whiteout.7 | ナノ



ーー身体が痛いな。

「…くんっ、白くんっ!!」

ーー僕のこと、呼んでる。
この声、知ってる。
この声、僕の大好きな人の声。

「…ぅ……」

重たい瞼を開ければ、ぼやけた視界の向こうには泣きそうに顔を歪めたミツルさんの姿が飛び込んできた。
このミツルさんは、僕の知ってるミツルさん、なのかな。

「……ミツ、ルさ…?」

吐息のような声でそう呼んで、ゆっくり手を伸ばせば、僕の手をミツルさんの大きな両手が大切そうに握ってくれる。

「白くん! 大丈夫!?」

あぁ、ミツルさんだ。
僕の大好きな、優しくて、一緒にいるとあったかくて、安心するミツルさん。
はにかみ笑うも、安心すれば蹴られたりぶつけたりした身体中の痛みの感覚が戻ってきて。先程の出来事が夢なんかじゃない、現実だったことを突きつけられる。

「ぁ、僕……ッ」

「白くん!」

ベッドから起き上がろうとしたけれど、蹴られたお腹が痛んで、僕の身体は起き上がれずにベッドに沈んだ。そんな僕に、ミツルさんが焦った声で僕を呼び、悲しそうな、申し訳なさそうな表情を浮かべて呟く。

「大丈夫じゃないよね…」

ミツルさんは、ちょっとごめんね、と布団を捲ると、僕のTシャツの裾をゆっくりとたくし上げる。
露わになった僕のお腹や脇腹は蹴られたせいで赤く腫れていた。多分、肩や腕にも同じ痣があるだろう。

「ごめんね、ごめん。本当に、ごめん…っ」

ミツルさんは僕の腫れたお腹をそっと擦るように撫でながら、何度も何度もうわ言のように謝罪の言葉を繰り返す。
僕なんかより、ミツルさんの方がずっと痛そうだ。

「ミツル、さ…」

泣きそうな、苦しそうな顔のミツルさんを見ていられなくて。僕は、そっとミツルさんの頬に手を伸ばした。

「うん…なぁに?」

そんな僕に、ミツルさんは頬に触れる僕の手にそっと自分の手を重ね、泣きそうな顔で笑いかけてくれる。
苦しそうなミツルさんは見たくないけれど。それでも、少しずつ、自分のよく知るミツルさんに戻ったのだという実感が湧いてきて。

「…よか、た…いつもの、ミツルさん、だ」.

ほっと笑みを浮かべれば、次第に視界がぼやけだした。

「白くん…」

あぁ、僕泣いてるんだ。ミツルさんにそっと涙を拭われて、自分が泣いていることに気付いた。
泣きやまなきゃ、ミツルさんが困っちゃう。そう思うけれど、涙は止まるどころか、どんどん溢れてきて。同時に先ほどの恐怖が蘇ってくれば、身体がガクガクと震えだす。

「ミツ、さっ…こわ、かった…」

泣きじゃくりながら、身体が痛むのも構わずに縋るようにミツルさんに腕を伸ばせば、ミツルさんは僕の身体を起こし、包み込むように抱きしめてくれた。

「そうだよね、怖かったよね。痛かったよね。…ごめんね、ごめん」

僕を抱きしめて、頭を撫でながら何度も何度も謝るミツルさんに、僕は違う、と頭を振った。
違う、僕が今泣いているのはミツルさんのせいなんかじゃない。

「違っ、ぼく…ミツルさ、知らない人、みたいでっ…ミツっ、さ…に、嫌われた、じゃないか、って…」

「っ!!」

だから、怖かった。悲しかった。
暴力を受けたことなんかよりも、ミツルさんが知らない人みたいだったことや、ミツルさんに嫌われたのかもしれないと思う方が苦しかったんだ。
ミツルさんの胸元に顔を押し付けて泣きじゃくっていれば、ミツルさんにゆっくりと身体を離される。促されるようにミツルさんを見上げれば、泣きそうな顔で笑うミツルさんがいた。

