5.

「岬さん、また病院ですか?」

「んー、まあなぁ」

当直が終わり帰宅の準備をしていれば、共に当直が終わった小谷に声をかけられ、適当に頷いた。
事件の被害者への見舞いなど、特に報告することではない。岬も最初、誰に話すつもりもなくヒカルの元へと通っていたが、当直明けに急ぎ足でどこかへ向かうことが増えた岬に、小谷から突っ込みが入ったのだ。

「ヒカルくんでしたっけ。…岬さん、面倒見良いっすよね」

真似できないという風な顔でそういう小谷に、岬はなんとも言えない顔を浮かべる。
もともと、面倒見は悪くはなかったが、ここまでしたことはない。地域と交流のある交番勤務が長い分、顔見知りの住民の見舞いに行ったりすることは時折あったが、そう何度も行くことはなかった。
それなのに、ヒカルの病院にこんな頻繁に通い詰めるのは、

「…行くと喜ぶんだよ」

「え?」

「…お先に」

小さな声で気恥ずかしく呟いた言葉は小谷には聞こえなかったようで。聞き返す小谷の言葉には答えず、岬は鞄を持って休憩室を出た。


「お先失礼します」

「ああ、お疲れさま」

次の当直である所長の芝浦(しばうら)に挨拶をした岬は早足で交番を出て行く。

「岬さん、もう行っちゃいましたか」

「今出て行ったよ」

岬より少し遅れて休憩室から出てきた小谷に、芝浦は頷いて答える。

「最近、岬くんは忙しそうだな」

「当直明けやら休みのたびに病院に通ってるみたいっすからねぇ」

「病院? 岬くん、どこか悪いの?」

仕事柄、体調が悪いのは万が一の時に障る。岬からの報告のない話に訝しげに芝浦が問えば、小谷は違うと首を振った。

「お見舞いですよ。ほら、僕と岬さんが第一発見者になった事件で保護された子供いたじゃないですか」

「ああ、あの時の」

一ヶ月ほど前の事件のことを思い出せば、芝浦は納得したように頷く。

「なんか懐かれてるみたいですよ、岬さん。どんな顔して子供の相手してるんですかね」

面白そうにそういう小谷の言葉に、芝浦は笑みを返しながらも、どこか気遣わしげに岬が去って行った方を見つめたーー。




「ヒカル、ほらカエルがいるぞ」

「?」

雨上がりの久しぶりの晴れ間に、岬は病院の庭にヒカルを連れ出していた。
岬に手を引かれて歩くヒカルの足取りは、履き慣れない靴のせいで、室内を歩くよりもよりゆっくりでぎこちない。
家宅捜索したヒカルの家にはヒカルの靴は一足もなく、ヒカルが家から出されることなく過ごしていたことが知れた。今履いている靴も岬が買ってきたものだった。ヒカルが自分でも履きやすい、マジックテープで止めるタイプの青色の靴。

「!?」

ゆっくりと紫陽花の傍へと歩いてきたヒカルは、岬が指差した先にいる緑色の小さなアマガエルに瞳を見開いた。

「ヒカル、カエルだよ。カエル」

ヒカルの隣に屈んだ岬はゆっくりと教えるようにカエル、と繰り返す。興味心身といった様子で緑の瞳を大きく見開いてカエルを見つめるヒカルに、岬はカエルをそっと捕まえればヒカルに手を出すように促した。
揃えて出された小さな掌にそっとカエルを置いてやるも、カエルはすぐにぴょんと飛んで、ヒカル達の傍から離れて行ってしまう。

「っ!!?」

驚いた顔で何もいなくなった掌と紫陽花の木を交互に見返すヒカルが可愛くて、岬は噴き出し笑い、その頭を撫でた。

「カエルさん行っちゃったな。次はあっち行ってみるか?」

岬にそう言われたものの、ヒカルの意識はどこかに向かって跳ねていくカエルに向いたままで。岬が止める間もなく、ヒカルはカエルを追いかけて一人で走り出した。だが、その足取りは靴の重さに慣れていないせいか、思うように走れずにたどたどしい。
いろんなものに興味を持ち始めることは嬉しいことだが、今にも転んでしまいそうなヒカルの足取りは見守っている側にはハラハラするものがある。

「ヒカルー、あんまり走るとこけるぞ」

「…っ!!」

後ろを追いかけながら岬が声をかけたのと、ヒカルが躓いて転んだのはほぼ同じタイミングだった。

「ヒカルっ!」

もっと早く止めれば良かった、そう後悔しながらヒカルに駆け寄れば、転んだヒカルの横に屈み、ゆっくりと手を取り立ち上がらせる。ヒカルの両手の掌と膝小僧は赤く血が滲んでいた。

「あー、こりゃあ派手にやったなぁ…。痛いだろ?」

見ているだけでも痛々しい傷に岬は顔を顰めれば、心配げにヒカルの顔を見る。そこにあったのは、確かに痛みを感じているだろうに、それに堪えるように耐える無表情で。
ーーああ、今までもこいつは、こうやって耐えてきたのか。泣きもせず、感情を殺すようにして。

「…ヒカル、こういう時はな、泣いて良いんだよ」

「?」

無表情で固まるヒカルの心をほぐすように、岬は優しくそう言えば、強張ったヒカルの頬を撫でる。

「痛いときは痛いって、そう訴えて良いんだ」

涙を促すように、優しくヒカルの目許を撫でてやる。
そして、優しく自身を撫でながら、悲しそうな笑みを浮かべる岬をじっと見つめていたヒカルの瞳から、一筋の涙が流れた。いつぶりに流れたのかわからないそれは、止まる術を知らないように、瞳に溢れ、ヒカルの視界をぼやけさせた。

「そう、それで良いんだ。お前は、もっと泣いて良いんだよ」

岬は泣き続けるヒカルの身体をそっと抱き寄せれば、小さな身体を守るように強く抱きしめたーー。


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