「ーー」
次に目が覚めた時、窓の外はオレンジ色に染まっていた。部屋の中も優しいオレンジ色に包まれている。倒れた時はまだ昼過ぎだったのに…。大分、寝ていたらしい。
…医務室じゃない? 先程見たのとは違う天井の色に、ゆっくりと周りを見回すように身じろげば、優しい声に名前を呼ばれた。
「白くん? 起きた?」
横たわる僕を気遣わしげな表情のミツルさんが見下ろす。
「……ここ…」
ここどこ? そう聞きたかった僕の言葉がわかったように、ミツルさんは僕の疑問に答えてくれた。
「ここは俺の家だよ」
「ミツルさんの?」
いつの間に移動したんだろう。全く記憶がないことに不思議に思っていると、その疑問もミツルさんが解決してくれた。
「帰る支度をして戻ったら、ぐっすり眠っていたからね。起こすのも可哀想だったから、そのまま運ばせてもらったよ」
「そっか…」
また、抱えられたのかと思うと、恥ずかしいのと申し訳ないのとで頭がいっぱいになる。そんな僕の心境など気にした様子もなく、心配げな面持ちのミツルさんに気遣うように聞かれた。
「体調はどう? 眩暈や吐き気は?」
「もう、大丈夫みたい」
そう、はにかんで答えれば、ミツルさんの顔からほっとしたように強張りが取れた。
「そっか、良かった。少し飲み物飲もうか。ずっと寝ていたし、水分摂らないと」
そう言って、僕の頭を軽く撫でると、ミツルさんはちょっと待っていてねとキッチンらしい方へと行ってしまった。
静かな室内。聴こえてくるのはキッチンからの物音と、外の小鳥の鳴き声。優しい静けさだ。
不思議だな、なんだかあったかいや。静かというものは、何もない冷たいものだと思っていたのに。誰かと一緒にいる静けさは、とても温かい。そんなことをぼんやり考えていれば、ペットボトルのスポーツドリンクを持ったミツルさんが戻ってきた。
「身体、起こすよ」
そう言ったミツルさんに、ゆっくりと身体を起こしてもらうと、ベッドに腰掛けたミツルさんの身体に寄り掛からせてもらう。
「ゆっくりね」
そう言いながら口元に持ってきてもらったペットボトルを両手で持てば、身体を支えてもらいながら、ゆっくりとスポーツドリンクを嚥下した。思っていた以上に喉が乾いていたみたいで、一気にペットボトルの三分の一位を飲み干してしまった。
「いっぱい飲めたね」
僕の頭を撫でて、優しく言われた言葉に、僕はじとりとミツルさんを見た。
「その言い方…」
「ん?」
僕が睨んでも、ミツルさんは理由がわからないようで。どうしたの? というように首を傾げられると、僕は顔を背けて小さな声で反抗する。
「…なんか、子供みたい」
それを聞いたミツルさんがクスクスと笑って、僕は更に眉が寄る。ミツルさん、僕が怒ってるの、わかってないのかな。
「白くんはまだ子供でしょう」
さも当たり前のように言われてちらりとミツルさんを見ると、優しい笑みを浮かべて僕を見ていた。そんな風にされたら、そうじゃないなんて否定する方が子供みたいで。
「…そうだけど」
不承不承頷くと、ミツルさんはもう一度僕を撫でた。そして優しく頭を撫でてくれていた手がゆっくりと肩の辺りに降りてきたと思えば、僕は温かな熱に包まれる。少しして、後ろに座るミツルさんに抱き締められたのだと気付いた。
ミツルさん? どうしたの? 聞きたいのに声が出なくて。心臓の音だけがどんどん大きくなっていくのを感じた。この音が、ミツルさんに聴こえていたらどうしよう。
「…ごめんね」
凄く長く感じた時間は、意外と短かったのかもしれない。耳元で聞こえたミツルさんの謝罪が、何故かとても怖くて。
「…え?」
振り返ろうとしたけれど、ミツルさんに無言で止められた。
「…一緒にいるべきじゃなかったんだ」
え…?
「俺なんかの傍にいさせちゃいけなかった…」
どうして、そんなことを言うの?
「…本当ならもっと早く、白くんが公園に来るのを止めなきゃいけなかったのに」
ぽつりぽつりと呟かれる言葉に、心が冷えていくのを感じた。
「…どう、して」
ミツルさんも、一緒にいるの、楽しそうにしてくれていたのに。ミツルさんは楽しくなかった?