「白くんは、バカだね…。こんな目に遭わされたのに、まだ俺を好きだなんて言うの?」

震えそうな声で問われる言葉。その声を聞いて、あぁ、ミツルさんも怖いんだ。そう感じた。
だから、僕は涙でぐじゃぐじゃの顔に精一杯の笑みを浮かべれば、しっかりと頷く。

「ん…ミツルさんが、すき」

ミツルさんの瞳から、涙が流れ落ちるのを間近で見た。あぁ、涙、拭ってあげたいな。そんなことを思っていれば、僕のおでこにミツルさんのおでこがこつんと触れた。

「…全部、話すよ」

ぽつりと言われた言葉に、僕は小さく頷いた。




「ーー俺ね、二重人格なんだ」

ベッドに腰掛けるミツルさんの胸元に抱き込まれるようにして寄りかかりながら、僕はミツルさんの秘密を聞いた。ミツルさんの片手は僕のお腹を優しく撫で、もう片方の手は僕の手をぎゅっと握りしめてくれている。

「二重、人格…」

現実味のない言葉。だけど、先ほどの出来事の理由を考えた時に、多分一番しっくりくる言葉。

「そう。…さっき、白くんのことを傷付けたのが、もう一人の俺だよ」

もう一人の、ミツルさん。

「ちょうど、今の白くんくらいの頃だよ。…最初はね、朝起きると自分の大切にしているものが壊れていたんだ。本とか、マグカップとか、些細なものなんだけれど。両親と自分しかいない筈の家の中でそんなことが起きて、誰にも話せなくてさ。どうしたら良いのかわからなかったよ」

ゆっくり話し始めたミツルさんの言葉を、僕はただ黙って聞いた。初めて聴く、ミツルさんのこと。

「それから少しして、記憶が抜け落ちることが出てきてね。意識が戻ると、やっぱり自分や、家族の大切にしているものが壊れているんだ。ーーもう、その頃には、自分がやったんだって認めざるを得なかったよ。身に覚えなんてもちろんなかったけど、自分にしかできないだろうって状況が何度もあるんだから」

聞いてるよ、って伝えるように、繋いだ手をぎゅっと握る。ミツルさんも、それに応えるように握り返してくれた。

「…怖かったよ。自分の意識がないうちに、自分や誰かの大切なものを壊しているんだ。最初は、誰かにばれて怖がられたり、非難されるのが怖かった。それから、いつか、この身に覚えのない狂気が、大切な人に向くんじゃないかって、怖くなった」

今の僕と同じくらいの頃から、ミツルさんがずっと抱えていたもの。自分の大切なものを自分自身で壊してしまうかもしれない不安は、どんなに怖いものだろう。

「高三の冬だったよ。…とうとう、不安が現実になった。その時もいつの間にか意識がなくなっていたみたいでね。不意に意識が戻った時に見たのは、頭から血を流しながら、化け物を見るような顔で僕を見る母親の姿だった」

繋いだ手が、震えていた。僕は、少しでもミツルさんを恐怖から救いたくて。大丈夫だよ、僕がいるよ、そう伝えるように、繋いだミツルさんの手を強く強く握りしめる。
僕のお腹を撫でてくれていた手に、少し力が入って抱き寄せられた。蹴られたお腹は少し痛んだけれど、そんなことよりももっとミツルさんの近くにいきたかった。

「それからすぐに父親が帰ってきて、そのまま精神科に入院させられた。仕方ないことだったとは思うけどね、記憶が抜け落ちることがある以外は全然普通だったからさ。たまに病院へ顔を出す、両親の腫れものに触るような態度とか、精神科独特の雰囲気とか…そういうものに毒されて、おかしくなりそうだった」

いつの間にか、涙が溢れていた。
優しいミツルさんだから、きっと文句なんか言わないで入院を受け入れたんだろう。怖いのも、悲しいのも、一人で抱え込んだまま、病院に閉じ込められていたんだろう。

