10.それでも僕は気付かないふりをする | ナノ


「…すみませんっ」

あぁ、今日も来た。
ーー夕方。橙色に染まる図書館のカウンターでPC作業をしていた俺ーー駿河 十祈(するが とき)は、控えめにかけられた声にゆっくりと顔を上げた。

「こんにちは。どうしました?」

営業用の笑みを浮かべた僕に、近くの高校の制服を着た彼ーー芝崎 千尋(しばさき ちひろ)はわかりやすく顔を赤らめた。
彼がこんな顔をして、図書館にーーもとい、僕の元に通ってくるようになったのはいつからだっただろうか。

「あ、こんにちはっ。…えっと、探し物してて」

「探し物? どういう本?」

軽く首を傾げて聞き返せば、必死に言葉を選びながら答える彼。

「小説なんですけど、作家さんの名前がその、うろ覚えで…」

曖昧な問い合わせをすることに申し訳なくなってるのだろうなと思えば、無意識に自分の口の端が上がるのを感じた。
好きな人と話す理由なら多少面倒なことの方が長く話せて良いのだろうに。面倒な質問をして迷惑をかけることに罪悪感を感じてるだろうことは、その顔を見ればすぐわかる。嬉しさと、申し訳なさと、いろんな気持ちの入り混じる、まだ幼さの残る顔。
多分、他の利用者からの質問であれば面倒だと感じていただろうその質問に、僕は彼が萎縮しないように柔らかな笑みを浮かべて聞き返した。

「どんなジャンルを書いてる作家さん? 名前、上か下だけでもわかれば探しやすいんだけど…思い出せますか?」

「恋愛小説とか、書いてる作家さんなんです。下の名前が、確かミサトさんで…」

「ミサト、か…」

うろ覚えという作家の名前に一人心当たりを思い出せば、カウンターを出て日本文学の棚へと向かった。

「…読書、好きなんですか?」

少し後ろを控えめについてくる彼に振り返らないまま声をかける。

「えっ」

「最近の子はあまり本を読まないイメージだったので。勉強でここに来る子は多いですけどね。小説の類は読まないのか電子書籍で見てしまうのか、借りていく子は大分少なくなってしまったから、珍しいなと。芝崎くんは、よく小説を借りていくでしょう」

「ぇ、俺、名前…」

彼の言葉に自分の失言に気付いた。素直で不器用な彼から、直接名乗られた訳ではないのだ。
だが、そんな心情は悟らせないように、すぐにクスリと笑って種明かしのように言う。

「いつも誰が貸出処理をしてると思ってるんです? …常連の利用者さんの名前は大体覚えてますよ」

「っ、そうですよね…」

覚えてもらえていたという喜びと、自分が特別ではないことへの落胆が、感情を隠すことの知らないその顔にわかりやすく浮かんだ。
ーー可愛いな。彼のまっすぐな感情をむず痒く感じながら、目当ての本を探す。

「…あった。この作家さんじゃないですか?」

日本文学の棚のあ行に並ぶ一人の作家の本を手に取れば、彼に差し出した。
ころころ変わる彼の顔に浮かんだ嬉しげな表情に、自分が憶測で探した作家が当たりだったことがわかる。

「はいっ、この人です。前に本屋で見かけて気になっていて」

「彼の本は僕も好きなんです。芝崎くんが借りていた本の雰囲気に近いから、きっと気に入ると思いますよ」

「駿河さんも? …あの、お勧めの本とかありますか?」

その本が好きと言っただけなのに。頬を赤く染めながら聞いてくる彼に、くすりと笑みを漏らせば、棚に並んだ数冊の本のタイトルを見回したあと、彼の手の中にある本を見、頷いた。

「ーーその本かな。その方のデビュー作で、実体験を元にして書かれたお話らしいんですけどね。凄く優しくて、切ないお話です」

「…じゃあ、この本にします」

そう言って微笑む彼に微笑み返せば、貸出処理を行うために、カウンターへと戻る。

「…今日が6月13日だから、6月26日までに返却してくださいね」

「はい」

貸出処理を終えた本を彼に差し出せば、彼は両手で大切そうに本を受け取った。
受け取ってもその場を動かず、何か言いたげな様子に次の言葉をゆっくりと待つ。

「…この本を読み終わったら、一緒に本の話、してくれませんか?」

耳まで赤く染めて、俯きながらそう言った言葉は、きっと、今の彼が伝えられる精一杯の気持ち。

「…良いですよ」

「!!」

はっと上げられた彼の顔に、驚いたような喜びが浮かぶ。

「休館日の月曜日以外はいつでもいますから、遊びに来てくださいね」

だが、続いた僕の言葉を聞いて、すぐに落胆に変わったその表情に気付かないふりをしながら、僕はただ笑みを浮かべる。

「ありがとう、ございます」

「はい、またお待ちしています」

傷ついた顔を必死に隠そうとするように、失敗したような笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げる彼を、僕もありがとうございますと礼を言って見送った。

ーーお茶でもしながら本の話をしましょうか、なんて。そう返してあげていれば、彼は幸せそうな笑顔を浮かべて帰って行ったのだろうか。彼が出て行ったドアの方を見ながら、そんなことを考えてみた。
明らかな好意を向けてくる彼のことを、いつからか少なからず想い始め、自分自身へのごまかしは既に効かなくなってはいた。
だが、十以上も年の離れた学生の、それも同性相手の気持ちに簡単に応えられるほど、法律も世間の目も甘く単純ではないことを知っている。
何より、彼にはないだろう、こうやって気持ちに気付きながらもそれをはぐらかす、大人のずるい部分を持ち合わせてしまった僕にその気持ちに応える権利があるとも思っていない。


せめて、はっきりと気持ちを伝えられるまでは。

僕は、彼の気持ちに気付かないふりをするーー。



それでも僕は気付かないふりをする

無気力少年。』さまより。



ずるい大人とまっすぐな子供の話を書きたくてこうなりました。

千尋が気持ちを伝えて駿河を捕まえるのか、千尋の気持ちをうまく躱して駿河が逃げてしまうのか、いつかまた続きを書いてみたくなった二人に出逢えました。

因みに、千尋が探していた下の名前が“ミサト”の作家名は大好きな尊敬する朝丘戻さんの登場人物からお借りしています。

読んで頂き、ありがとうございます。




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