whiteout.3 | ナノ

「白くん、もう良いの?」

心配そうなミツルさんの声に、僕はこくりと頷いた。
八月に入って暑さの増した毎日に、僕の食欲は更に落ちていた。手の中のツナマヨおにぎりは、三角の上半分がなんとかなくなったくらいで、半分も食べられていない。

「ゼリーは? 甘くてサラッとしてるし、少し食べてみたら?」

ミツルさんが、気分を変えるような明るい声音でそう言って、コンビニ袋からゼリーを出そうとするのを、僕はその腕を引いて止めると首を横に振った。

「…あとで食べる」

これ以上食べると、吐いちゃいそう…。

「そっか」

僕の拒絶に、ミツルさんのため息。心配、かけてるな…。

「…ごめんなさい」

ぽつりと呟いた僕の言葉に、ミツルさんは驚いたように僕の顔を覗き込んだ。

「どうして謝るの?」

「だって、せっかく買ってきてくれたのに…」

いつもいつも、わざわざ僕の分のお昼ご飯も買って来てくれているのに。そのお昼ご飯だって、おにぎりは変わらないけど、デザートは食欲が落ちている僕が食べやすそうなゼリーやプリンを選んできてくれているのは、言われなくても気付いていた。
それなのに、食べられない。

「気にしなくて良いんだよ。そりゃまあ、身体にも悪いから食べて欲しいけど、無理に食べても良くないだろうからね」

優しく笑いかけながら、ミツルさんの手が僕の頭を撫でる。優しくて温かい手に、ふっと身体の力が抜けた。

「うん…」

返事をしたあとも、変わらず撫で続けてくれる手に、甘えるようにされるがままでいたものの、名残惜しげなミツルさんの声と共に、その手が離れた。

「ごめんね、時間だからもう行かないと。白くんも今日は早めに帰ってゆっくり休みなね?」

時計を見ると、ミツルさんの昼休憩が終わる時間。さっき、会ったばかりの気がしたのにな。

「ミツルさんも、お仕事頑張ってね」

弱い笑みを浮かべてそう言えば、腰を上げたミツルさんが、もう一度僕の頭を撫でやる。

「ん、ありがとう」

またね、そう言って背を向けて歩きだしたミツルさん。だけど、やっぱり心配なのか、いつもよりも何度も何度も僕を振り返る。
心配症だなぁ。それがなんだかくすぐったくて、だけど嬉しくて。ついつい笑みが浮かんだ。ミツルさんは、優しいな。
あったくて、一緒にいるとぽかぽかして、それで。
……幸せだなぁ。
ミツルさんの後ろ姿を見送りながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
なんだかふんわりくらくらするのは、幸せだからなのかな。
そんなことを考えていると、不意にミツルさんが、世界が、横向きに落ちていって、僕の視界は真っ暗になった。

「っ!? 白くんっ!?」

遠くで、僕を呼ぶミツルさんの声が聴こえた気がしたーー。




「ーーくん、気がついた?」

遠くから、声が聴こえる。優しい声。その声に導かれるように、僕はゆっくりと瞼をあけた。ぼんやりとしていた視界の焦点が合うと、心配そうに僕を見つめるミツルさんの顔。

「……ツルさん?」

どうしたの? そう思って名前を呼べば、ミツルさんはほっと息をつき泣きそうな笑みを浮かべた。

「良かった…」

ミツルさんがどうしてそんな顔をしているのかわからなくて。不思議に思っていれば、自分のいる場所が先程までいたはずの公園ではないことに気付いた。
清潔そうな部屋の中、真っ白なシーツのベッドの上。快適な涼しい室内には消毒の匂い。

「…ここ、どこ?」

ぼんやりとした僕の言葉に、ミツルさんは苦笑を浮かべながら教えてくれた。

「俺の会社の医務室だよ」

「いむしつ…?」

ミツルさんの会社の? どうして?

「白くん、倒れたんだよ。熱中症だって」

「ぁ…」

そういえば今日はずっとふらふらして、気持ち悪かった。あれは熱中症のせいだったのか。
僕が体調不良の原因に気付いて納得していれば、ミツルさんは呆れたようにため息をつく。

「白くん、最近ご飯食べてなかったでしょう?」

「……」

ここ暫く、昼はミツルさんと一緒だから少し食べてはいたけれど、朝と夜は少し食べるか、食べずに終わるかという日々が続いていた。
ミツルさんは黙り込んでしまった僕の様子を肯定と受け取ったみたいで。

「細い子だなとは思ってたけど…ここまで運んで来た時、すごく軽くてびっくりしたよ」

「!!」

そっか、運んでくれたんだ…。ミツルさんが心配してくれているのはわかっていたけれど、ミツルさんが抱えて運んでくれたのかと思うと、なんだか恥ずかしくて、ミツルさんの顔を見られず俯いてしまう。
そんな僕をどう思ったのかはわからないけど、ミツルさんはいつものように優しく頭を撫でてくれた。

「今日お家の人はいる?」

「いない」

父さんも母さんも、いつも仕事で忙しいから家にいることは本当に少ない。
いつも公園にいる僕になんとなく予想をしていたのか、ミツルさんは確認のようにもう一度聞いた。

「そっか…帰ってくるのも遅いのかな」

「多分…いつも、遅いから」

今日も、帰って来るのはきっと日付けが変わってからだろう。
その言葉を聞いてどう思ったのかはわからないけれど。何も言わないで黙り込んでしまったミツルさんに、僕はゆっくり顔を上げる。
それに気付いたミツルさんと目が合うと、すぐに僕に優しく笑ってくれて。何かを決めたように小さく頷いて口を開いた


「白くんが嫌じゃなかったらだけど…俺の家に来る?」

「ミツルさんの家?」

どうして? 突然の提案に首を傾げれば、ミツルさんは理由を教えてくれた。

「うん。ずっとここで寝てるわけにもいかないし、かと言って今の白くんを一人で家にいさせるのも心配だし」

ミツルさんの家なら、きっと凄く安心して休める気がする。だけど、何か忘れているような……そうだ。

「けど、ミツルさん仕事…」

今だって仕事中じゃないか。それなのに、僕が倒れたから…。
迷惑、かけてる。ごめんなさい。そう謝ろうとして口を開こうとしたら、謝罪を口にすることを止めるように、ミツルさんの指先が僕の唇に触れた。

「大丈夫だよ。俺の家、ここからそんなに遠くないんだ。だから、おいで?」

微笑みながら言われたミツルさんの言葉は凄く優しいけれど、拒否を許さない力強さがあって。それが、僕は嬉しくて、小さな声で呟いた。

「…ありがと」

その言葉にミツルさんは、満足そうに頷くと、もう一度僕の頭を撫でて、腰を上げた。

「帰る支度をしてくるから、もう少し寝ておいで」

「うん…」

ミツルさんに優しく、眠りに促されるように瞼を撫でられれば、それに逆らうことなく瞼を綴じる。
熱中症で体力を奪われていたからなのか、安心からなのか、わからないけれど。促されるままに、意識が眠りの中へと落ちていくのを感じたーー。








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