そんなの、酷い。嗚咽を漏らす僕の髪に、ミツルさんが宥めるように頬を摺り寄せてくれた。

「ごめんね。泣かせたい訳じゃなかったんだけど…もう、やめようか?」

心配げに顔を覗き込みながら問いかけられた言葉に、僕は頭を振る。

「…やだ。ミツルさんの話、最後まで聴きたい」

ミツルさんが辛かったことから、目を背けたくない。出来るなら、一緒に抱えたい。嗚咽を漏らしながらもはっきりとそう言えば、ミツルさんはわかったと言うように、頷いた。そしてまた、ゆっくりと続きを話してくれる。

「大学も決まっていたけれど、精神科に閉じ込められている状態で進学出来るかもわからなかったしね。未来も全て、なくなってしまうんじゃないって思った」

理不尽だ。ミツルさんは、悪くないのに。そう思うと、悲しいのと一緒に悔しくなった。
どうして? どうして、ミツルさんがそんな目に合わなきゃならないの?

「もう、全部どうでも良いって思った時もあったけど、やっぱり一生病院に閉じ込められているのは耐えられなくて。高校を卒業する少し前に、家を出て一人暮らしをさせてもらえるように必死に説得したよ。最初は渋っていたけど、息子が精神科に入院していることは世間体的に気にしていたからね。一人暮らしなら自分達が被害に遭うこともないだろうってことで、了承してくれた」

なにそれ。世間体とか、自分達の安全とか。そんなの、勝手だ。
僕の両親は仕事ばっかりな人達だけど、それでも息子として想ってくれているのはわかってる。
けど、ミツルさんの両親は? ミツルさんのことが、大切じゃないの? 考えれば考えるほど、もやもやとした怒りがこみ上げてきた。
ミツルさんにもそれは伝わったらしく、大丈夫だよと宥めるようにミツルさんの頬が僕の髪を撫でた。

「…それから、ずっと一人暮らし?」

言葉を切ったミツルさんにそう尋ねると、そうだよ、と頷く。

「そう。大学でも、今の会社に勤めてからも、周りとは一定の距離を置くようにずっと気を付けていたよ。大切な人になってしまったら、俺の中の狂気がその人に向いてしまいかねないから。友達はもちろん、恋人を作るなんて、考えられなかった」

穏やかな口調には、何かを悟ったような諦めの色が見えて、悲しくなった。そして、少し間を置いて続けられた言葉に、かたまる。

「ーー白くんともね、本当はこんなに仲良くするつもりなかったんだ」

どうして? なんて、聞けなかった。ただ、ミツルさんがそう考えざるを得ない事実が悲しかった。

「昼休みに公園で会って、一緒にお昼を食べて。誰かとあんな風に穏やかな時間を過ごすなんて、久しぶりだった。凄く、幸せだったよ」

僕もだよ。僕も、一緒に過ごす時間がすごく幸せだったんだ。それをミツルさんに伝えたくて、繋いだ手を強く強く握りしめた。顔は涙でぐちゃぐちゃだった。

「白くんがね、日に日に俺に気を許してくれていくのがわかってさ、本当に嬉しかったよ。距離が近付くことに不安はあったけれど、最近は記憶が抜け落ちることも少なくなっていたし、昼間少し会うだけなら大丈夫だろうって…正直、油断してた」

痛む身体を無理矢理捩じり、ミツルさんの胸元に顔を埋める。胸元にしがみついて嗚咽を漏らす僕を、ミツルさんがあやすように抱きしめてくれた。

「ーーさっきね、白くんの俺を呼ぶ声で、意識が戻ったんだ。意識が戻ったら、足元で白くんが蹲って倒れてて、頭が真っ白になった」

ミツルさん、もう良いよ。
言わなくて、良いよ。
その先は、わかってる。
もう一度言葉にすることで、ミツルさんがまた傷付くのが嫌だった。
これ以上、ミツルさんの傷付くところなんて見たくなかった。
けど、ミツルさんの言葉は止まらない。

