だよー! 桜があたし達の門出を祝ってるねー♪」



そんな感嘆の声を上げる宙に涙子もクスリと笑う。



「そうねぇ。四月から高校生だなんて、未だに信じられないわ」



宙と涙子は小学生の頃からの付き合いだ。宙が途中から転校してきてからだが、それでも何だかんだと六年以上は同じ時間を過ごしてきたと思う。

初めて知り合った時から随分と変わったな、と涙子はふと、そんな事を思いながら宙を見ていた。初めは黒かった髪が、まるで秋の紅葉のように染まった事もそうだが、一番変わった事と言えばやはり…………自分達の関係性だろう。



「やっぱり桜って好きだなぁ」



宙は桜が大好きだった。彼女自身が春生まれと言うのもあるのだろうが、どの花よりも短く、儚い時を懸命に生きるその姿が好きなのだと、昔言っていた事がある。

その時は、同じくらい秋の紅葉も好きだと言っていた事も、涙子はよく覚えていた。



「そうねぇ……私は桜も良いけど、やっぱり秋の紅葉が一番好きだわ」

「あー……涙子はそうだよね」



まぁ、そっちも悪くはないんだけど……と、どことなく歯切れの悪い言葉に涙子の表情にも影が落ちる。でもそれは、決して好きな物を否定されたからではなかった。



「涙子にはほんっとーにごめんだけど」

「大丈夫よ、わかってるわ」

「うん…………やっぱ、苦手なんだよね」



嘗て桜と同じくらい好きだと言っていた紅葉が、彼女の中で無意識なトラウマとなってしまった事だった。

そしてそうなってしまったのは…………紛れもなく自分のせいなのだと、涙子は己を責めていたのだ。



「でも、正直何で苦手になったのかわからないんだよねー。昔はもうちょっと好きだった気がするんだけど」

「それは……」



そうでしょうね。だってあなたは……”あの時”の事を覚えていないのだから。もしも覚えていたのなら、今の私達はこうしてここに居られたのかも、正直わからない。

その言葉は飲み込み、涙子はその先を言い淀んでしまう。しかし宙はさして気にした様子もなく、目の前に降りてきた花弁を手に取っていた。



「ま、苦手になっちゃったもんはしょーがないし、今はこの季節を楽しまなきゃねー」

「ええ」



そうね、と涙子はただ頷く事しか出来なかった。

涙子は大人が嫌いだった。自分達の利益しか考えず、子どもから自由を奪う勝手な存在が。

仕事と言ってあまり姿を表さない両親も、やりたくもない習い事をやらせに来る家庭教師達も、媚びを売ることしか考えない他人も……皆みんな、幼かった彼女にとっては全てが敵でしかなかった。

そんな中で、唯一と言える信頼のおける人が出来た。その人は大人と言うには、まだまだこちらに近く、その人自身もまた勉学に励む年頃だったのもあるのだろう。

人当たりの良い好青年だったが、周りの人達と違ったのは、当時の自分や後から知り合う他の幼馴染みにも本気で向き合い、時にはちゃんと叱ってくれた事だった。

初めは随分と冷たい態度を取っていたことも覚えている。それでも、その人は決して呆れることなく涙子を見て、本当に必要な事や、彼女が望んだ事を教えてくれた。

そして何より、人と触れ合う暖かさを教えてくれた。

そんな彼が大好きだった。兄のようで、師のような友であったその人が。狭く暗い世界を広げてくれたその存在は、涙子にとって一生変わらぬ唯一と慕う人となる筈だった。

しかしそれは、宙が来てから変わった。あの人は宙の兄だったから。

ずっと自分に向けてくれていた温もりを、妹と言う資格を持つだけで奪っていったその存在を、涙子は認める事が出来なかった。

彼が大事にしている手前、表立ってそんな態度は出せなかったが、嘗ての涙子は常に彼女に嫉妬心を抱いていた。それに宙はあの人だけでなく、他の幼馴染みの注目をも集めていた事が、何よりもそれを助長させていたのだと、今ならば思う。

