whiteout.6 | ナノ



何度も迷いそうになりながら、それでも僕は、なんとかミツルさんの家に着いた。
あの日、ミツルさんを振り切って飛び出してきたドア。その前に立ってゆっくり深呼吸をすると、僕は緊張で震える指でチャイムを押した。

ーーピンポーン

いないのかな? 物音のしない室内の様子を、ドアの外で伺う。もう一度チャイムを押そうか悩んでいると、ドア越しにずっと会いたかった相手の声を聞いた。

「…誰」

あれ? 短く問われた声は、確かにミツルさんのものだけれど。

「ミツル、さん…? 白、だよ?」

いつもと、違う…? ドア越しに聞こえた声に、ミツルさんらしくない硬さや冷たさを感じた。
体調、悪いのかな。それとも、あんな風に逃げた僕になんか、会いたくなかった? 溢れそうになる不安を抑え込みながら待っていれば、中から鍵を開けられる音。

ーーカチャ

「…来たのか」

開かれたドアの間から覗くミツルさんの姿。久しぶりに会うミツルさんの瞳は、声同様にいつもの優しい穏やかな雰囲気がなくて。
…すこし、こわい? 足が僅かに震えるのを感じながら、必死に言葉を紡いだ。

「…あの、会社、休んでるって聞いた。…大丈夫? 体調、悪い? それとも、僕…」

僕のせい? その一言が繋げなくて。僕はそこまで言って、俯きコンクリートの地面に視線を落とす。
暫くの沈黙の後、目の前のドアが広く開かれたのがわかった。恐る恐る顔を上げると、僕を見るミツルさんの姿。

「…とりあえず入れよ、白クン?」

そう言ってにっこり微笑んだミツルさんの顔は、いつもと変わらない気がする。それなのに、何故か感じる不安をを心の隅へと押しやれば、こくりと頷いて、部屋の中へと入った。




ーーミツルさん、やっぱり変…。
ミツルさんについて部屋の中へと入ったけれど、何も言おうとしない、僕の方を振り向こうともしないミツルさんに、隅へと押しやった不安が、少しずつ大きくなるのを感じた。

「…ねぇ、ミツルさん」

戸惑いながら名前を呼んだ僕に、振り向いたミツルさんはなにも言わずに僕を見る。

「……」

部屋を入る時と同じにっこり微笑んだ表情は、笑っているはずなのに、何故か怖くて。理由のわからない恐怖や不安を必死に抑え込みながら、ミツルさんに話しかける。

「やっぱり、体調悪い…?」

見当違いなことを聞いているのかもしれないなって思ったけれど。僕のせいかどうかは、やっぱり聞けなかったから。

「大丈夫だ」

大丈夫。そう言われても、ミツルさんの様子を見ていると、大丈夫なんて気がしなくて。

「…やっぱり、僕の、せい?」

恐る恐る、聞いた。聞いた声はすごく小さくなって。
それでも小さな声はミツルさんに聞こえていたみたいで。怖くて、それでも返事を待つ僕に、ミツルさんは微笑みながら口を開いた。

「――そうだよ、白クンのせい」

ぼくの、せい。

「っ…」

楽しそうにすら聞こえるような軽い口調で言われたその言葉に、頭をガツンと殴られたみたいな衝撃が走った。

「…白クン、馬鹿なのな。こんなところ、来なきゃ良かったのに」

ミツルさんの口から紡がれる、ミツルさんの言葉だなんて信じたくない言葉。目の前にいるのはミツルさんの筈なのに、ミツルさんだなんて信じられなくて。

「ミツル、さん。僕…」

言われた言葉を信じたくなんかなくて。いつも優しく僕を撫でてくれていた大きな手に、手を伸ばした。だけど、伸ばした手に感じたのは、相手の温かな熱じゃなくて、強い痛みと、痛みから生まれた熱。

「ぃたッ…!?」

突然のことに何が起きたのかわからなかった。わからずに戸惑っているうちに、目の前にいたミツルさんが遠くなったと思えば、ダンッと大きな音が聞こえて、すぐにお尻や肩に痛みを感じる。冷たい目で見降ろすミツルさんを見つめながら、自分が突き飛ばされたことに気付いた。

「お前、なんなの? コイツに優しくされて、そんな嬉しかった?」

見降ろしながら投げられる言葉には、僕の知っているミツルさんの、ほっとするような優しいやわらかさなんて、一つもなくて。

「僕は、っ…!!」

別に、ミツルさんに優しくされたのが嬉しかったから一緒にいたいとか、そういうことじゃない。そう、言おうとしたのに、左肩を思い切り蹴られれば、その痛みに言葉が遮られる。

「自分の思うがままになってくれるコイツといて楽しかった?」

「そん…こと…っ」

そんなことない、違う、そう言いたいのに。肩を踏み躙られる痛みに、僕は悲鳴を上げそうになるのを堪えるのが精一杯で。それでも、必死に違うと否定しようとする僕の言葉を、遮るようにお腹を蹴られれば、僕は痛むお腹を抱え込むように丸くなる。

「…みつ、さっ……ぐッ…」

必死にミツルさんの名前を呼んでも、返事はもらえなくて。ただ、強く蹴られる痛みだけが身体中に増えていく。
どうしてミツルさんがこんなことをするのか、わからなかった。ただ、優しいミツルさんに、こんな暴力を振るわせるようなことを、僕はしてしまったのかもしれない。そう思うと、ただ悲しかった。

「ごめ、なさ…っ」

「黙れよ」

強い痛みと、冷たい言葉。どうしてこんなことになったのかなんて、もうわからなくて。少しでも身体を守るように丸くなりながら、痛みに耐える。いつしか涙が溢れて、視界がぼやけた。

「みつ、る…ッ……ミツル、さっ…」

涙でぼやけた視界は、ミツルさんの冷たい目を隠してくれて。僕は、公園で優しく笑いかけてくれたミツルさんを思い浮かべる。それだけで、痛みが少し和らぐ気がした。

「たす、けて…」

朦朧とする意識の中、ぽつりと呟いた。

「誰が助けにくんだよ?」

嘲笑うように言われた言葉を遠くに聞きながら。僕は大好きな人を求めた。

「みつ、さん……助け、て…」

白くん、と優しく呼んで、くしゃりと頭を撫でてくれたミツルさん。
お昼ご飯には、いつも甘いお菓子をデザートに買ってきてくれたミツルさん。
僕が大好きになった、ミツルさん。

「お前、誰に殴られてんのかわかってねぇの?」

呆れたような、嘲笑うような声が告げる、認めたくない現実。だけど、僕が助けてって、そう言えるのはミツルさんしかいないから。

「…すけ、て……ミツル、さ……みつ、さん…」

ミツルさん。ミツルさん。ミツルさん。
ただただ痛みをこらえながら、ミツルさんを呼んだ。助けて、ミツルさん。助けて…。

「お前、本当……ぐッ!!」

ミツルさんの、苦しそうな声が聞こえた気がした。それからすぐに、ずっと続いていた暴力が止む。
蹴られる痛みで保てていた僕の意識は、深い闇の中へと落ちていったーー。






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