「すぐに、もう一人の俺が白くんを傷付けたんだってわかったよ。…俺が、もっと早く白くんから離れていれば、こんなことにならなかったのに。それが、できなかったから…」

ミツルさんの後悔。そんなの聴きたくなんかなくて、僕はミツルさんにしがみつきながら、その言葉を否定するように頭を振る。

「そ、なこと…!」

そんなことない。だって、僕はミツルさんといたいんだから。ミツルさんと、離れたくないんだから。
嫌々する僕の身体が、不意にミツルさんの腕に、痛いくらいに強く強く抱きしめられる。

「何よりも、誰よりも、傷付けたくなかったんだ…! 守りたかった。俺の手で傷付けるんじゃなくて、俺の手で大切に守りたかった!」

激しい、ミツルさんの言葉。ミツルさんが顔を埋める僕の首元が濡れる感覚で、ミツルさんも泣いていることを知った。
そんなミツルさんが愛おしくて、僕はしがみついていた腕をミツルさんの背中へと回す。僕よりもずっと大きくて広い背中を優しく撫でた。

「それなのに…俺の手は、傷付けることしかできない」

暫くそうしていた後にぽつりと漏らされたのは、先ほどの激しさなんてまるでない、酷く傷付いたような悲しい言葉だった。
ミツルさんの手が傷付けることしか出来ないなんて、そんなことないのに。

「…そんなこと、ないっ!」

顔を上げて大きな声でそう言えば、目の前には少し驚いたミツルさんの顔。やっぱり、涙で濡れていた。

「ミツルさんは、優しいよ。とっても、優しい」

断言するように、はっきりとそう言うと、ミツルさんが戸惑った顔で僕を見る。

「白くん…」

「僕…誰かと一緒にいるの、苦手。誰かと一緒にいるより、一人でいる方がラクなの」

だから、初めて公園でミツルさんに声をかけられた時は、ちょっと嫌だった。

「けどね、ミツルさんは違う。ミツルさんと一緒にいると、ほっとする」

いつからか、一人でいる時間より、ミツルさんと二人でいる時間の方が好きになっていた。
ミツルさんを待って一人でいる時間は、ミツルさんのことばかり考えていて。ミツルさんが仕事に戻ってしまったあとは、寂しくて早く明日になれば良いと思った。
そんな風に想った、はじめての人。

「ミツルさんは、傷付けることしか出来ない手だって言ったけど…僕には優しくてあったかい、とっても安心する手だよ」

だって、ミツルさんの手に撫でてもらうのが、一番好きなんだから。
ミツルさんの手を両手で包み込むようにしながら、僕がまっすぐに見つめてそう言うと、ミツルさんの顔が少しだけ赤く染まった。だけど、すぐに苦しそうに顔を歪めれば、視線を僕から逸らす。

「…けど、白くんを傷付けたのもこの手だ」

「この手だけど、ミツルさんじゃない」

だって、暴力を振るうことにミツルさんの意思はなかったんだから。
自分が傷付けたと言って傷付いているミツルさんは、僕を傷付けたミツルさんじゃない。

「ーーね、ミツルさん。僕、ミツルさんがすき」

改めて、もう一度伝えた僕の想いに、ミツルさんの瞳が戸惑うように揺れる。

「…俺が、怖くないの?」

不安げな、ミツルさんの声。

「怖くないよ」

もう一人のミツルさんのことは、まだ少し怖い。
だけど、別人格だってミツルさんの一部なら、きっと大丈夫。

「また、白くんのことを傷付けちゃうかもしれないんだよ?」

それでも、良いよ。

「傷付いても良い…ミツルさんが、良い」

迷いのない、はっきりとした声で伝えた。
ミツルさんの顔が泣きそうに歪む。

「…白くんは、バカだね」

その言葉を聴いた次の瞬間には、ミツルさんの腕の中に抱きしめられていた。
温かい腕の中。ミツルさんの匂いでいっぱいになる。
ねぇ、ミツルさんも僕がすき? 心の中で聞いた質問の答えは、すぐに大好きな声に乗せられて耳元に降ってきた。

「ーー俺も、白くんが好きだよ」

あぁ、僕は、しあわせだ。






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