call me.3 | ナノ



ーー僕が行きたいところって言ったのに。

土曜日。約束通り出かけることにはなったけれど、僕の第一希望は却下されてしまって。僕たちはミツルさんの提案した水族館へと来ていた。

『ミツルさんの家、言っちゃだめ?』

昨晩の電話でそう言った僕に、ミツルさんは困ったように暫し黙り込んだあと、話を変えるように言った。

『ーーそういえばね、今日水族館のチケットをもらったんだよ。せっかくだから、明日行ってみようか』

ミツルさんと行くなら、水族館でも公園でも、近所のスーパーだって嬉しい。
だけど、話を逸らすように提案されたそれは素直に喜ぶことなんて出来なくて。せっかく一緒に出かけているのに、僕はもやもやした気持ちを拭えないままだった。

「白くん! ほら、綺麗な色の魚がいるよ」

一歩先を歩くミツルさんに名前を呼ばれて、僕は顔を上げた。おいでと呼ばれて、ゆるゆるとしていた歩みを少しだけ速める。
水槽の前に着けば、ミツルさんがそっと僕の肩を寄せて、見やすい位置に促してくれた。
青や黄色、ピンクの魚達が水槽の中を楽しそうに泳ぐ。ぼんやりと見ていると、水槽に写ったミツルさんと目が合い、笑いかけられた。

「可愛いね」

優しい言葉に、うまく言葉を返せなくて。僕はただこくんと頷く。そんな僕にどう思ったのか、ミツルさんはそっと僕の頭を撫でた。
今日、初めてだ。撫でられて、ふとそんなことを思う。いつもは一緒にいると、手を繋いだり頭を撫でてくれたりするミツルさんだけれど、今日は人が多い場所のせいか、そんな些細なスキンシップすらしていなかったことに気付いた。
それが嬉しくて、少しだけミツルさんに身体を寄せようとしたけれど、不意に隣の人に身体を押されて、そんな些細なやり取りも終わってしまう。

「っ!!」

休日の水族館は親子連れやカップルで溢れている。順路に沿って、ゆっくり進んでいく人混みに、ぼんやりとしていた僕は水槽の前から押し出されてしまった。

「大丈夫?」

慌てて僕の身体を支えてくれたミツルさんにこくりと頷いて、僕はふぅと息をついた。
ーーやっと、少しだけミツルさんの近くにいけたのにな。そう思えば、少しだけほぐれた心が、またささくれ立ってしまう。
人で溢れた水族館。二人でいるのに、二人きりにはなれない空間。館内に入ってまだ30分程しか経っていない筈だったけれど、慣れない人混みと、思うようにミツルさんに甘えられないその状況に、僕は既に音を上げそうになっていた。

「白くん、あっちにラッコがいるよ」

そんな僕に、ミツルさんが笑いかけながら大きな水槽を指差した。水槽の前には一際大きな人だかり。それに圧倒されながらも、なんとか頷けば、ラッコがいるらしい大きな水槽の前へと向かう。
ーーけれど、案の定人だかりの向こうにある水槽の中は見える筈もなくて。

「ちょっと待たないと見れないかなぁ」

見やすい場所はないかと伺うミツルさん。けど、僕はその人混みを掻き分けて水槽の前まで行く気力なんてもうなくて。僕は隣のミツルさんの袖を引いて、ぽつりと漏らした。

「…僕、ラッコ見なくても良いよ」

それを聞いたミツルさんが、困ったように笑う。

「そう? ーーじゃあ、イルカショーのプールに行こうか。もうすぐショーが始まるみたいだから、ね?」

その言葉に、僕は黙ってこくりと頷いた。ミツルさんが気を使ってくれている。それが嫌でもわかって自己嫌悪でいっぱいになった。
ミツルさんは優しいのに。僕のことを考えてくれているのに。どうして僕はこんなにもやもやしているんだろう。楽しい、って思えないんだろう…。
人の流れに乗るように、プールの方面へと向かい歩き始めたミツルさんの後ろをついて歩いていたけれど、僕がゆっくり歩いているせいか、僕とミツルさんの間に他の人が入ってくる。
少しずつ、ミツルさんとの距離が離れて、ミツルさんの姿が、人混みに埋もれていく。早く追いかけなきゃ。そう思うのに、何故か僕の足が速くなることはなくて。
ーーもし、僕がいなくなったらどうなるんだろう。ミツルさんは、どうするんだろう。不意にそんな考えが頭を過ぎれば、ゆっくり進めていた足が、完全に止まってしまった。
そんな僕を、たくさんの人が追い越していく。もうミツルさんの姿は見えない。

ミツルさん。
ねぇ、行かないで。
お願い、僕を迎えに来てーー。

「ーー白くんっ!!」

「っ!!」

だが、不意に強い力で腕を引かれ僕ははっと我に返った。目の前には焦った様子のミツルさんの姿。

「白くん、大丈夫!? 離れちゃってごめんね」

「ぁ…」

僕の顔を見て、ミツルさんの顔にほっとした色が浮かんだ。ーーあぁ、僕のこと、心配してくれたんだ。

「白くん…大丈夫だよ」

「?」

困ったように笑ったミツルさんに目許を拭われて、自分が泣いていたことに気付く。
泣いていたら、もっとミツルさんが困ってしまうのに。そう思って必死に目許を拭うけれど、涙は止まる気配がなくて。