「真夏の公園にずっといるなんて、いつかこうやって身体を壊すかもしれないってわかっていたのに」
ずっと、ミツルさんに迷惑をかけていたのかな。
「……ミツルさん、は」
僕は、ミツルさんと一緒にいると、楽しくて、なんだかあったかくて、嬉しかったけど、ミツルさんはーー。
「なぁに?」
優しくて、苦しそうなミツルさんの声が悲しい。答えを聞くのが怖くて、返す僕の声はとても小さくなった。
「…ミツルさんは、僕といるの、嫌だった?」
「っ、違うよ!」
その言葉を聞いたミツルさんは、一度僕の身体を強く抱きしめると、ゆっくり身体を離し、僕の両肩を強く掴んだまま真剣な顔で否定する。その瞳は、嘘をついているようには見えない。
「けど…」
それなら、どうしてそんなこと言うの?
ただ黙って見つめ続ける僕に、ミツルさんは困ったようにくしゃりと笑えば、ゆっくりと口を開いた。
「…反対だよ」
「?」
反対? ミツルさんの言う意味がわからなくて首を傾げれば、ミツルさんは困ったような笑みを浮かべたまま、もう一度口を開いた。
「…白くんと一緒に過ごす時間が楽しくて、駄目だなんて言えなかった」
ーー良かった。ミツルさんも、同じだった。
「っ、僕も…っ」
「だけどね、駄目なんだよ」
僕も楽しかった、そう言おうとした言葉が、ミツルさんの言葉に阻まれる。
「どう、してっ!?」
ミツルさんも楽しいのに、僕も嬉しいのに、どうして駄目なの?
「…俺が白くんと一緒にいたら、白くんを傷つけてしまう」
「そんなことっ…」
泣きそうな、困った笑みを浮かべて言われた言葉に、僕はただ、言葉もなく嫌々と頭を振った。
だって、僕はミツルさんと一緒にいたい。
「白くん…」
否定しないで。僕はミツルさんといたい。
僕はミツルさんが、ミツルさんがーー?
「ぁ…」
どうしてこんなにミツルさんの傍にいたいのか。
不意に気付いたその答えに、僕は嫌々と頭を振っていたのをぴたりととめた。ミツルさんが、心配そうに僕を見る。
「白くん?」
そうだ。僕はーー。
「ーーすき」
好きなんだ。ミツルさんが。
「っ!!? …白くん、何を…」
戸惑うようなミツルさんの顔。その顔を見つめて、もう一度伝える。
「僕、ミツルさんがすき」
僕の言葉に、ミツルさんの顔が苦しそうに歪んだ。そして、優しく言い聞かせるように言う。
「…俺も、白くんも、男なんだよ?」
そんなのわかってる。けど、関係ない。
「それでも、すき。」
女の人じゃないとか、男の人だとか、そんなんじゃなくて。僕は、ミツルさんが良い。
「白くん…」
僕の言葉に、ミツルさんが困った顔をしているのが悲しくて。それでも、想いを伝えたくて、必死に言葉を紡ぐ。
「ミツルさんと一緒にいると、なんだか凄くあったかくてね、安心するの」
それで、それで、
「幸せだなぁって思うの」
だから、
「僕は、ミツルさんがすき」
「……」
僕は何も言わないミツルさんを見つめる。困った顔をしていたミツルさんが、小さく息をつく。
そして、先程してくれたのと同じように、強く、抱き締められた。ミツルさんの優しい匂いでいっぱいになって、それが幸せで。僕はミツルさんの胸元に擦り寄る。
「…白くん」
どの位そうしていたのだろう。わからないけれど、ミツルさんに名前を呼ばれ、ゆっくりと身体を離されると、僕はミツルさんを見上げた。
そこにあるのは優しく悲しそうな笑顔。
「…やっぱり、もう会うのはやめよう」
優しく言われた拒絶の言葉に、頭が真っ白になった。
「っ、どうして!?」
抱きしめてくれたのに。どうして? どうして?
僕の言葉に、ミツルさんは悲しそうに笑う。
「俺なんかといたら、白くんが汚れてしまうから」
ーーなに、それ。
「僕は、綺麗なんかじゃなくて良い! 僕は、ミツルさんと一緒が良い!」
綺麗だとか汚いだとか、そんなの関係ない。僕は、ミツルさんと一緒にいられたらそれで良いのに。
どうして、そんなこと言うの?
「ミツルさんは…僕のこと、きらい?」
震える声で聞いた僕の言葉に、ミツルさんは何も言わずに、悲しそうな笑みを浮かべる。そんなんじゃ、わかんない。どうして何も言ってくれないの?
ミツルさんの顔が、次第にぼやけていった。頬を熱いものが伝う。
それを拭おうと伸ばされたミツルさんの手を、僕は嫌だと振り払った。そんな優しさ、いらない。
「…ミツルさんのばかっ!!」
「白くんっ!!」
熱中症のせいでまだ少しふらつく足でなんとか立てば、止めるミツルさんを振り切って、僕は部屋を飛び出したーー。
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