但し宙本人は何も悪くはない。そんな醜い心を持った自分にも、いつだって優しく、明るく接してくれていた。時に「可愛い」だなんて抱き着かれ、むず痒い思いもした。

そんな彼女を邪険になんて出来なかった。でも…………






それは突如にして崩れ去ってしまった。

ある時……そう、それこそ自分の好きな秋の紅葉が彩っていたあの時に、彼の人は居なくなってしまった。理由はわからない。

最後に彼の側にいたのは宙だったと言う。そんな彼女に涙子は当然ながら理由を問い詰めた。しかし、どこか呆然とした彼女から返ってきたのは、理由にもならない言葉だけだった。



『ごめんね。もう、アイツには二度と会う事は出来ない』



わたしが、消しちゃった。

今考えても意味がわからなかった。ただ、その言葉を聞いて、真っ先に浮かんだのは確かな怒りだった。その怒りのままに、目の前の存在に気が付けば怒声を浴びせていたのだ。



『二度と、会えないって何……? 消したってどう言う事よ。どうして…………どうしてあの人だけが居なくなってしまったの……貴女は何をしていたのよ!!』



何で貴女だけが残っているの!

言葉にしたが最後、それは一生消える事はない傷として彼女を抉ってしまったのだろう。涙ひとつ見せた事がなかった彼女が、初めて悲しみに歪んだ顔をした。

きっと、二度と宙と関わる事はなくなるのだろう。そう思っていた。でもそれは、後の二人が許さなかった。

時にはいがみ合ったり、喧嘩も沢山していたけれど、何よりも宙や涙子を心配してくれたのは、陸也と聖だったのだから。特に陸也はあの性格だが、元々がお人好しだ。随分と辛い役割をさせてしまった。あの人がいなくなって出来た穴を沢山埋めてくれた。

涙子にとって、新たな心の拠り所となるのもそう時間は掛からなかった……彼の本当の想いを知っていながらも、手が届かないとわかっていながらも、側にいる事をやめられなかった。

それでもやっと宙との関係が修復されてきた時に、今度こそ四人の関係性を揺るがす事件が起きてしまった。その時も涙子はその現場に居合わせる事がなかったから、何があったのかはわからない。

ただわかるのは、宙がその事件で大きな怪我を負った事により兄の存在と、一部の記憶と感情を無くしてしまったという事実だけだった。

その日は宙の誕生日だった。そんな日に、彼女は大切な物をたくさんなくしてしまった。そして何故か……いや、ある意味必然だったのかも知れない。

何だかんだと宙と関わりの多かった陸也も同じ記憶を消してしまった。初めに怪我をした宙を見つけたのは陸也だったからなのか、それとも…………また、別の理由があるのかは考えないようにした。

悪魔が囁いた気がした。これはチャンスなのだと。

気が付けば、絶望に打ちひしがれる彼に手を伸ばしていた。前に自分にしてくれたように、ぽっかりと空いてしまった穴を埋めるかのように、心の拠り所となれれば良い、と。

そうして今の形が出来上がった。我ながら本当に酷い事をしていると思う。そうなった直後は、己の醜い心を見抜いたのだろう。聖からは相当責められたものだ。

それでも構わないと思った。今のままで居られるのなら、きっと自分は……あの子も大切に思える。

でも、もしも……宙や陸也が全てを思い出したら、どうなってしまうのだろうか。皆は私をどう思うのだろうか。そして、



(私は私を…………許せるのかしら)



ずっと、逃げる事しか考えられなかった私を。

その先を考える事が出来ない。今答えを出すには、自分はあまりにも臆病過ぎた。



「涙子ー?」



ずっと黙っていた事に違和感を覚えた宙が涙子の目の前で手を振りながら声を掛けてきた。それに涙子はハッとして意識を戻す。



「あら、ごめんなさい。少しぼーっとしてしまったわ」

「まぁ、この季節は眠くなるし仕方ないよね」



春の麗らかな気候は、最高のお昼寝日和だと宙は言う。でもきっと、元気が取り柄の彼女は昼寝よりも外で遊ぶことの方が何よりも似合う。



(今はまだ、このままでいたい)



でもいつか、全てを思い出す事になったその日には……。

やはりその先の答えを出せないまま、涙子は静かに首を振った。







END
/ →
<< Back
- ナノ -