「あれ、どうして…」

どうして、泣きたくなんかないのに。

「ーーおいで」

そんな僕を見かねたミツルさんにそっと肩を抱き寄せられて、僕たちは人混みから抜け出した。人だかりになる水槽から離れた壁沿いは人が少なく、ミツルさんに連れられるままあっという間に僕たちは出口まで辿り着く。
ベンチに腰を下ろすと、隣に座ったミツルさんが、ベンチの上に投げ出していた僕の手をぎゅっと握りしめてくれた。

「ごめんね、疲れちゃったね」

顔を覗き込まれて、僕は気まずさに思わず視線を逸らした。移動している間に涙は落ち着いていたけれど、泣きじゃくってしまった顔を見られるのは恥ずかしかったから。
隣に座るミツルさんの肩口におでこをこてんと預ければ、小さな声でぽつりと呟く。

「ごめんなさい…」

「謝らなくて良いんだよ」

大丈夫というようにぽんぽんと撫でてくれる大きな手のぬくもりが心地良くて。僕はほっと息をついた。
せっかく水族館に連れてきてもらったけれど。ーー水族館の中を見て回っていたさっきまでよりも、こうやって隣に座って頭を撫でてもらっている今の方が幸せだなんて言ったら、ミツルさんは呆れるかな。
そんなことを思っていたら、不意にミツルさんが口を開いた。

「…そうだ。白くん、ちょっと待っていて」

「?」

どこに行くの? そう聞くよりも先に、くしゃりと僕の頭を撫でるとミツルさんは早足に歩き出し、すぐ傍にあるお土産屋さんへと消えてしまった。
どうしたのかな。気にはなるけれど、追いかける気力もないし、待っていてとも言われたし…。
結局、そのままぼんやりと過ごすことにし、僕はふぅと息をついた。見上げた空は真っ青に澄んでいる。ゆるやかに吹く風が心地良かった。




「お待たせ」

少しの間にうとうとしてしまっていたらしい。かけられた声にはっと瞳を開けば、優しく笑うミツルさんに顔を覗き込まれていた。

「お帰りなさい」

ミツルさんの姿にほっとはにかめば、そっと小さな袋が差し出される。

「はい、白くんにあげるよ」

「え? なぁに?」

戸惑いながらも受け取ったそれを、僕はゆっくりと袋を開けた。袋の中身を手の中に滑り落とすと、そこにはピンクと水色、色違いの魚のマスコットがついた二つのストラップ。

「!」

それは、さっきミツルさんが頭を撫でてくれた時に見た水槽の中の魚にとても似ていて。黙り込んでしまった僕に、ミツルさんが言う。

「さっき、似た色の魚がいる水槽の前で、白くんが笑ってくれた気がしたから。…違うのが良かったかな?」

あぁ、ミツルさんも、同じ時間を思い出して、これを選んでくれたんだ。そう思うと、ただただ嬉しくて。僕は、ミツルさんの腕に抱き着き、そんなことはないと伝えるように首を横に振った。

「嬉しい、ありがとう」

「良かった」

ほっとしたように呟かれたミツルさんの声に、はにかむ。

「付けていーい?」

「良いよ。白くんはどっちが良い?」

ピンクと水色、どちらも可愛いけれど。こちらを向いていたピンクの魚と目が合い、自然と笑みが浮かんだ。

「んー、ぴんく」

「じゃあ、白くんのは俺が付けてあげるよ」

貸して、と差し出された手にピンクの魚とスマホを渡す。それが嬉しかったから、

「じゃあ、ミツルさんの付ける」

そう言ってミツルさんのスマホを受け取ると、僕も水色の魚を付けてあげようとした。したけれど、小さなストラップホールに紐を通すのは意外と難しくて…。

「…俺がやろうか?」

あっという間に付け終わったらしいミツルさんが、ストラップと格闘する僕を見兼ねてか口を開いた。
けれど、ミツルさんのは僕が付けてあげたくて。その言葉に大丈夫と首を横に振って、僕はストラップと格闘する。

「大丈夫っ……ほら、できた!」

ミツルさんの倍以上の時間をかかりながらも、無事に付けられたことが嬉しくて。僕は得意げな笑みを浮かべてミツルさんを見上げる。そこには、嬉しそうなミツルさんの笑顔。

「うん、ありがとう」

スマホを受け取りながら、優しく髪を撫でられてとても嬉しくなった。
ミツルさんに付けてもらったピンクの魚のストラップ。嬉しくて、可愛くて、ずっと手の中で弄んでいれば、ミツルさんが口を開いた。

「次は平日の夜に来よう。そしたら、今日よりは大分空いている筈だから」

やっぱり、ミツルさんは優しい。

「…うん」

「その時はラッコやイルカも見ようね」

「…ペンギンもみたい」

僕がぽつりと呟けば、ミツルさんは嬉しそうに大きく頷いた。

「うん、ペンギンも見よう」

「あとね…」

もう一つ、わがままを言いたくて、もう一度口を開く。

「なぁに?」

それは、今日一度も言い出せなかったこと。

「…次は、ずっと手繋いでいたい」

それを聞いたミツルさんは、一度大きく瞳を見開いて、すぐにふわりと笑った。

「ーーそうだね。約束」

そう言って僕の小指に絡められた、ミツルさんの小指。
それがとても嬉しくて、僕はもう一度大きく頷いた。

お揃いのストラップ。
小指と小指の約束。
それだけで、ずっともやもやしていた僕の心が少しだけ晴れた気がしたーー。






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