003 兎は闇夜に狼と出逢う。1 | ナノ



お昼時の混み合いも落ち着いた昼過ぎ。不意に開いた自動ドアに、僕はお店の入り口へと顔を向けた。

「いらっしゃーー司狼さん」

接客用のにこやかな表情でいらっしゃいませと言おうとした僕の言葉が、全身を黒いスーツで固めた男ーー司狼さんの姿を認め、途中で止まる。
店内に入ってきたの恋人の名前を呼びながら、自分の声や表情が素に戻っているのを感じ、少しだけ照れ臭くなった。

「どうしたんですか? お昼ご飯?」

照れを隠すようにそう聞きながら僕は首を傾げる。普段、バイト先である弁当屋の近くまで送り迎えをしてくれることはあっても、司狼さんが店内へと入って来ることは滅多にないのに。
けれど、なんとなくで聞いたそれは正解だったらしい。軽く頷きながら、司狼さんが口を開いた。

「あぁ。昼飯を食い損ねてな。一つ頼む」

今日も忙しそうだなぁ。そんなことを思いながら頷く。

「お疲れ様です。何が良いですか?」

「…お勧めは?」

労いの言葉をかけながら、メニューを見やすいように手に持って司狼さんに向けると、メニューを見るのも面倒くさそうに問い返される。
それに僕は少し考えてから口を開いた。

「生姜焼きは僕が味付けとかの下準備をしたんですよ」

あぁ、けど生姜焼きなら家でも作れるか。言ってから気付いて他の物を勧めようかと思ったけれど、それよりも先に司狼さんの返事が返ってきた。

「ならそれを頼む」

司狼さんはいろいろ悩むのが面倒くさくて即決しただけなんだろうなぁとは思うけれど…。迷いもなく言われたその言葉を聞いたら、他の物を勧める気なんてなくなってしまった。
僕は了承の意味を込めて笑みを浮かべて頷く。

「はい。ーーすみません、生姜焼き弁当一つお願いします!」

奥の厨房に向かってオーダーを言えば「はーい」と返事が返ってくる。それを聞いて、前を向き直った僕に司狼さんが口を開いた。

「今日、終わる時間は?」

「今日は19時までですよ」

どうしたのかな。そう思いながら返した言葉には予想外の言葉が返ってきた。

「迎えに来る。飯、食いに行くぞ」

「! はい!」

ここ最近、仕事が立て込んでいるらしく帰宅も遅かった司狼さんからの誘い。
外食に出かけることよりも、ゆっくり一緒に過ごせることが嬉しくて。僕は大きく頷いた

そうこうしていれば、厨房から出来上がった弁当が届けられる。

「お待たせしました」

「あぁ」

ビニール袋に入れたそれを差し出せば、軽く頷きながら受け取られた。
楽しみにしてます。そう伝えようとした言葉は、不意打ちのように頬に軽く触れて、さっと離れた手によって阻まれる。

「いつもの角で待ってる。ーー頑張れよ」

なんでもないようにそう言って出て行った司狼さん。ありがとうございました、すら言いそびれてしまったのに気付いたのは、自動ドアが閉まり司狼さんの姿がなくなってしまったあとだった。
最後のあれ、ずるい。ほんの一瞬触れられただけとはいえ、普段外でそういうことをしない人にされるのは、結構威力がある気がする…。
そんなことを考えていたけれど、不意に厨房から出てきた店長に声をかけられて、我に返った。

「兎村くん、今の人…東郷組の人だよね。……知り合い?」

予想外の質問に、思わず首を傾げる。

「店長、知ってるんですか?」

店長と司狼さん。接点なんてなさそうだけど…。そんなことを思いつつ聞いた疑問は、店長から返ってきた答えで納得した。

「そりゃ、ここら辺はそっち関係の人間の出入りも多いからね」

「あ、そうですよね」

風俗街の中にあるこの弁当屋では、一般人や風俗関係のお客様が多いものの、たまにヤクザなのかなと思うような雰囲気のお客様もいたりする。そうでなくても、堅気ではない雰囲気の人が店の前を通るのは良くあることだ。
そういえば、この辺の繁華街は司狼さんの組の島だって言ってたなぁ。そんなことを思い返していれば、心配げな表情を浮かべた店長に改めて問われた。

「……それで、兎村くん、知り合いなの? その絡まれたりとかしていないかい?」

単純に心配してくれているらしい店長の様子に、僕は頭を振って答える。

「大丈夫です。その、偶然知り合っていろいろあってお世話になってるんです」

「そう? なら良いんだけど。……危ないことに巻き込まれないようにだけ、気をつけるんだよ」

お世話になっているという言葉を少し気にする様子を見せつつ、店長はそれ以上問うのはやめたように頷いた。

「ありがとうございます。けど、大丈夫です。あの人はいい人だから」

それに断言するように言い切った僕に、店長が首を傾げる。

「そうなのかい? まぁ、兎村くんがそういうなら良いんだけれど…」

「はい、大丈夫です」

にっこり笑ってそう言う僕に、店長はまだ少し不思議そうにしながらももう一度頷く。
不思議に思われるのはわかるけれど、恋人だから、とか言うわけにもいかないしなぁ。そんなことを思っていれば、店長が思い出したように口を開いた。

「あぁ、そうだ。そろそろ夜用のメニューに看板を変えてきてくれるかい?」

気が付けば16時前。もう暫くすれば、夕飯用の買い物に来る客が増え始める時間だ。

「わかりました」

店長の言葉に頷き、僕はお店の外へと出た。空はまだ明るいけれど、弁当屋の半袖の制服で外に出るには少し肌寒くなっていた。
昼向けのランチメニューになっていた看板の向きを、裏面のディナーメニューへと変える。
ーーそういえば、司狼さんに初めて会ったのはこの看板を片付けている時だったなぁ。
そんなことを思い出したのは、さっき司狼さんがお店へ来てくれたからだろうか。
あの日は、夜中でも少し暑かったな。そんなことを思いながら、僕は少し前の懐かしい記憶に思いを馳せたーー。





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